帝國博物学協会
土佐國
朝倉城
 所在地 高知県高知市宮ノ前・水久谷
 交通機関 JR朝倉駅下車 徒歩10分(登り口まで)
 別  名 重松城
 略  歴 朝倉城は本山氏の居城として大永年(1521〜27)間に本山梅慶によって築かれたのが創築である。
本山氏は土佐の実力者とされる七守護の内の一家で、永正5年、本山養明が吉良氏・大平氏・山田氏らと共同して岡豊城に長宗我部兼序を攻め滅ぼした。
本山氏は山間の本山城を本城としていたが、茂宗の時、天文9(1540)年に朝倉城を本城と定めて高知平野への足掛かりとした。
しかし、永禄3(1560)年になると、復興なった長宗我部国親が勢力を伸張し、朝倉茂辰が土佐の主導権を握る戦いで敗れ、永禄6年1月、茂辰は朝倉城に自ら火を掛けて本山城に退却した。 これにより、朝倉城は廃城となった。
 現  況 朝倉城は、別城と言っても過言ではない西側の茶臼ヶ森周辺と、詰ノ丸・西詰ノ丸を中心として築かれた山城である。
詰ノ段から東南に向けて二ノ段・三ノ段と曲輪が置かれており、東側に対する防衛意識の高さを窺い知ることができる。
これは、主敵である長宗我部国親の勢力が、朝倉城から見て東側にあったことが大きく影響していると考えられる。
現在主郭である詰ノ段には城址碑と案内板があり、西側への備えとして置かれた西詰ノ段上には、登ることが難しい。
西側は茶臼ヶ森を中心とした別城仕立てとなっているが、西詰ノ段から茶臼ヶ森の間が畑として造成されているため、この部分についてどのような構成になっていたか、明快に知ることはできない。
茶臼ヶ森を中心とした西側は、茶臼ヶ森周囲に空堀が残されており、南側に二段程度の曲輪と土塁が残されている。
茶臼ヶ森西側にも、曲輪が置かれていたようであるが、現在では墓地となっているため、往時の状況を窺い知ることができない。
西側曲輪群
D曲輪

D曲輪南西側
道路

D曲輪

D曲輪南端

D曲輪
茶臼ヶ森

茶臼ヶ森北東側
切岸

茶臼ヶ森北西側
切岸

茶臼ヶ森東側
切岸と空掘跡

茶臼ヶ森東南側
切岸

茶臼ヶ森南東側
切岸

茶臼ヶ森東側
切岸と空掘跡

茶臼ヶ森

茶臼ヶ森
C曲輪

C曲輪と茶臼ヶ森
東北下空掘

C曲輪と茶臼ヶ森
北下空掘

C曲輪と茶臼ヶ森
北下空掘

C曲輪と茶臼ヶ森
西北下空掘

C曲輪西北空掘
と土塁

C曲輪西北空掘
と土塁

C曲輪西北空掘
と土塁
@曲輪

@曲輪東側切岸

@曲輪南側切岸

@曲輪北側

@曲輪中ほど
(空堀跡?)

@曲輪
A曲輪

東側切岸

A曲輪

A曲輪
B曲輪

B曲輪東
北側の竪堀

B曲輪

B曲輪

B曲輪

東側曲輪群
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