帝國博物学協会
山城國
伏見城
 所在地 京都府伏見区桃山町・古城・二ノ丸・治部少丸一帯
 交通機関 JR奈良線 伏見桃山駅下車 徒歩20分 他
 別  名 木幡城・伏見桃山城
 略  歴 文禄3(1594)年、豊臣秀吉によって指月山に築かれたのが最初の伏見城である。
この城は、2年後の発生した大地震で倒壊してしまった。この時、石田三成の讒言で秀吉の不興を買って朝鮮前線から召還されていた、加藤清正が真っ先に駆けつけ、秀吉に激賞された「地震加藤」の話は有名である。
この時指月山の地盤が脆い事が判明したため、再建に当たっては城を木幡山に移して再建された。
秀吉の築いたこの城は、慶長5(1600)年の関ヶ原に先立つ前哨戦で、家康の家臣鳥居元忠が籠城し、三成方から攻撃を受け焼け落ちてしまった。
関ヶ原の戦いで勝利した家康は、徳川氏の京都本拠として伏見城を再建した。家康・秀忠・家光の三代の将軍がこの城で将軍宣下を受けたが、洛中に二条城が出来上がり、豊臣氏が滅亡するとその存在意義を失い廃城となった。
城の遺構の多くは解体され、各地の寺社・城郭に分与され「伏見櫓」の名称で伝えられた。特に備後福山城には伏見櫓、伏見御殿等多くの建造物が移されたと言われている。
 現  況 現在本丸跡が明治天皇陵となり、城址の殆どが宮内庁の所管となっているため入ることができない。
また、伏見城お花畑跡に昭和39年(1964)、岡山池田氏に伝わる屏風絵を元に新たに豊臣時代の天守群が再建され、伏見桃山城と呼ばれている。
伏見桃山城キャッスルランドという名の遊園地内の施設として運用されたが、本体の遊園地の経営が思わしくなく閉園が決まった時、解体が危惧されたが、現在運動公園内の施設としての存続している。

御香宮神社の
伏見城大手門

御香宮神社の
伏見城石垣

御香宮神社の
伏見城石垣残石

御香宮神社の
伏見城車寄

伏見桃山城門

伏見桃山城
大天守

伏見桃山城
天守群

伏見桃山城大天
守より城域を望む

治部少丸土塁

治部少丸水濠
(治部池)

曲輪跡

本丸跡の
明治天皇陵
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