帝國博物学協会
山城國
聚楽第
 所在地 京都府京都市上京区一条堀川千本丸町
 交通機関 JR山陰線 二条駅からバス千本丸太町下車
 別  名 -
 略  歴 天正14(1586)年、豊臣秀吉は自身の勢威を都に響かせるために、旧平安京大内裏跡地に聚楽第の築城を開始した。
翌15年正月に落成、16年4月には、後陽成天皇の行幸を仰ぐこととなった。
秀吉は関白職を甥秀次に譲ると同時に、聚楽第をも秀次に譲り、新たに伏見城を築いて移った。
しかし、秀吉に子お拾いが生まれると、秀次が疎ましくなり、関白としての資質がないとして、これを自害に追い込んだ。
秀次の失脚と共にその居城の聚楽第は存在意義を失い破却され、殿舎の多くは築城中の伏見城や寺社に移築された。  
 現  況 聚楽第跡には遺構は残っていないが、正親小学校付近に石碑が建てられて所在を伝えている。また、建造物の遺構は各地に所伝している。

聚楽第址碑

聚楽第址碑付近
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