帝國博物学協会
山城國
勝龍寺城
 所在地 京都府長岡京市勝龍寺・東神足
 交通機関 JR東海道線 長岡京駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 南北朝期の暦応2年(1339)、洛中に対する南朝方に備えるため、細川頼春によって築かれたとされる。
応仁の乱では、守護畠山義就の拠点となった。
戦国期に入ると洛中守備の要として重要視されたが、織田信長が上洛を果たすと、細川藤孝が城主として封じられた。
元亀2(1571)年、藤孝は二重の堀と土塁を持つ城として大改修を行った。その際国人領主、神足氏の屋敷を取り込んだと思われる。
天正10(1582)年の山崎の合戦では、明智光秀が入城したが、光秀は山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、この時勝龍寺城も落城、焼失した。
その後、淀城築城の際に、建築資材として転用された。
寛永10(1633)年、永井直清が2万石で封ぜられた際に修築されたが、慶安2(1649)年、摂津高槻城に転封となると廃城となった。
 現  況 本丸は勝龍寺城公園として発掘・整備されており、土塁・水濠・門・櫓などが整備されている。
また、隣の沼田丸も広場として整備されており、土塁・空掘りの跡が残っている。
神足神社付近の神足屋敷跡には、土塁・空掘りが当時のまま良く残されている。
神足屋敷

神足屋敷土塁

神足屋敷
空堀と土塁
本 丸

本丸北面土塁
と復元土塀

本丸東面土塁
水濠と復元隅櫓

本丸南面土塁
水濠と復元門

本丸北門跡

本丸隅櫓
と土塁

本丸東面土塁
と復元土塀

本丸西面土塁
と櫓台
沼田丸

沼田丸跡

沼田丸西面
土 塁

沼田丸南面
土 塁

沼田丸腰曲輪
と空堀跡

沼田丸北面
空堀跡
Top