帝國博物学協会
丹後國
田辺城
 所在地 京都府舞鶴市字南田辺
 交通機関 JR西舞鶴駅下車 徒歩10分
 別  名 舞鶴城
 略  歴 田辺城は、室町時代に一色範光が丹後守護として田辺に居館を造ったことに始まる。
田辺城を近世的な城郭としたのは細川藤孝で、天正6(1578)年現在の地に新たに城を築いた。 藤孝はさらに宮津城を築き、子忠興が田辺城主となった。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、細川氏は東軍に属し田辺城に籠城した。 籠城は50日にもに及んだが、藤孝の持つ「古今伝授の書」の亡ぶのを憂いた後陽成天皇の仲介で停戦した。
細川氏はこの戦功で豊前中津城に転封し、代わって京極高知が入城したが、宮津城を再築し田辺城はその支城となった。
京極氏高知の死後3家に分かれ、田辺城には次男高三が3万5千石で入城した。
京極氏は3代高盛の時、寛文8(1660)年に但馬豊岡城に転封になり、替わって下総関宿城から牧野親成が3万5千石で入封し、明治維新を迎えた。
 現  況 現在本丸は舞鶴公園として整備されており、天守台などの石垣もよく残っている。
また、大手門、隅櫓なども復元されている。

復興本丸
大手門

復興隅櫓

本丸石垣

本丸石垣

本丸天守台

本丸石垣

本丸庭園

本丸復興門
櫓遠望

本丸復興門
櫓と石垣

三之丸石垣
発掘現場

二之丸跡碑

藩校明倫館門
Top

【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   評判   Timesell   格安国際電話   宿泊料金比較