帝國博物学協会
山城國
東寺
 所在地 京都府京都市南区九条町1
 交通機関 近鉄京都線 東寺駅下車 徒歩5分
 別  名 金光明四天王教王護国寺秘密伝法院・弥勒八幡山総持普賢院・教王護国寺
 略  歴 延暦15(796)年、2年前に平安京に遷都した桓武天皇は、都の正門、羅城門の内に王城鎮護の寺として東寺・西寺の造営を開始した。
弘仁14(823)年、弘法大師空海が嵯峨天皇より東寺を下賜され、真言密教の根本道場として装いを新たにした。
空海は講堂・五重塔を造営しているが、後に高野山に金剛峰寺を建立して真言密教の総本山とした。
平安後期になると、東寺は一時衰退する。東寺が復興するのは、後白河法皇の皇女である宣陽門院が大旦那となり、莫大な荘園を寄進して以降のことである。
その後、後宇多天皇、後醍醐天皇など皇族や貴族らの支援を受けて東寺は興隆した。
建武の新政が崩壊して、足利尊氏と新田義貞が戦う事と成った建武3(1336)年、尊氏は本陣を東寺に置いて義貞軍を迎え撃った。
東寺の鎮守八幡宮の神殿から流鏑が新田勢に向かって飛び、尊氏が勝利を収めた故事は有名な話である。
文明18(1486)年、土一揆が東寺を襲い、創建時の建物を焼失した。
延徳3(1491)年、講堂の再建した。
戦国期に入ると、東寺は周囲に水濠を巡らし城郭寺院としての体裁を整えており、永禄11(1568)年には、足利義昭を伴って上洛した織田信長が、東寺を宿所としている。
その後、豊臣秀頼・北政所(高台院)らの寄進により、金堂の再建・講堂の修復が行われている。
なお、現在東寺のシンボルとなっている五重塔は、寛永18(1641)年に、徳川家光の寄進により建立されたものである。
 現  況 城郭寺院としての東寺を色濃く残しているのは、南面・北面に残されている水濠である。
特に北大門の北側には外虎口とも見える出桝形遺構が残されている。
食堂・講堂・金堂が一直線に並ぶ、平安時代の伽藍配置を今に伝える、重要な文化遺産であり大師堂は寝殿造りを今に伝えている。
現在、講堂・金堂・五重塔及び庭園は有料拝観となっている。

南側水濠

東脇門

南大門と水濠

南大門

南大門西側の
水濠

南大門と水濠

西脇門

東寺南面

南西角

蓮華門

北西水濠(蓮池)

北大門と出桝形

北大門と出桝形

北大門橋

北堀東側

北堀東側

弁天堂

慶賀門

東大門
(不開門)

東寺東面

宝蔵水濠

宝蔵

大師堂

小子坊唐門

灌頂院北門

灌頂院東門

灌頂院

八嶋殿と五重塔

食堂

東大門
(不開門)

金堂と講堂

金堂

講堂

講堂

五重塔

瓢箪池と五重塔
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