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| 所在地 | 京都府京都市伏見区淀本町 |
| 交通機関 | 京阪電車 淀駅下車 徒歩1分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
元和9(1622)年、松平(大河内)定綱は遠江掛川城から山城淀3万5千石で入封した。 定綱は将軍秀忠の命で伏見城の古材を利用して淀城を築城した。 当初伏見城天守を淀城に移す予定で天守台を築いたが、伏見城の天守を二条城に移し、二条城の天守を淀城に移すことになったため、天守台との寸法が合わなくなり、四隅に櫓を持つ連立式天守として建築された。 定綱は寛永10(1633)年に美濃大垣城に移封となり、替わって下総国古河城から永井尚政が10万石で入城した。 寛文9(1669)年、永井氏2代尚征は丹後宮津城に転封となり、伊勢亀山城から石川憲之が6万石で入城した。 宝永8(1711)年、石川氏3代総慶は備中松山城に転封となり、美濃加納城から松平(戸田)光煕が6万石で入城した。 享保2(1717)年、松平氏2代光慈は志摩鳥羽城に移り、替わって伊勢亀山城から松平(大給)乗邑が6万石で入城した。 享保8(1723)年、乗邑は下総佐倉城へ移り、入れ替わりで稲葉正知が10万2千石で入城した。 宝暦6(1756)年、落雷により淀城天守は焼失している。 慶応4(1868)年、鳥羽伏見の戦いで敗走した幕府軍は、老中稲葉氏正邦の居城であった淀城を頼ってきたが、留守居の部隊が入城を拒否した。 これによって、幕府軍の敗北が決定的となり、将軍徳川義慶は大坂城を脱出し、海路江戸城へ退く事となった。 |
| 現 況 |
現在本丸跡が淀城址公園となり、天守台・櫓台・本丸水濠が残されている。 また、二之丸跡には稲葉神社が建立されており、石垣の一部が残されている。 |
![]() 本丸天守台 |
![]() 本丸石垣 と天守台 |
![]() 本丸石垣 |
![]() 本丸隅櫓 櫓台 |
![]() 淀城址碑 |
![]() 本丸水濠 と石垣 |
![]() 本丸西口門跡 |
![]() 本丸水濠 石垣と天守台 |
![]() 天守台石垣 |
![]() 二之丸石垣 |
![]() 二之丸石垣 |
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