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| 所在地 | 奈良県大和郡山市番条町 |
| 交通機関 | JR郡山駅下車 奈良交通 丹後庄町下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 番条環濠集落 |
| 略 歴 |
番条城は、大乗院方の衆徒の番条氏によって、室町期に築かれたのが創築である。 番条氏で有名なのは、番条長懐と番条五郎である。 長禄3(1459)年、大和では筒井城の筒井氏と長懐の属する高取城の越智氏の間で、大和の覇権を巡って争われていた。 長懐は番条氏の惣領で、常善院の住持であったが、筒井方により攻められ、長懐は城を自焼して自害し、番条氏は没落した。 永正4(1506)年の赤沢長経の大和侵攻の際には、番条城に本陣が置かれている。 永禄期になると、松永久秀が大和に侵攻しており、番条城は久秀軍に攻略されている。 番条氏が番条城を奪還したのは、元亀2(1571)年の事である。 その後大和が筒井順慶の下で統一されると、番条氏も筒井氏に属した。 順慶は、後継者として番条五郎を指名したとも言われているが、五郎が辞退したため、順慶の叔父慈明寺順国の子、定次が後継者となった。 なお、番条城は信長の大和一国破城令によって廃城になったと考えられる。 |
| 現 況 |
城址は南北に細長い連郭式の構造となっており、3つの郭から構成されている。 北の郭が城主番条氏の居館が置かれていたところと考えられており、現在は熊野神社となっている。 南の郭が、環濠集落としての状況をよく残しており、城下を取り込む総曲輪の発想はこのような環濠集落から発生したのかもしれないと考えさせられた。 なお、今回の攻城では、南郭で感激してしまい、肝心の番条城を見ていないという失態を演じてしまったので、再攻城が必要である。 |
![]() 南側水濠 |
![]() 南郭東側 |
![]() 南郭東側 |
![]() 南郭北東側 |
![]() 南郭南東側 |
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![]() 南郭南東端水濠 |
![]() 南郭内 |
![]() 南郭西側 |
![]() 南郭西側 |
![]() 南郭北西側 |
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![]() 南郭北東側 |
![]() 南郭北西側 |
![]() 南郭西北側 |
![]() 南郭西北端 |
![]() 中郭東側 |
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