帝國博物学協会
大和國
上三橋環濠集落
 所在地 奈良県大和郡山市上三橋町
 交通機関 JR郡山駅下車 奈良交通 上三橋下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 三橋の地には、平城京の羅城門に通じる大路掛かっていた三つの橋があったと伝えられ、これが三橋の由来であると伝わっている。
平安期には三橋荘と称して、興福寺や春日神社の荘園として栄えた。
三橋荘の荘官としてこの地を治めたのは、椿井氏であった。
椿井氏は平群郡の椿井城を本城として勢力を広げていたが、筒井氏と対立、文明17(1486)年、椿井懐専が討死している。
永享9(1437)年、興福寺一乗院と大乗院の確執と筒井氏の重臣島氏の圧迫により、椿井氏は大和を追われ、山城に移った。
この後、三橋荘は筒井氏の一族、成身院光宣によって治められる事となった。
なお、この地方の歴史には、三橋十左衛門、三橋重兵衛と、三橋を姓とする豪族の名前が出てくるが、これらはこの三橋環濠集落と何らかの関係があったのかもしれない。
 現  況 環濠はコンクリート製の溝となっており、なかなかこれが環濠であると認識できる状態ではない。
環濠の外側には道路があり、往時は道路の範囲まで堀であった事が想定される。
南の郭が、環濠集落としての状況をよく残しており、城下を取り込む総曲輪の発想はこのような環濠集落から発生したのかもしれないと考えさせられた。
なお、今回の攻城では、南郭で感激してしまい、肝心の上三橋環濠集落を見ていないという失態を演じてしまったので、再攻城が必要である。

南側環濠

東側環濠

東側環濠

北東側環濠

北側環濠

北側環濠

北側環濠
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