帝國博物学協会
大和國
美濃庄城
 所在地 奈良県大和郡山市美濃庄町
 交通機関 JR関西本線(大和路線)奈良駅下車 奈良交通 美濃庄下車 徒歩5分
 別  名 大美濃庄環濠集落
 略  歴 美濃庄城は興福寺大乗院衆徒美濃庄氏の本拠であり、大美濃庄環濠集落を城下として築かれた。
美濃庄氏は応仁・文明の乱前後に、既に筒井城に本拠を置く筒井氏に属していたと言われている。
文明12(1480)年、筒井氏が越智氏に敗れて没落すると、所領を没収された。
筒井氏が勢力を盛り返すと、再び美濃庄城に復帰したが、寺社雑事記によると、明応2(1493)年には美濃庄を古市氏が知行している事から、美濃庄城も古市氏の支配下にあったものと考えられる。
多聞院日記によると、永正2(1505)年、美濃庄氏は興福寺六方衆の発向をこうむり、大美濃庄環濠集落は放火の憂き目にあっている。
永禄2(1559)年、松永久秀が大和に侵攻を開始すると、美濃庄城は筒井方の防衛拠点となるが、遂に永禄9(1567)年2月の松永勢の攻撃を支えきれずに落城した。
同年4月、三好三人衆の軍勢と共同した筒井順慶軍が反撃に出て美濃庄城を攻撃、松永軍は美野庄城を明け渡して多聞山城に撤退し、美濃庄氏が三度復帰している。 美濃庄城が廃城となったのは、天正8(1580)年の大和一国破城の時であろう。
 現  況 美濃庄城は大美濃庄環濠集落の西北側に築かれていたが、現在では畑や、資材置き場となっている。
環濠集落西側・北側は、環濠が水路として残っている。

大美濃庄環濠
東南側

大美濃庄環濠
東側

大美濃庄環濠
東側

大美濃庄環濠内

大美濃庄環濠内

城東橋と北堀

大美濃庄環濠
北側環濠

北西側稲荷社

稲荷社南の環濠
美濃庄城

美濃庄城西側

美濃庄城西側
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