帝國博物学協会
大和國
白土城
 所在地 奈良県大和郡山市白土町
 交通機関 JR関西本線(大和路線) 奈良駅下車 奈良交通 白土町下車 徒歩15分
 別  名 白土環濠集落・白土館・白土平城・白土塁
 略  歴 白土城は、土豪の白土氏の居館と村落の周囲に環濠を廻らせたものであった。
白土氏は、十市氏の一族で、越智氏の被官であったが、その後、筒井氏に属して、番条氏、窪城氏など、在地の土豪との縁戚を築いて、松永久秀の大和侵攻に抗した。
永禄7(1564)年、久秀は筒井城を攻略して、筒井氏当主順慶は大和を追われる事になるが、白土氏はこの時自ら白土城に火を掛けて、松永勢に城を明渡している。
元亀2(1571)年、松永久秀が大和支配を企てて辰市城を攻撃すると、筒井党は総力を挙げてこれを撃退しているが、白土氏もこれに呼応している。
 現  況 集落東北角にある白坂神社と浄福寺が城址中心部であったと考えられている。
浄福寺山門付近に段差があることから、城址であった範囲がよくわかる。
現在では浄福寺裏手から浄福寺と白坂神社の間を水路が流れているが、往時の流れとは異なっていると思われる。
白坂神社北側から東側にかけて、土塁遺構が残されており、現在は水がないが、空掘状になっている遺構も残っている。
集落周囲の環濠は、やはりコンクリートで塗り固められているものの、特に北側には比較的幅の広い水路として残っている。

北側環濠

東北側環濠

東側環濠

東南側環濠

南側環濠

北側環濠

西北側環濠

西側環濠

西側環濠

西側環濠
白土城(白土館)

白坂神社参道

北側土塁

北側土塁と堀跡

北側土塁と堀跡

城址西側

浄福寺

興正菩薩叡尊
銅像

東側土塁

白坂神社拝殿

東側土塁と堀跡

東北角櫓台状
土塁
興正菩薩叡尊出生地

興正菩薩叡尊
出生地石碑

興正菩薩叡尊
出生地案内板
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