フランス・パリ/1973〜1974 |
ここはフランス・オルリー空港。着くや否やに名前が放送されている。よくしたもので名前ぐらいは耳に入る。カイロで行方不明のスーツケースが出てきてこれでひと安心。パリをそこそこに、スペイン・マドリーへ、そしてトレドヘ。トレドでは約1月滞在。荷物を置かして貰い、マドリー・チャマルテン駅より身軽にヨーロッパ一周の旅をスタート、まずはパリへ逆戻り。
マドレーヌ寺院がある旧ブティック街のNさん夫婦の家で4日ほどを過ごす。旦那はモロッコ人。おいしい魚料理が印象的、右手を使っての食事はご法度でした。王族のファミリーで最近までママがやっていたというブテックの高級レディスウェアが一部屋に詰め込まれていた。近くの皮製品の問屋街でお買い物。ここからアムステルダム、オナスブルグ、ハンブルグを経てコペンハーゲンに向かう。
4度目のパリ。ルイビトンでは日本人お断りの張り紙、農協の団体さんが原因とのことだった。(この当時は第1次ビトンブームでした)現地のモデルさんと一緒だったので無事入店。商品量はガサガサの状態で見物のみ。
ビッシリ詰まった縦列駐車から当たり前のように、前に後ろにバンパーをあてながらスペースを作り出し、車を出す。
バンパーの役 目を学ぶ。
チケット入手までのこのような時間つぶしが一転、暗黒の時間となる。
帰国直前の出来事、格安チケットが手に入るというのでその話に乗ったのが運のつき。(当時の日本では格安などというチケットは存在しない)お陰でピガールの売春アパート、モンマルトルのベットの横がトイレという木賃宿を経験。パリの電話機には後ろにもうひとつ聞き取り口が付いていたので難を逃れた。当時の日航も親切で日本での振り込み確認で航空券を発行してくれた。「ここはカスバか地の果てか・・・」の歌は実録のようだ。日本を立って1年あまり、初めて3日間下痢をした。
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デンマーク・コペンハーゲン/1973 |
王宮の衛兵。
おもちゃの兵隊さんってイメージでした。近寄り難く、ちょっと離れたところで記念撮影。アンデルセンの人魚姫。これはなかなかのロケーション、後ろは港の工場です。おとぎ話と現実の世界が1カット、です。コペンからストックホルム、マインハーゲン、ハンブルグを経てケルンへ。
ハンブルグでは夜の大人の町を見学。
この旅は1ヶ月のユーレールパスを使用したので気の向くまま、降りた駅でタイミングの良い列車を見つけると行き先を変更してしまうといういい加減な、いや自由なスケジュールであった。
時には列車をホテル代わりに使う知恵も付き、夜行列車の場合には必ず朝は大都市着とし、高級ホテルでトイレを拝借というパターンが出来あがった。ただし、一等車といえども夜中にふと目が覚めるといつの間にか、こそ泥が部屋に進入し、空いている席に座り隙あらば・・という場面が数度、よって注意が必要です。
大事なモノは靴の中が一番安全。(偶々、スペインの農夫靴、言い換えればカーボーイのウエスタンブーツだったので)
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ドイツ・ライン下り/1973 |
スイス・ジュネブ/1973 |
ドイツ。ケルンからコブレンツへ。コブレンツからマインズへはライン下り、のんびりのんびり、岸辺の景色は古城の連続、退屈しそうな4時間の船旅。
マインズではタクシー(もちろんベンツ)に乗り、この町で一番新しいホテル、と行き先を告げる。伝統スタイルを敬遠、真新しいバスタブにゆっくりつかりたくなった。食べ物はやっぱりビールとソーセージ。マインズからヒデルベルグへ。そしてミューヘンへ、ザルツブルグを経てウイーンへ。
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ベニスからジュネーブへ。
手巻きの時計を買う。今も使用可。チーズフォンリュウがgoot。何故か美人が少ない町という記憶がある。ジュネーブからピスク、ブリュックを経てミラノへ。バーゼルを経て再びジュネーブへ。そしてパリに戻る。
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イタリー/1973 |
■ローマ
ミューヘンからローマへ。バチカンに寄り、コロセウム、カラカラ浴場など名所めぐり。映画のシーンのように剣闘士達がここで戦ったと思うとなんだか興奮・・・。  |
■ナポリを経てポンペイへ
紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれてしまった都市。圧倒的なスケールで当時の生活が目に浮かぶ遺跡。
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■ベニス
ポンペイからローマに戻りベニスへ。お決まりの「水の都」、サンマルコ広場でお茶、ハトがちとうるさいが・・・・。・・・・・古い写真をデジカめで取り直し、ちょっと加工をかけると絵画のようになってしまつた。(右下)
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アンドラ公国/1973 |

フランスのツールーズからバスでアンドラ公国に入る。ツールーズではホテルでひと悶着。
ツールーズに遅く到着、何とかホテルを確保。チェックインし、寛いでいると酔っ払いの支配人が今すぐ宿泊料をフランで払えと乱入。生憎小額フランしか持ち合わせがなく、ドルで交渉するがらちがあかず、今すぐ出て行けという。深夜に行くところもなく、こんな時には「おまわりさん」と、即電話。駆けつけ たポリスが中に分け入り仲裁、無事ねぐらを確保した。
アンドラ公国はピレネー山脈の真ん中に位置し、免税の国(当時)なのでフランスとスペインから買出しの人々で賑わう。入国時、こんなパスポートは知らない、とパスポートを持ち帰り、バスを10分ほど足止めにした。聞くところによると20〜30人の軍隊が国を管理する平和な公国。アンドラからはバスで6時間、バルセロナへ。そしてマドリーへ。
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ポルトガル・リスボン/1974 |
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アンドレからの帰り、マドリーで3泊した折、ポルトガル人のファミリーがぜひリスボンへと声をかけてくれた。3ヶ月に1度は国外に、という訳でセビリアからリスボン行きのバスに乗った。
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