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「今日のお昼、これだけ?」
雨の日曜日のお昼どき。
仙石原西、コンフォート17の11階、11-A-2号室のダイニング・キッチンでは、
アスカが食事の席に着いたところである。
この日のメニューは、レタスたっぷりのチャーハン。
お皿からは、香ばしい匂いと、ごま油の芳しい香りが漂っている。
「うん、そうだけど・・・」
「なんか、しょぼくない?」
「そう言われても・・・、今月厳しいんだよ、ほんとに」
「どーしてよ」
「こないだ、浅間山で、温泉行ったでしょ? あれ、経費で落ちなかったんだって」
「ほんと! あそこのお料理、めちゃくちゃ豪華だったじゃないの!」
「うん。それがいけなかったんじゃないかな。なんか、かなりかかったみたい」
「なるほどね・・・。ま、そういうことならしょうがないか」
シンジは、テーブルの、シンジの向かいの席に、3皿目のチャーハンを置いたが、それにはラップが掛けられている。
アスカは早速、散蓮華を動かして、チャーハンを頬張っている。
「どう?」
「うん。まあまあね」
「あはは、良かった」
シンジも席に着くと、「いただきます」と言ったが、食べようとしてやめて、アスカに声を掛けた。
「アスカの誕生日って、12月4日だったよね?」
「・・・あんた、それ聞いてどうしよっての?」
「え?
いや、あの、さっき、掃除のとき、テレビ点けてたらさ、ギャル曽根が12月4日生まれなんだって。それで、」
「誰よそれ」
「あ、そっか、知らないか。えっと、食べ物屋さんのレポートとかする人なんだけど・・・」
「その人は知らないけど、石ちゃんなら知ってるわよ。あの人、お肉食べるとすごく美味しそうよね」
「ああ、石塚さん・・・。やっぱ、肉食系じゃないと、印象薄いのか・・・」
シンジは、少し考えていたが、再び、口を開いた。
「あ、でも、アスカも知ってるよ。ほら、こないだ、餃子の大盛りのお店のレポートしてた人、」
「ああ、あの、ケバい女?」
「いや、ケバいって、もうちょっと言い方が、」
「あの女、12月4日生まれなの?」
「うん、そう言ってた」
アスカは、溶き玉子と長ネギのスープの入ったカップに手を伸ばした。
刻んだわけぎが浮かんでいるその表面を、ふうふう、と吹いて、ひとくち啜る。
「あちっ」
「あ、スプーン使う?」
「最初から出しときなさいよ。火傷したらどーすんのよ」
「ごめん、忘れてて、」
「ほんっと、どうでもいいことばっか覚えてるくせに」
シンジは、ごめん、と言いながら、戸棚から小さめのスプーンを一つ取り出すと、
シンクで軽くすすいでから布巾で丁寧に拭いた。
「あ、あとさ、あの、千葉ロッテの与田監督、あの人も12月4日らしいよ」
「知らないわよ、そんなやつ」
「いや、そんなやつ、って・・・、まあ、知らないんじゃしょうがないか・・・」
シンジが、「はい」と言って、スプーンを渡した。
「ありがと。それも、テレビでやってたわけ?」
「いや、そうじゃないんだけど・・・」
「じゃあ、どうして?」
「えっと・・・、前に、偶然、アスカとおんなじ誕生日だって気が付いてさ、それで、へー、って思って・・・」
「・・・ほんと、つまんないこと覚えてるわねぇ」
そう言いながら、アスカは微笑んだ。
「12月4日生まれって言ったら、もっと世界的な有名人がいっぱいいんのよ?」
「そうなの?」
「そりゃそうよ。世界に有名人は365人どころじゃないでしょ? つまり、毎日誰かは生まれてんのよ」
「なるほど。・・・例えば誰?」
「うん。まずは、カーライルね。トーマス・カーライル」
「へー・・・」
シンジはそう言うと、チャーハンを頬張った。
「・・・あんた、もしかして、カーライル知らないんじゃないでしょうね?」
アスカは、右手に握った散蓮華の動きを止めて、横目を細めてシンジを睨んだ。
しかし、その口元は微笑んでいる。
「え? 知らないと、マズい?」
「その年で知らないんじゃ恥ずかしいわよ」
アスカは、ふん、と鼻を鳴らした。
「ごめん・・・」
「しょーがないわねー」
「アスカは、見たことあるの?」
「あるわけないでしょ。ヴィクトリア朝時代のスコットランド人よ?」
「そうなんだ。昔の人か」
「そ」
「何やった人?」
「それは・・・」
そう言いながら、アスカは、チャーハンをひとくち頬張った。
「なんだよ、アスカも知らないんじゃないか」
アスカは、口の中のものを飲み込むと、気取った口調で、
「“The purpose of man is in action not thought.”」
と言った。
「何て言ったの?」
「カーライルはね、思想家だったのよ」
「ふーん・・・」
「思想家って言ってもいろいろだけど、カーライルの場合は、歴史や文学を深く研究して、
そうしてたどり着いた考えでもって、当時の社会や学術の問題を論じる、まあ、評論家みたいなもんね。
歴史書とかドイツ文学の紹介とか、世相を風刺した作品なんかをいっぱい書いてはいるんだけど、
あんたでも知ってるような著書があるってわけじゃないわね。
でも、有名な言葉がいくつも残ってて、いろんな人に影響を与えてるの」
「じゃあ、さっきのもそう?」
「そ。人生はね、考えるためにあるんじゃなくて、行動するためにあるってこと」
「へー。・・・でも、カーライルは考える人だったんだろ?」
「え?」
「思想家ってことはさ、考えるのが仕事なんじゃないの?」
「いや、だから・・・。
つまり、あんたみたいにぐちぐち悩んだり、人の揚げ足取ったりしてるヒマがあったら、
一体でも多く使徒をやっつけなさいってことよ! 分かった?」
「そうやってゴマカして・・・」
「うるさいわねっ!」
シンジは、苦笑して、小皿の漬物に箸を伸ばした。
「ま、それでもいちばん有名な著書は“Sartor Resartus”かな」
「何? それ」
「うーん。一言で言うのは難しいわね・・・。
“Sprechen ist silbern, Schweigen ist golden.”は知ってる?」
「えーと・・・」
「自分の考えを言葉で伝えるっていうのは、もちろん大事なんだけど、最も大事なのは、黙ってることなんだって」
「ああ、『雄弁は銀、沈黙は金』か」
「そう言うの?」
「うん。小学校の教室の壁に、貼ってあった。静かにしなさい、っていう意味だって聞いたけど」
「へー。意外な使い方があるもんね」
「その本に書いてあるの?」
「そ。“Sartor Resartus”自体は、形式が凝ってる上に、当時の時代背景が前提になってるから、難解なのよ。
架空のドイツ人学者が説いた架空の哲学を、英語に翻訳して紹介しようとしてる編集者の苦労を描いてるんだけど、
それは表面的な筋で、ほんとに言いたいことは別にあるわけ。ま、あんたが読めるようなもんじゃないわね」
「アスカは読んだの?」
「え? ・・・うん、最初の方だけ、ちょっと」
「なんだ」
「しょうがないでしょ? あたしは他にやることあんだから」
「ふーん。珍しいね」
「・・・ま、いつか読みたいとは思ってんだけど」
そう言うと、チャーハンを一口、頬張った。
「そうそう、それで、カーライルの奥さんがまたエラいのよ」
「へー。・・・なんで?」
「奥さんのジェーンは、お金持ちのお嬢さんで、文才があったの。詩人だったのよね」
「ふーん」
「それが、結婚して、ぱったり詩はやめちゃって、トーマスの世話ばっか焼くようになったの」
「もったいないね」
「うーん、もしかすると、そうかもね。
でも、トーマスは、はっきり言って変人で、そうやって支えてくれる人がいないとダメなタイプだったのよ。
立派な研究はたくさんやってたんだけど、頑固なスコットランド人の中でも飛び抜けて偏屈で、
人付き合いがまるでダメだったんだって」
「へー。なんか、誰かに似てるような・・・」
「誰?」
「いや、何でも・・・」
「なによ、あたしのこと?」
「違うよ! 全然違うよ。ちょっと、別の人のこと、思い出して・・・」
「ふーん・・・」
アスカは、そう言うと、スプーンでスープをひとくち啜った。
「それで、えっと、なに? 偏屈だったの?」
「そ。大学時代に棄教しちゃったくらいなのよ」
「キキョウ?」
「つまり、キリスト教の信仰を捨てるってこと。当時は今と違うから、相当のやんちゃね。
でも、ジェーンがうまいこと社交界でとりなしてくれて、著作が売れて、世間から注目もされたってわけ」
「へー。
もしかしてさ、自分で詩を書くことよりも、旦那さんを売り込むことの方が面白くなっちゃったんじゃない?」
「そうかもね。ジェーンが、作家のJohn Sterlingに宛てた手紙に書いてあったんだけど、」
「うん」
「トーマスをね、人付き合いの上手な、普通の紳士に躾ちゃったら、トーマスの価値がなくなる、っていうのよね。
偏屈なところもトーマスの一部だし、仕事にも役立ってるってわけ。
だけど、そう言って野放しにしてたら、社交界で誤解されるでしょ? すると、本も売れなくって困るじゃない。
だから、トーマスの個性のひとつひとつの周りに、チョークで丸を描いて、
丸からはみ出さない範囲で、個性を伸ばさせるようにしたんだって」
「チョークで? そんなことできるの?」
「あんたバカぁ? チョークは、物のたとえよ。
つまり、個性を消しちゃうんじゃなくて、ジェーンがフォローできる範囲で、個性を伸ばさせた、ってこと」
「でもさ、自分をちゃんと説明するのって、大事だよね?
誤解されるのは可哀想かもしれないけど、誤解させちゃうのも良くないんじゃないかな」
「本当に大事なことをしてるんなら、誤解なんて関係ないわよ。
その人が大事なことをやってるって分かってる人が、支えてあげるべきなのよ」
「そうなのかな・・・。
でもさ、誤解してる人もさ、好きで誤解してるわけじゃないんだよ。誤解したいってわけじゃないんだよ。
誤解を解こうとする努力があればさ、理解できることだって、あるんじゃないかな。
『沈黙は金』とか言ってたらダメなんだよ。ちょっとの努力で、解決することって、多いんじゃないかな」
「だから、それは、その人の大事な何かを捨てるってことになるのよ」
「そんなのわがままだよ」
「説明するのが苦手ってことだってあるでしょ?
そんなヒマがあったら、その人にしかできない仕事を一生懸命やる方が、ひいては人類のためになるってもんよ」
「人類のためだったら、何したっていいってことないだろ?
どんなに重要な仕事だとしてもさ、それ以前に、友達なら友達に責任を果たすとかさ、
・・・親なら子どもに、とかさ、人間として基本的なことって、あるんじゃないの?
それよりも大事なことって、あるのかな」
「そりゃあ、あるわよ。人類史上に残るような、重要な仕事ってのは、一筋縄じゃないのよ?
そういう義理を欠いてでもやんなきゃなんないことだってあんでしょ。
周りの人が、それを理解してあげなくちゃダメよ」
「でもさ、その、大事な仕事だってさ、誰にも理解されなかったら、結局成し遂げられないよね?
周りの人に誤解されないようにするのはさ、その仕事をやり遂げるためにも、必要なんだよ」
「だから、それを代わりにやってあげる人がいればいいのよ。ジェーンみたいな」
「だったら、まず、ジェーンさんを見つけるべきだよね? 何もしなくていいってことじゃないよね?」
「・・・なるほど。まあ、そうね。誰か、理解者を探すってのは、やった方がいいかもね」
「誰にも理解してもらえないならさ、理解してくれる人を作るべきだし、
それもできないなら、自分で説明するしかないと思うんだけど・・・」
「何が言いたいの?」
「え? いや、別に・・・」
シンジは、アスカの視線を避けるように、テーブルに目を向けると、
あれ、こんなところに埃が、とでも言うように、右手で軽く払った。
「あんた、」
「あ、でも、そっか、じゃあ、ジェーンさんは、我慢強かったんだね」
アスカは、一瞬、何か言い掛けてから、それに答えた。
「我慢なんてしてなかったと思うわよ」
「そうなの?」
「しょっちゅう喧嘩してたのよ。手紙が残ってるの。9,000通も。
友達の間では、仲が悪いので有名で、良く冗談のネタにされてたみたいよ」
「そうなんだ。でも、意外だよね。それなのに、どうして、」
「そうなのよ。
ただね、その一連の手紙は、その頃のイギリスで最高の書簡集っていう評価なのよね。
文章のレベルも、書かれてる内容も。
確かに喧嘩ばかりしてたかもしれないけど、どこか、お互い、認め合ってた部分はあったのよ。
その証拠に、ジェーンが先に亡くなるんだけど、そのときトーマスはすごく落ち込むのよね。
ジェーンの回想録みたいの書いて、その中で、ものすごく後悔してんの。
結局、ジェーンあってのトーマスだったのよ」
シンジは、自分の皿に視線を移すと、少し黙っていたが、やがて口を開いた。
「奥さんが先に亡くなるのって、やっぱ、悲しいよね・・・」
「そりゃ悲しいでしょ」
「そうだよね、普通は」
シンジは、考え込むように、黙ってしまった。
お皿のチャーハンは、まだ半分ほど残っている。
アスカは、再びスープを一口啜って、黙ってそれを見ていたが、やがて口を開いた。
「あんたはどうなのよ」
「え? ぼく? なんで?」
シンジも、スープに手を伸ばした。
「つまり、ちょっと、性格に問題のある人と結婚したとして、ちゃんとフォローしてあげられる?」
「あー、そっちか・・・。ぼくは、そういうの苦手かな・・・」
「そうなの?」
「うん・・・。できれば、優しい人がいいな・・・」
「・・・ばっかみたい」
「なんでだよ」
「何がよ」
「いいだろ、別に」
「・・・例えば、
・・・例えば、あんたにだけは優しくても、他の人から見たら、少しだけ、問題あるかもしれないじゃない。
あんた、自分の奥さんが、他人から誤解されてて、平気なわけ?」
「それは・・・」
シンジは、顔を上げて、ラップの掛かったチャーハンを、焦点の定まらない目で眺めた。
「そっか。・・・トーマスさんも、ジェーンさんにだけは、誤解されたくなかったのかな・・・」
「さー・・・」
アスカは、ふう、と溜息をついた。
「でも、ジェーンのお墓には、トーマスが墓碑銘を書いてるのよね。
それは、ほんとに素晴らしくて、それだけ読んだら、確かに、二人が仲悪かったとはとても思えないわね」
「奥さんのお墓か・・・」
「うん」
「立派なお墓なんだろうね、きっと・・・」
「知らないけど、たぶん、そうじゃない?」
シンジは、再び、考え込んだ。
「で、どうなのよ」
「え?」
「あんた、奥さんをフォローしてあげる?」
「うん。もしもそうなったら、頑張ると思う」
「ほんと?」
「うん。でも、そしたら、ぼくは、奥さんよりも、一日でも長く生きなきゃダメだよね。
理解者が先に死んだらダメなんだよ。それはつまり、二人共死んじゃうのとおんなじなんだよ」
「へー」
アスカは、感心したように言った。
「いいこと言うじゃない」
「そう? ・・・でも、なんでそんなこと訊くの?」
「え? それは、・・・それは、あんたが、
・・・ほら、誤解させる方が悪いとか言うから、ほんとにそうなの? ってことよ」
「あ、そうなんだ。
でも、それは、やっぱり、たぶん、そうだと思うんだけど・・・。
でも、アスカの言うことも、なんとなく、分かった」
「ふーん。・・・ま、いっか」
そう言うと、アスカは、チャーハンを一口すくって、食べた。
「アスカはどうなの?」
「あたし?」
「うん」
「・・・何が?」
「だからさ、ジェーンさんみたいになりたいの?」
「あたしは・・・、それ訊いてどうしよっての?」
「だって、ぼくに訊いたからさ」
「・・・ま、そんなの考えるだけムダってもんよ」
「どうして?」
「だって、エヴァのパイロット以上に重要な仕事もそうはないでしょ?
てことは、あたしよりシンクロ率高くて、あたしよりエヴァの操縦のうまいパイロットと結婚しない限りは、
あたしがトーマスってことじゃない」
「あー、なるほどね。それは確かにムリだね・・・」
「何がムリなのよ」
「だって、アスカよりうまいパイロットなんて、そうそういないだろ?」
「何言ってんのよ。そうやって端っから諦めてたら、どうにもなんないでしょうが」
「何が?」
「え?」
「諦めるって?」
アスカは、それには答えず、チャーハンを一口頬張った。
もぐもぐと口を動かし、ごくん、と飲み込むと、訊き返した。
「え? 何が?」
「え? 今、そう言わなかった?」
「そうだっけ? ・・・あ、そうだ、ねえ、シンジ、あんたの誕生日、いつだっけ?」
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