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青山の鶴

「ミサトが起きんの待ってんの?」

お茶を一口啜って、アスカが尋ねた。

「いや、そうじゃないんだけど・・・」

シンジはそのまま口篭もってしまい、アスカは話題を変えた。

「零号機、来週運用復帰らしいわね」
「そうなの?」
「知らなかったの?」
「アスカって良く知ってるよね、そういうこと」
「あんたが知らなさ過ぎんのよ」

シンジは何も言い返さずに揚げ煎餅に手を伸ばした。

「自覚に欠けてんじゃないの?」

アスカが畳み掛けると、シンジはアスカの方をチラっと見てから、「そうかもしれない」と呟くように答えた。

「ったく、少しはちゃんとしなさいよ」
「アスカに関係ないだろ」
「あたしの足引っ張られちゃ困るじゃないの」
「いつ足引っ張ったんだよ」
「引っ張りまくりでしょーが」
「だからいつだよ」

アスカは少し言い淀んでから鉾を収めた。

「ま、あんたには借りが一つあるし。今日はこのくらいで許したげるわ」

そう言うと、再びお茶を啜った。 暫くそれを見ていたシンジは、やがて言った。

「明日の買い物、何かお菓子も買おっか」

アスカは、ぷっ、と噴き出し、あはは、と笑った。

「なんだよ、あった方がいいんだろ?」
「はいはい」

アスカは、笑いながら揚げ煎餅に手を伸ばした。

「あんた、今日はやることないの?」
「え? うーん、そうだね、別に・・・」
「雨降ってるから?」
「そういうわけじゃないけど」
「いつも一人のとき何してんの?」
「うん。漫画読んだり、音楽聴いたり・・・」

アスカは、ふーん、と言いつつ再びお茶を一口啜って、続けた。

「今日は、どういう風の吹き回し?」
「え?」

アスカは、揚げ煎餅の盛られている深鉢の方を軽く顎で指した。

「ああ、えっと・・・」
「何かあたしに話したいことでもあんの?」
「いや、そうじゃないんだけど」

シンジが答えられないでいると、アスカが、ふっ、と笑った。 シンジも、えへへ、と笑った。

「いつも三馬鹿で何話してんの?」
「その三馬鹿っていうのやめてよ」
「いいから答えなさいよ」

シンジは口をとんがらせつつ答えた。

「テレビの話とか、マンガの話とか、ときどき、使徒のこととか・・・」

アスカは、ふーん、と言いながら、左腕を椅子の背もたれに掛けて、シンジの方に少し身体を傾けた。

「ファーストの話とか、してないわけ?」
「え? いや、どうだろ、」
「どうなのよ」
「なんでそんなこと聞くの?」
「え? それは、」

アスカは、やや間を置いて答えた。

「つまり、情報源よ、情報源。そういう情報が入ったわけ」
「え? そうなの? じゃあ、そうなのかな・・・」

シンジはそっぽを向いて答えた。

「あたしの話は?」
「してないよ! それは絶対、してない」
「なるほどね」

そう言いながらアスカが右手で頬杖をついたのを見てシンジが言い返した。

「なんだよ、いいだろ別に」

アスカは、「はいはい」と言いながら頬杖を外し、両手をテーブルに突いて、天井を見上げた。

「あんたってほんと、話題に乏しいわね」
「そんなこと言われても」
「じゃあ、誕生日の話しか無いか」

そう言ってシンジの方を向いた。 シンジは少し目をしばたいてから言った。

「今日は・・・、用事ないの?」
「何よ、あんた遠慮してんの?」
「いや、遠慮っていうか・・・」
「あたしもヒマだから付き合ってあげるって言ってんの」

アスカはそう言うと、両手の指を組み合わせて掌を向こうに向けて腕を前に突き出し、うーん、と伸びをした。 続いて椅子の上で姿勢を正すと、凝りを解すように、肩の上で首を何回かくるくると回す。 その様子を見てシンジも、椅子に深く座り直して背中を伸ばした。

「ほら、あんたの番でしょ」
「うん・・・」

アスカがリクエストを出した。

「日本人で誰かいないわけ?」
「アスカが知ってるほど有名な人はいないかな・・・。あ、でも、日本に縁のある人なら、一人」
「誰?」
「グラバーさん」

アスカは、少し考えてから、再び「誰?」と訊いた。

「知らない?」
「あたしだって知らないことくらいあるわよ」
「教科書に載ってるよ?」
「どの?」
「歴史」
「歴史って、日本の?」
「うん」
「あたし、日本史に詳しいんだっけ?」
「あ、そっか、ごめん」

シンジは、下を向いた。

「いや、アスカ、いろんなこと知ってるし、てっきり知ってるかと・・・」
「こっちではそんなに有名?」
「うん。テレビの時代劇とかで良く出てくるし、マンガにも出てくるし・・・。 海外では無名なんだって、今初めて知ったよ」
「で、何者?」

そう言われてシンジは、うん、と頷いて、少し考えた。

「イギリス人の貿易商だったんだよね」
「いつ頃の?」
「明治維新の頃」
「あー、日本の近代化革命ね。19世紀だっけ?」
「うん。あ、じゃあ、坂本竜馬は知ってる?」
「聞いたことないわねぇ」
「そっか・・・。えっと、グラバーさんは、鉄砲とか軍艦とかを革命軍に売ったりした人なんだけど」
「武器商人ね」
「うん。あと、留学の手助けをしたりしたんだよね。 当時はほら、鎖国って言って、日本人は勝手に海外に行けなかったから、密航するしかなかったんだって。 それで、グラバーさんが留学させた人たちの中に、後で大臣とかになった人がいっぱいいたんだよね」

アスカは、うんうん、と頷いて、訊いた。

「で、その人がどうして歴史の教科書に載るわけ?」
「・・・言われてみれば、どうしてかな・・・」
「何よあんた、それじゃ勉強してる意味ないじゃないの」
「うん・・・。 でも、やっぱり、当時の外国人の商人の中で、いちばん有名だったってことじゃないのかな。 長崎には他にも外国人商人はたくさんいたらしいんだけど」
「ふーん」
「あと、長崎には今でもグラバーさんの邸が残ってて、観光名所になってるよ」
「行ったことあんの?」
「ないけど、でも、日本で最初の西洋式の建物だったんだって」

アスカは、ふーん、と頷いてから、「ん?」と言って、ゆっくりと右手を挙げた。 そしてそれをシンジを指差すように振り下ろした。

「その人もしかして、アレじゃないの? ほら、Madama Butterflyの」
「え?」
「ほら、Operよ」
「ああ、えっと、『蝶々夫人』?」
「そうそう! それよ。あれのモデルじゃない? 長崎に家が残ってるって話、聞いたことあるわよ」
「うん。でも、それは、そういう説もあるってだけで、他にも候補はいるらしいよ」
「そうなの?」
「テレビでそう言ってたけど・・・。 『蝶々夫人』だと、ピンカートンはアメリカに帰って別の人と結婚して、蝶々さんは自殺しちゃうでしょ? でも、グラバーさんはイギリス人だし、ずっと日本で仕事してて一度も帰国しなかったし、 誰も自殺なんてしなかったって」
「日本に来てから、死ぬまでずっと日本で暮らしたわけ?」
「そうらしいけど・・・」
「じゃあ、国際結婚したってことか」

そう言ってアスカは湯呑みに手を伸ばしかけた。

「アスカも、加持さんと結婚するんなら国際結婚だね」
「え?」

シンジはにこにこと笑っていた。

「でも今は国際結婚なんて珍しくないか」
「そんな先のことなんて考えたことないわよあたし」
「そうなの?」
「ていうか、あんたはどうなのよ」
「え? ぼく?」
「好きな人が日本人かどうかなんて気にするわけ?」
「いや、でも、言葉が通じないと、やっぱ・・・」
「じゃあ、言葉が通じれば問題ないってこと?」

そう聞かれてシンジは、アスカの顔をまじまじと見つめた。

「な、なによ」
「いや、うん、言葉が通じるなら、まあ・・・」
「言葉が通じてたって分かり合えない人たちだって多いのに?」
「え? いや、だったら尚更だろ」
「言葉が通じなくったって分かり合えることはあるわよ」

アスカはふんぞり返ってそう言い放った。

「そうかもしれないけど、でも、夫婦になるんだよ? 些細なことだって喧嘩になったりするのにさ、ましてや言葉が通じなかったら・・・」

アスカが、すっ、と息を吸ったのを見て、シンジの口調が途端に弱くなった。

「ダメなんじゃないかな・・・」

シンジはアスカに半眼で睨まれ、「ごめん」と言って下を向き、弱々しく言い添えた。

「でも、アスカならだいじょぶだと・・・」

アスカは、えっ、と声を上げた。

「何言ってんの? 何の話?」
「えっと、つまり、アスカ、日本語上手いし、それに、クラスでもすぐに友達できただろ? だから、相手の人が日本人でもさ、きっと問題ないんじゃないかって」

聞いているアスカの目はみるみる冷ややかになっていく。

「結婚は友達作るのとは違うわよ」
「そうだけどさ」
「だいたいなんであたしの結婚の話になってんのよ」

シンジが答えないでいると、アスカは椅子に深く腰掛け直した。 テーブルに置いてあった湯呑みを自分の方にゆっくりと引き寄せ、両手で包み込むように持った。 もうほとんど熱くないらしい。 しかし、飲むわけではなく、湯呑みを上から覗き込んでいる。 シンジは、そんなアスカの様子を上目遣いに窺って、やがて言った。

「変なこと言ってごめん」

そう言われてもアスカは、少しの間湯呑みの観察を続けていたが、やがて「いいわよ」と言った。 シンジはお茶を一口啜り、それから話題を変えた。

「日本って、外人が暮らすの、大変じゃない?」

アスカは顔を上げて訊き返した。

「え? そう?」
「え? そうじゃない?」
「なんでそう思うわけ?」
「いや、だってさ・・・」

そう言ってシンジは少し考えた。 アスカは揚げ煎餅を齧り、お茶を啜った。

「歩いてるだけでじろじろ見られたり・・・」
「そうなの?」
「そんなことない?」
「あたしの場合はそういう理由じゃないと思ってたけど」
「あ、そっか・・・。あとさ、やっぱりほら、文化とか習慣とか違うだろ?」
「そうだけど、それはどこの国だって同じでしょ? 日本だけ特別住み難い理由にはなんないじゃない」
「そっか」
「ドイツだって移民排斥運動けっこう激しいわよ」

アスカは手をパンパンとはたいて、指についた煎餅の粉を払い落とすと、 身体を捻ってシンクの下の収納の取っ手に掛けられているタオルに手を伸ばし、指先を拭った。

「アスカは偉いなって、思うんだよね、ときどき」
「ときどき?」
「あ、いや、」

シンジは慌てて手を振った。

「一人で日本に来て、エヴァに乗って・・・。 グラバーさんの頃に較べたら、それは今の日本はドイツの人にも馴染みやすいだろうけど、それでもさ」
「あんたに褒められたってうれしくないわよ」

そう言いながら、アスカは笑っていた。

「けっこう面白いじゃない、日本って」
「そう?」
「うん。珍しいものもいっぱいあるし、日本人のおかしな風習も、こっちが巻き込まれない分には面白いし」
「そうかな・・・」
「知ってる? ヨーロッパには日本マニアがけっこういんのよ」
「そうなの?」
「そりゃもう呆れたもんよ。いつか日本人になりたい、なんて言ってんのよね」
「へー・・・」
「日本語を勉強するのはまあいいけど、髪の毛染めてカラー・コンタクト入れて日本人の真似したり」
「えー? そこまでやるの? 何の為に?」
「そんなの知らないわよ。でも、あいつらリツコを見たら卒倒するわね」

シンジは、ふうん、と言って、一瞬置いてから、あはは、と笑いだした。

「あたしは良く知らないけど、そのグラバーって人も、日本が好きになったんじゃないの?」
「うん。そうだといいね」

シンジもお茶を啜って続けた。

「武器の貿易の仕事は、代金を踏み倒されたりして破産しちゃうんだけど、 それでも帰国しないで、政府の仕事を手伝ったり、死ぬまで日本で活躍したんだって」
「骨を埋めたってことね」

シンジは、うん、と頷いてから、あのさ、と切り出した。 が、続きがなかなか出て来ない。

「なによ。何か言いたいわけ?」
「えっと・・・、アスカは、これが終ったら、やっぱり、ドイツに帰る?」

アスカは、シンジの顔をまじまじと見つめ、それから言った。

「なんで?」
「ごめん」

シンジは下を向いて謝った。

「なんで謝んのよ」
「いや、あの・・・、聞いちゃいけないのかな、とは思ったんだけど・・・」

アスカは、シンジの下を向いた頭を見ながら少しの間黙っていたが、やがて言った。

「普通は、帰るだろうと思うもんなんじゃないの?」
「そうだよね」
「だったらなんで聞いたわけ?」

シンジが顔を上げた。

「うん・・・、なんでだろ?」
「なんで聞いちゃいけないと思ったわけ?」
「うん・・・、いや、なんでだろ?」

シンジは、えへへ、と笑った。 アスカは、ほんっとにバカね、と呟くと、湯呑みを空けた。

「もう一杯もらおっかな」
「うん。待ってて」

つづく