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剣の舞

「・・・あ、そうだ、ねえ、シンジ、あんたの誕生日、いつだっけ?」
「ぼく?」
「うん」

アスカはそう言いながら散蓮華を動かし続けている。

「6月6日だけど・・・」
「へー。じゃあ、まだずいぶん先ね」
「そうだね」
「誰か、同じ誕生日の有名人、いないの?」
「うん。いるよ・・・、あ、でも、アスカは知らないかも、」
「なによそれー。あたしが知らないんじゃ有名とは言えないじゃないの」
「あ、あの、音楽やってた人ならたぶん誰でも知ってるんだけど、」
「いいから言ってみなさいよ」
「えっと・・・、ハチャトゥリアンなんだけど」

アスカは、ああ、と声を上げ、口の中のものを飲み込むと、チャチャチャチャチャチャチャ、と、 “剣の舞”の旋律を口ずさみ始めた。

「そう、それ!」

シンジは破顔し、一緒になって、チャララッチャッチャッ、と、声を合わせた。

「なによ、めちゃくちゃ有名じゃないの」
「そうだよね、やっぱり」
「あたしが知らないかもですって?」
「いや、つまり、ちょっと自信なくて・・・」

そう言うと、シンジは、えへへ、と笑った。

「あ、でもさ、それ以外のハチャトゥリアンの曲、知らないんじゃない?」

アスカは、一瞬言葉に詰まった。

「まあ、確かに・・・」
「だろ? ハチャトゥリアンも、そのことずいぶん気にしてたんだって」
「そうなの?」
「ハチャトゥリアンが最初に“ガイーヌ”を書いたとき、“剣の舞”は入ってなかったんだよね」

シンジが一息入れてチャーハンを頬張った。 アスカは、少し逡巡していたが、やがて口を開くと、訊ねた。

「“剣の舞”って、つまり、“Sabre Dance”のことよね?」
「え? えっと、さっきの曲」
「“ガイーヌ”って?」

シンジは、うん、と頷いて、説明を続けた。

「“ガイーヌ”はバレエ作品で、“剣の舞”は、その中の一場面で使われる曲なんだ」
「あー、そういうこと」
「でも、最初はその場面は無かったのが、初演の前日に急遽追加になったんだって。 それで、徹夜で書いた曲が、」
「へー! それスゴイわね!」
「だろ? だけど、この曲だけすごく有名になっちゃって、 本人は『こんなことになるなら、こんな曲書かなければ良かった』って、言ってたらしいよ」
「それもずいぶんな言い草ね」
「そう?」
「だって、あの曲書かなかったら、こんなに有名になってないでしょ? ハチャトゥリアン」
「いや、それはないよ。 そもそも“ガイーヌ”をキーロフ・バレエが演ってくれたのだって、それまでに書いた曲の評判が良くて、 有名になってたからだもん」
「あ、そうなの?」
「うん。今でも、“剣の舞”以外にも、ハチャトゥリアンの曲はテレビや映画でけっこう使われてるんだよ。 フィギュア・スケートの浅田選手も、“仮面舞踏会”を使ってたし」
「へー、それは知らなかったわ」

再びチャーハンに取り組み始めたシンジに、スープを飲み干したアスカが訊ねた

「それで、なんであんたはそんなに詳しいわけ?」
「え?」
「ハチャトゥリアンのファン?」
「うん、まあね。同じ誕生日だって分かって、それで、」
「なるほどね」
「あ、そうだ、それでさ、」

シンジは勢い込んで言った。

「ハチャトゥリアンは、18歳のときにモスクワでチェロを習い始めるまでは、 音楽の勉強したことなかったんだって」
「へー」
「新しいことに挑戦するのに、遅過ぎるっていうことはないんだね。 でも、本当にそれで成功しちゃうっていうのはすごいよね」
「それって普通のことではないわけ?」
「ベートーベンもモーツァルトも、偉大な音楽家って言われる人は、だいたい、 もっと小さい頃から音楽の英才教育を受けてるんだよ」
「なるほど。まあ、そうでしょうねぇ・・・」
「才能があったんだろうね。天才だよね」

それを聞いて、アスカが憤然と言い返した。

「天才ってーのはあたしみたいのを言うのよ」
「え? じゃあ、アスカ、やっぱり音楽やってたの?」
「なんであたしが音楽やんなきゃなんないのよ」
「いや、そうだけど、」
「そのハチャトゥリアンだって、子どもの頃からちゃんと音楽やってれば、 もっとスゴい作曲家になってたってことじゃないの。 そうやってサボってるから、“剣の舞”が代表作になっちゃうのよ」
「いや、それはどうかな・・・」
「なんでよ?」
「ハチャトゥリアンの曲って、産まれ育った地域の音楽の影響が大きいんだよね」
「どこなの?」
「グルジアだって」
「グルジア人か」
「ううん。産まれたのはグルジアだけど、アルメニア人なんだ」
「あー、なるほど・・・」

アスカが大きく頷くのを見て、シンジが訊ねた。

「何が?」
「アルメニアはね、歴史的に周辺諸国の侵略を受け続けてきた国で、アルメニア人は世界中に散らばってるの。 隣国のグルジアにもいっぱいいるんだけど、グルジア人とアルメニア人てとにかく仲悪いのよね」
「へー。そういえば、あの辺って、いつも戦争ばっかやってるような、」
「好きでやってるわけじゃないわよ。でも、いろいろ問題が多いのは確かね」

シンジは、うんうん、と頷くと続けた。

「ハチャトゥリアンの家は、すごく貧乏だったんだって。 だから、英才教育なんてムリだったんじゃない? それに、もしもハチャトゥリアンが裕福な家の生まれで、早くからモスクワで音楽を勉強してたら、 “剣の舞”みたいな曲は書かなかったんじゃないかな。 もちろん、才能はあったんだろうけど、故郷で長く過ごした間に身体に染み付いた音楽があったから、」
「その才能も開花したってわけか」
「うん」

目を輝かせて語るシンジを見ながら、アスカは少し間を置いてから口を開いた。

「まあ、でも、そんなのは例外中の例外でしょ。 あんただってまさかハチャトゥリアンがBeethovenより偉大だとか思ってるわけじゃないでしょ?」

シンジは、少し戸惑ってから答えた。

「比べて意味があるかどうか分からないけど、一般的にはベートーベンだよね、やっぱり」
「でしょ?」
「うん。だけど、なんで?」
「何が?」
「アスカは、ベートーベンが好きなの?」
「あったりまえでしょー? 作曲家はドイツ人がいちばんエライのよ。 Bach, Beethoven, Brahms, und Wolfgang Amadeus!」
「ああ、なるほど・・・」

アスカは、更に何か言い掛けてやめた。 が、それを見たシンジが何も言わないでいると、 アスカは、口をへの字に結んだり、開き掛けたりしながら、やっと言った。

「小さい頃から英才教育を受けて、人一倍努力した人が、 ただ才能があるってだけで何もやってこなかった人より劣ってるなんてことは、 神様が許してもあたしは許さないってこと」

シンジは、暫し押し黙り、思い出したようにスープを啜った。 アスカは、チャーハンの残りを掻き込んで、「ごちそうさま」と言った。

「あ、お茶淹れる?」
「いいわよ、あんたが終ってからで」
「うん」
「早く食べちゃいなさいよ」
「うん」

そう言って散蓮華を動かし始めたシンジだったが、突然「あのさ」と言って、話し始めた。

「ハチャトゥリアンがベートーベンみたいな曲を書かなかったのには、別の理由もあるんだよね」

アスカは、一瞬眉を顰めたが、ふう、と息を吐くと、「そうなの?」と先を促した。

「うん。当時のソ連は、そういう作品を作れる環境じゃなかったんだ」
「へー・・・」

アスカは、少し身を乗り出すと、下を向いてチャーハンを食べながら話すシンジに、「それで?」と訊ねた。

「ソ連では、芸術家は、社会主義の成功を芸術で表現しなければならない、っていう決まりがあったんだって。 社会主義リアリズムって言うらしいんだけど」
「うん」
「クラシックは、抽象的で分かり難いから人民向けじゃないって言われて、ソ連では批判されたんだ。 プロコフィエフとショスタコーヴィチとハチャトゥリアンは、ソヴィエトの三大作曲家って言われてるけど、 三人とも政府に批判されて、失職したりしてるんだよね」
「つまり、ハチャトゥリアンがBeethovenになれなかったのは、ソヴィエト政府のせいだって言いたいわけ?」
「いや、そこまでは言わないけど・・・。 標題音楽っていうジャンルがあってさ。 それは、曲自体が何かのテーマを表現するようにできてて、それを聞くことで、 そのテーマのイメージが聴衆に伝わることを狙ってるんだよね。 だから、普通、標題音楽は、そのテーマが何かっていうことは、具体的に説明しないんだ。 それは、曲を聞くことで分かって欲しいっていうことなんだけど。 ハチャトゥリアンが批判されたのは、その標題音楽を書いたからだったんだ。 ハチャトゥリアン自身は、その曲で社会主義の素晴らしさを表現したつもりだったんだけど、」
「コミュニストだったの? ハチャトゥリアンが?」

アスカが突然遮った。

「あ、それはどうか知らないけど、でも、当時はそういう時代だったってことじゃないのかな。 “ガイーヌ”だって、コルホーズの中で起きる事件を扱ったものだし」
「へー、そうなんだ・・・」
「それで、解説とかを付けないで作品を公開したのが、抽象的で難解だってことで批判されちゃったんだ」
「コミュニストに音楽が理解できるわけないでしょ」
「そうなの?」
「そうよ」
「良く分からないけど・・・。 もちろん、ハチャトゥリアンが、自分の音楽を全然書けなかったわけじゃなくて、 むしろ、ハチャトゥリアンにしか書けない音楽をたくさん書いてるんだけど、でも、 じゃあ、書きたい音楽を全部自由に書けたかっていうと、そうじゃなかったんじゃないかな、って」
「つまり、何が言いたいのよ」
「だから、ベートーベンと比べても意味はないっていうか、環境も違うし、やりたかったことも違うから、 どっちが偉大とかじゃないんだよ」

シンジは、少し顔を上げて、アスカの方を、ちらっ、と見た。 アスカは、腕組みをして何かを考えている風だったが、やがて口を開いた。

「その、標題音楽ってやつ?」
「うん?」
「つまり、『沈黙は金』ってことよね」
「え?」
「何も言わないことで、逆に、何かが意図した形で伝わることを期待するものなわけでしょ?」
「うん、まあ、そうだけど・・・」
「あんたがさっき批判してたことじゃないの」
「いや、それは、」
「違うっての?」

シンジは、下を向くと、チャーハンの残りを掻き込んだ。

「お茶淹れるよ」
「うん」

シンジは、二人分の食器をシンクに運んで軽く水を回し掛けた。 戸棚から急須とほうじ茶の茶筒を取り出し、茶葉を掬って急須に入れる。 二人分の湯呑みを取り出して、ポットのお湯を注ぎ、少し冷ましてから、急須に移した。

「そうかもね」

シンジは、お茶が出るのを待ちながら、テーブルには背を向けたまま、言った。

「やっぱり、それは、説明しない方が悪いのかな。 音楽として優れてるかもしれないけど、誰かに何かを伝える方法としては、それじゃダメなんだね」
「頑固ねぇ」

そう言われて、アスカの方を振り向いた。

「そうかな」
「それが本当に優れた音楽なら、そういう音楽を世に出す方が、人類にとってよっぽど重要じゃないの。 それが政治家どもに批判されたからって何だってのよ」
「・・・そっちだって頑固じゃないか」
「しょうがないじゃないの。あたしが正しいんだから」

シンジは、ふふっ、と笑うと、急須の中の状態を確かめ、湯呑みにお茶を注ぎ始めた。

「はい。熱いから気を付けて」
「うん。ありがと」

つづく