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Act Call / 間もなく開演

8月5日。水曜日。

作戦が失敗した翌日ではあったけれど、ぼくは普段どおりに学校に行った。 昨日一緒に副司令からお目玉を食らった惣流は休み。 ただでさえ出席日数が不足しがちなぼくたちなのに、惣流のやつ、 このくらいのことで休んでてだいじょぶなのかなぁ。 綾波だって、午後からネルフっていう日でも、2時間目までは授業に出てたり、頑張ってるのに。 まあ、他人事だし、どうでもいいか。

6時間目の数学の授業が終わって、洞木さんの仕切りでホーム・ルームが済むと、 掃除当番でもないぼくはミサトさんちに戻る。 戻ってやることも結局掃除だったりするんだけどね。

「ただいまーっ」って言ってみるけど、もちろん、返事はない。 この時間、ミサトさんはまだネルフで働いてるんだから当たり前だ。 でも、ほんのたまにだけど、何かの都合で家にいることもある。 そんなことも考えて、一応帰宅の挨拶をしてしまう。 帰って来たのに挨拶もしないのっ、ってミサトさんに言われるのはイヤだから。 それに、おかえりなさい、って思いがけず言ってもらえると、ちょっと、うれしいから。

靴を脱いで上がり、キッチンを通って廊下に出る。 すると、ぼくの部屋の前に、今朝はなかったダンボール箱やトランクが山積みになっているのが見えた。 なんだろう? ダンボール箱からブラがはみ出したりしてるから、ミサトさんのだね。 ネルフに置いてる荷物を、まとめて送りつけてきたのかな。 後で荷解きを手伝わされたりするんだろうなぁ。 めんどくさい。 ・・・などと思いながら部屋の襖を開けた。

「なんだこれぇ!」
ダンボール箱の山脈ができていた。

「失礼ねっ」
驚いて振り返ると、惣流がいた。 タンクトップにジョギング・パンツなんか穿いて、首にはタオルを掛けている。 あたかも、先に一風呂浴びたわよっ、って感じだけど、ここ、君の家じゃないよ?
「あたしの荷物よ」
そう言うと、腰に手を当てふんぞり返りつつ、缶入り紅茶をグイっと呷った。
「な、何で惣流がここにいるんだよ」
「あんたこそまだいたの?」
「まだ、って・・・え?」
「あんた今日からお払い箱よ」
惣流が、哀れむような目で言った。
「え?」
惣流は、廊下にも山と積まれているダンボール箱の上に紅茶の缶を置き、こちらに歩み寄ると、 ぐいっ、と身を乗り出して、自分を指差した。
「ミサトはあたしと暮らすの。 ま、どっちが優秀かを考えれば当然の選択よね。ホントは加持さんと一緒の方がいいんだけど」
惣流は、「あたしと」にアクセントを付けて、言った。 つまり、ミサトさんはぼくを見限って、惣流を選んだ、ってこと? そんな、信じられないよ。 まさか、昨日の戦闘で、惣流の一方的な言い分が通ったってこと? もう、エヴァに乗らなくて良くなるのなら、それはそれでいいかもしれないけど、でも、 だからって、ぼくはもういらなくて、代わりに惣流だなんて、あんまりだ。・・・あんまりだよね?

「しっかし、どーして日本の部屋って、こう狭いのかしら。荷物が半分も入らないじゃない」
そう言われて思い出したけど、この部屋にあったぼくの物はどこに行ったんだろう。 そう思って廊下を見回したら、端っこのダンボール箱に、 見覚えのあるネームプレートや服が突っ込まれて捨てられていた。 いくらなんでも、これはヒドいよ。 馘になったんだとしても、死んだわけじゃないのに・・・。

こうして、ぼくのストレス源が、また一つ、増えることになった。

どうしてこう、頼んでもないのに、めんどくさいことばかり降り掛かってくるんだろう。 静かに暮らしたいのに・・・。

惣流がここにいる訳は、ミサトさんが説明してくれた。 昨日の戦闘で仕留め損なった使徒は、現在自己修復中で、6日後の再侵攻が予想されるそうだ。 この使徒は、2体に分離したり、また合体したりするので、確実に仕留めるためには、 分離した状態の2つのコアを同時に破壊しなければならないらしい。 そこで、次の作戦では、ぼくと惣流のタイミングを合わせて、 2体のエヴァで2つのコアを同時に攻撃することになった。 ついては、パイロットであるぼくたちの息が合うように、暫く一緒に暮らせっていう話だった。

どうやら、ぼくは馘になったわけではないらしい。 ほっとしたような、残念なような。

惣流がここに越してくるというのは、そういう作戦だっていうことなら、仕方ないのかな。 仕方ないのかもしれないけど、でも、ぼくたち二人にそんなことできるんだろうか。 惣流の物言いはいちいち頭に来るし、惣流の方もぼくをバカにしてるみたいだし。 ぼくが合わせようとしたって、向こうはちゃんと合わせてくれるんだろうか。 あんまりうまくいくと思えないけど。

でも、うまくいかなかったら、どうなっちゃうんだろう。

ぼくも、ミサトさんも。

ネルフも、第3新東京市も。

ミサトさんは、すぐにも練習に入りたかったようだ。 しかし、6日間しかない、とは言っても、6日間もあるわけで、その間もぼくたちは生活しなけりゃならない。 その準備は必要だ。

部屋を追い出されるのはものすごく釈然としないんだけど、ミサトさんに頭まで下げられてしまったので、仕方ない。 仕方ないと思うことにした。 今まで納戸だった部屋を煤払いして雑巾掛けした。 空気を入れ替えたら、なんとか住める気がしてきた。 布団を移して机周りを整理して、お引越し終了。

ところが惣流はまだ荷解きをやっている。 一人であんなにたくさん荷物を持ち込むからだよ。 自分が扱える範囲にしときゃいいのに。

狭い部屋では息が詰まる。 さっきミサトさんから渡された曲を聞いてみようと思って、リビングにヘッドフォン・ステレオとMDを持っていった。 作戦では、この曲のリズムに合わせることで、2体のエヴァのタイミングを合わせるのだそうだ。

Both of You, Dance Like You Want to Win ! by Sagisu, S., 1995.

20年前の曲か。 聞いたことのない人だけど、誰だろう?

ヘッドフォン・ステレオで聞こうとしたところで、ミサトさんが現れた。
「ねー、シンちゃーん、相談があるんだけどー」
ぼくは、右耳のイヤフォンだけ外して、
「なんですか?」
と訊いた。
「今日の夕食当番、代わってくんない?」
「いいですけど、どうしてですか?」
「ほら、アスカの歓迎会やらなくちゃいけないでしょ? でも、あたしじゃ、ちょっち、ね」
なるほど。 しかし、ここのところ、ぼくは惣流のせいでかなり理不尽な目に遭ってる気がする。 そのぼくにそういうことを言うんですか、ミサトさん。
「ぼくは、あんまり歓迎したいって思わないんですけど・・・」
「うーん、やっぱり、そうなっちゃう?」
「はい」
「そうよねー・・・」
ミサトさんは、ほとほと困った、という顔をした。 ミサトさんを困らせたいわけじゃなかったから、少し、後悔した。

ぼくが、「あの、」と言うのと、ミサトさんが「じゃあ、」と言うのが同時だった。
「なに?」
ミサトさんが先に訊いた。
「じゃあ、当番は代わりますよ。その代わり、明日、お願いしますね?」
「ほんと? 助かるわー」
「でも、惣流がどんなものが好きか、ぼく知らないですよ?」
「だいじょぶよ。シンちゃんのお料理なら全く問題なし」
「生野菜切れちゃってるんですけど」
「そうなのよねー」
「買出し、車出してもらえますか?」
「うーん、実はけっこう仕事溜まっててねー・・・」
「じゃあ、冷蔵庫の食材、何でも使っていいですか?」
「もちコース」
ミサトさんは、ぐっ、と右手の親指を突き出した。
「分かりました。じゃあ、もう、支度しないと」

キッチンに向かい、エプロンを着けた。 メニューを決めようと思って、冷蔵庫を検めてみた。

冷凍庫に残ってる肉類でいちばん量が多いのは鶏肉か。メインは鶏料理にしよっか。 歓迎会ってことは、派手な色の料理がいいよね。 鶏肉を解凍してニンニクと塩コショウで下味つけて、 玉ねぎピーマン茄子パプリカをバターとオリーヴ油で炒めて、トマト・ソースとバジル・ペーストで煮込むか。 赤かったり黄色かったり紫だったり緑だったりで、たぶん、楽しいよね。 惣流は、赤が好きみたいだし。

あ、ミサトさん用のサラミが残ってるな。これも切ろう。 ドイツって言えばソーセージだし、サラミも好きだよね、きっと。 サラミのお供といえばキュウリだけど、切らしちゃってるな。 オニオン・スライスで代用するか。 サラダの代わりになるだろうし。

スープは、と・・・。 冷凍の剥きエビがあるな。エビと増えるワカメでいいか。 大根と長ネギも入れて、白ゴマでアクセントつけて、仕上げにゴマ油たらせば・・・って、それじゃ中華料理だよね。 エビと長ねぎをバターで軽くソテーしてからスープにするか。 エビの発色も良くなるだろうし、香りも良く出るだろうし。 仕上げもオリーブ油にすれば洋風になるだろ。

歓迎会なんだから、あと一品、なんか欲しいよね。うーん・・・。 冷蔵庫のものじゃどうにもならないな・・・。となると、缶詰か。 あ、そうだ、コンビーフあったっけ。 ジャガイモの千切りと混ぜて、ガレットにしよう。 こないだミサトさんに好評だったし。

ご飯は朝炊いたのが余ってるんだよなぁ・・・。 でも、もしかして、惣流、ご飯は苦手かな。 コンソメと、ミサトさん専用のブルー・チーズで、リゾットにするか。 食材、何でも使っていいって言ってたし、そのくらい、罰は当たらないだろ。 そしたら、余ってたシメジも入れよう。豪華な感じになるし。 でも、念の為、パンも用意した方がいいかな。

・・・なんでこんなに一生懸命考えてるんだろ。 歓迎するつもりなんて全然ないのに・・・。

ぼくがパーティ料理を作っている間、ミサトさんは、ダイニング・キッチンのテーブルで仕事をしていた。
「部屋でやったらどうですか?」
「机の上が塞がってんのよ」
「散らかってるんじゃなくて?」
「ふ・さ・がっ・て・ん・の」
「極秘」とか書かれている赤いハンコのついた資料がいっぱい、無造作にテーブルの上に置かれている。 ぼくが見ちゃってもいいのかなぁ。 というか、ビール缶の底の丸い跡がついちゃったりしてるんだけど、いいのかなぁ。

料理が一品ずつ出来上がるたびに、ミサトさんに少しずつつまみ食い・・・味見されてしまう。 口が寂しいのは分かるけど、おつまみにナッツとお煎餅出してるんだから、そっちに手を付けてくれればいいのに。 元々ミサトさんのお金で買った食材だから、文句を言う権利はないんだけど。

最後の、鶏肉のトマト煮が仕上がった。 いちばん大きなボウルにたっぷりと盛り付けて、上から粉チーズを振りかけた。 ミサトさんが、仕事の手を止めて、「お~」と、声を上げた。
「今日は、これでどうですか?」
「さっすがシンちゃん! 完璧じゃなーい」
ミサトさんはトマト煮の香りを嗅いで、「う~ん、いい匂いね~」とか言ってる。
「なんだかんだ言って、やっぱりアスカのこと、考えてくれてんのね」
「いや、そういうわけじゃ・・・」
「なーに言ってんのよう。だってほら、この赤いの、弐号機の色なんでしょ? このお料理見れば一目瞭然じゃない。アスカもきっと喜ぶわ」
「だといいですけど」
「じゃあ、飲み物用意してくれる? あたし、呼んでくるから」
ミサトさんはテーブルの上のものを自分の部屋に片付けて、廊下の方に出て行った。

テーブルの上を拭いて、3人分のナプキンと食器を用意し、ミサトさんのビールを出して待っていたが、 二人が現れるまでには少し間があった。 やがて、ミサトさんが現れ、その後ろから、なにやらブツクサ言いながら、惣流が入って来た。 ところが、そこに広がっている光景を見るや、そのブツクサが止んだ。

ぼくは、
「ジュースと麦茶、どっちがいい?」
と訊いたが、それは聞いてないようだった。 テーブルを見詰めたまま、
「これ、あんたが作ったの?」
と訊き返してきた。
「うん、まあ・・・」
「全部?」
顔を上げて、こっちを向いた。
「他に作る人いないからね」
苦笑しつつ答えた。 惣流がミサトさんの方を向くと、ミサトさんが笑顔で頷いた。
「シンちゃんがね、アスカを歓迎するんだ、って、頑張って作ったのよ」
「ぼく、そんなこと言ってませんよ」
惣流は、再びこっちをチラっと見たが、すぐに下を向いた。 テーブルを見回し、赤いお箸の他に、フォークとナイフも用意してある席が一つだけあるのを見つけると、 そこに座って言った。
「麦茶でいいわ」
なんだ、聞いてたのか。

ミサトさんの発声で乾杯して、夕食になった。 近頃ミサトさんは、ぼくの料理を褒めちぎることが多いんだけど、 今日はわざわざ当番を代わらせた引け目があるのか、いつもよりもちょっとお世辞が多かった気がする。 惣流も少し引いちゃってるよね。 ミサトさんに、美味しいでしょ、って訊かれても、まあね、って答えるだけだし。 今日は歓迎会なんだから、料理のハナシはもうその辺でいいじゃないですか、って言って、話題を替えてもらった。

「アスカはシンちゃんに自己紹介したの?」
「したわよ。ミサトもいたでしょ?」
「てことは、まだアレだけ?」
「他に話すことなんてないじゃない」
「いっぱいあるじゃなーい。ドイツの学校のこととかさ、」
「そんなの、聞きたきゃ訊いてくるでしょ」
ミサトさんはぼくを見たが、別にぼくは聞きたくはない。 そんな、「お前には失望した」みたいな顔しないで下さいよ。

ぼくが口を開く気配がないと悟ったのか、ミサトさんが続けた。
「シンちゃん、アスカはね、すごいのよ、」
「やめて」
惣流が遮った。
「そっか。ごめんなさい」
ミサトさんが謝っても、惣流は何も言わなかった。ホントに、誰に対しても失礼なやつ。
「シンちゃんも、お父さんの話とか、してないの?」
「聞きたきゃ訊いてくるでしょ」
お返しのつもりだったが、惣流は興味を持ったようだった。
「あんた、司令の息子だっけ?」
「うん」
「そうね。司令がどんな人かは知っておきたいわね」
そう言われると、困る。
「・・・ぼくも、良く知らないんだ」
「あんたバカぁ? 自分の父親じゃないの。知らないってことがあるわけないでしょ?」
「そんなこと言ったって知らないものは知らないよ。一緒に暮らしてたときの記憶なんてほとんどないんだし」
「ふーん、そうなんだ。役立たずねぇ」
「お前の役に立つために生きてるわけじゃないよ」
「人間の価値は役に立つかどうかで決まるもんなのよ」
「まあまあ、二人とも・・・、今日は歓迎会なのよ」
そう思ってるのはミサトさんだけですよ。

「ところでアスカ、荷解きはまだかかりそうなの?」
「そうねぇ、3/4くらいは終ったんだけど、まだ大物がいくつか残ってるのよね」
「ふうん。じゃあ、シンちゃんに手伝ってもらう?」
えー。
「いいわよ。あたしの荷物なんだから、自分でやるわ」
そうだよ。当然だ。
「でも、それが原因で訓練の開始が遅れても困るんだけど」
「・・・なるほどね。それを言われちゃ仕方ないか。じゃあ、あんた、この後手伝いなさい」
何でそうなるの?
「シンちゃん、お願いね」
仕方ないか。
「はい」
「なによあんた、イヤなの?」
あ、分かった? なるべく、イヤそうに聞こえないように言ったつもりだったんだけど・・・。
「イヤ、ってことじゃないんだけど・・・」
「だったらやんなさいよ。上司の命令でしょ?」
「アスカ、命令なんてしてないわよ。シンちゃんは好意で手伝ってくれるの。そうでしょ?」
ミサトさんがぼくの方を向いてダメを押した。 なるほど。さっき散々褒め倒してたのは、このための罠だったのか。
「も、もちコース」
親指を突き出したりしてみた。

我ながら情けない。

ぼくの部屋は、いや、今や惣流の部屋は、すっかり様変わりしていた。 奥の方に、スチール・パイプとビニールでできた、組み立て式のクローゼットが二つ立ち並んでいる。 窓際に書き物机が入って、その脇と、ベッド・サイドに、引き出し付きのサイド・テーブルが1つずつ。 女の子の部屋、っていう感じは全くない。むしろ、機能的だ。 それとも、この後、ぬいぐるみやらお化粧台やらが出てくるんだろうか。

「そっちの箱から本箱出して、組み立てて」
「その前にさ、これ、養生しようよ。この部屋、カーペットだからさ」
「どういうこと?」
「ほら、その、ベッドの下みたいにさ」
ベッドは、ぼくが使ってたときにしておいた養生がそのままだった。

廊下にまとめられていたダンボールの空き箱を切って板状に重ね、机とクローゼットの下に敷いた。
「こうしとけば、跡が付かなくていいでしょ? 次の模様替えのときにさ」
「なるほどね。じゃあ、本箱の分も、3つ、作っといて」
惣流はそう言うと、本箱を組み立て始めた。

養生が済んでから、荷解きを手伝った。 惣流がぼくを連れて廊下に出る。 部屋の前に積んであるダンボールを指して、
「じゃあ、ここの箱5つ。開けて、中身持ってきて」
と言って、部屋の中に入っていった。 廊下に置いといたままだと作業しにくいな、と思って、部屋の中に入れようとしたけど、 めちゃくちゃ重くてびっくりした。 ワレモノだったりしたらマズいな、と思って、その場で開けてみた。

本だ。

外国語の本がぎっしり詰まっていた。 そりゃ重いはずだよ。 「Evangelion」とか「NERV」とかの単語が書かれているものもあるけど、ほとんどがぼくには全く意味不明。 でも、小説やマンガの類でないことはさすがに分かる。 これらは、たぶん、マニュアルや技術文書だろう。 そんなのが次から次へ出てくる。
「ちょっと、何やってんの、さっさと寄越しなさいよ」
ぼくは、慌てて、何冊かひっつかむと、部屋に戻って惣流に渡した。 惣流は、渡された本を本箱に整理して納めてゆく。 次のダンボールも、その次のも、本がびっしりだ。 惣流が自分でまとめたらしいノートも山ほど出てきた。 美しい筆記体で書かれた耳がついている。 角が磨り減ってるのは、何度も何度も読んだからだろう。 最後に、日本語の教科書や辞書などに混じって、大江健三郎と三島由紀夫が出てきた。

惣流を、少し、誤解していたかもしれない。

少なくとも、何の理由もなく威張ってるわけじゃないんだ。 きっと、ものすごく、努力してきたんだ。

「なによあんた、どうかしたの?」
「え? い、いや、なんでも・・・」
「言いたいことがないんなら働きなさいよ。いつまで経っても終んないでしょ?」
「ごめん。えっと、次はどれ?」
「あ、そっか。本はこれで終わりね。じゃあ、次は・・・」
惣流は廊下に出た。ぼくも後を付いていく。
「ここの四つ。一つを除いてそんなに重くないから、中に入れて。絶対落とすんじゃないわよ」

出てきたのは、デスクトップ型のパソコンと、周辺機器だった。 専用の、厳重な包装に包まれている。 大きなダンボール箱に、ハード・ディスク・ドライブが一つだけ、なんていう箱もあった。

惣流は、電源やらその他のケーブルやらをつないでセット・アップに余念がない。
「これ、ダンボールはどうする?」
「専用包装の入ってるやつは、そのまま廊下に積んどいて。ここ出るときまた使うから。 あとは他のとまとめて廊下のゴミ箱でいいわ」
惣流は手を休めずに答えた。
「分かった」
ぼくは、ダンボールを拾い集めて紐で縛り、次の資源ゴミの日に捨てやすいよう、まとめた。

「他に、やることない?」
「そうねぇ。あんたにできるようなことはもうないわね」
「じゃあ、掃除機掛けてやるよ」
自分でもなんでそんなことを言ったのか分からない。 机の下に潜っていた惣流も、顔をこっちに向けた。
「いや、必要なければ、いいんだけどさ、ほら、少し、埃が・・・」
「ありがと。やっといて」
何故だか、ほっとした。

ぼくが掃除機を掛けている横で、惣流がパソコンを起動している。
「Alles gut.」
「え?」
「なんでもない」
掃除機を切る。
「何か言った?」
「ううん。ちゃんと動いたから、動いたわ、って言っただけ」
なんだ、そうか。
「おかげで助かったわ」
惣流は、椅子から立ち上がりながら言った。
「いいよ、別に」

もうぼくのすることはなかった。でも、何か話すこと、ないかな・・・。あ、そうだ。
「ところでさ、」
「ん?」
「ここの家の家事のことなんだけど・・・」
惣流は無言で先を促した。
「今は、ミサトさんと二人で、当番制で、炊事とか、掃除とか、やってるんだけど、惣流は、」
「あたし、そんなの聞いてないわよ」
「いや、聞いてないって、」
「ミサトが自分の都合で呼んだんだから、ミサトが責任持つべきでしょ?」
「いや、それ、変だよ」
惣流は首を傾げた。
「・・・変じゃないかな・・・」
「何で?」
「だって、今まではどうしてたのさ」
「ドイツではパパが家政婦雇ってたし、こっちではホテルだけど?」
「あ、そういうことか・・・」
「まあ、その気になればできないことはないけど、あたしが日本に来たのはそんなことのためじゃないってこと。 あんたも、余計なことに気を回してるヒマがあったら、次の作戦のこと、考えた方がいいわよ」
「余計なことって、暮らしていくには必要なことだろ?」
「そうだけど、エヴァのパイロットが考えることじゃないでしょ? って言ってんの。 あんたは確かに料理はうまいかもしれないけど、そんなの何の自慢にもならないわよ? お料理で使徒が倒せる? あんた、何のためにここにいるわけ?」
ぼくが、答えられずにいると、惣流は、ふん、と鼻を鳴らし、パソコンの作業に戻った。

掃除機を片付けてから、ミサトさんに相談しようと、キッチンに向かった。 ミサトさんは、ビールを飲みながら仕事を続けていた。
「すみません、」
「はいよっ! ちょっち待ってねー」
ミサトさんは、書類に何やら赤ペンで書き込みを入れて、それからこっちを向いた。
「なあに?」

「家事のことなんですけど、惣流が手伝わないって言うんです」
「あら、そう」
「不公平だと思うんですけど・・・」
「まあ、そうねぇ」
「なんていうか、惣流って、その、威張ってばかりだし、ちょっと、ぼく、」
「あららら、それはまずいわね。えーっと・・・、そんなにイヤ?」
「はい」
「どうしてかなぁ・・・」
「なんていうか、感謝の心みたいのが全然ないですよね、こう、」
「そんなことないわよ」
「そんなことありますよ」
「でも、夕食始まってから、アスカ、一度も怒鳴ってないでしょ?」
「え? そうでしたっけ?」
「そうよ」

そうだったっけ・・・。 いつも怒鳴られてるから、良く覚えてないや。

「夕食のとき、呼んでくるの大変だったんだから。 シンちゃんの悪口ばっか言ってて、あいつの作った食事なんて食べたくない、出前取って、とか言ってたのよ? それがどう? ペロっと平らげちゃって。やっぱ、シンちゃんのお料理はヒトを黙らせる力があるわねー」
「そうだったんですか・・・」
「アスカのお手伝いしてたんでしょ?」
「はい」
「たぶん、自分の部屋に男の子入れたの、初めてよ」
「そうなんですか?」
「だいぶ改善してるわよ、あの子」
改善してアレか・・・。

「シンちゃんだって、あんまり人付き合い上手じゃないでしょー?」
なんでそこでぼくの話になるんですか。
「はい、まあ・・・。でも、ぼくは、だからって、誰かに迷惑掛けたり、」
ミサトさんが、「へー」という顔をした。 あれ? ぼく、なにか迷惑掛けたっけ?
「迷惑掛けたりしてないと思うんですけど・・・」
「良く言うわねー。家出しといて」
「あれは・・・、」
頼んでもないのに追い掛けてくるミサトさんが悪いんですよ。 ・・・とは言えない。
「すみません。 でも、ミサトさんに怒鳴ったり、悪口言ったり、そんなこと、してないじゃないですか・・・」
「そうね。でも、それ、あたしは、ちょっと、寂しいのよねー」
「そうなんですか?」
そう言われても、本当にそうしたら、たぶん、ミサトさんは機嫌を悪くするに決まってる。 一方的にそんなこと言うの、勝手だよ。
「未だにここを『ミサトさんち』って言ってるのもね。けっこう悲しいのよ? これでも」
「すみません・・・」
「まー、それは、あたしも悪いからいいんだけど。 つまり、アスカは、シンちゃんと反対なだけなのよ。 シンちゃんにはシンちゃんのスタイルがあるだろうけど、 あれが、良く知らない人に対するときの、アスカのスタイルなの」
「ミサトさんの言うこと、良く分かりませんよ。 確かに、惣流はぼくと反対だと思うけど、悪い方に反対っていうか、反対だからどうなんだよ、っていうか、 それって、ぼくが惣流に迷惑掛けられてもいい理由になるんですか?」
「うーん、そういうことじゃないんだけど・・・」
ミサトさんは、少し、考え込んだ。
「とにかく、アスカは、たった一人で外国に来て、良く知らない環境で、 良く知らない人と一緒に暮らさなくちゃならないの。だから、心細いのよ」
「まあ、そう言われると・・・」
「シンちゃんにお願いがあるんだけど、」
「何ですか?」

「アスカの、お兄ちゃんになってあげてくれない?」

「いやあ、それは・・・」
「お願い」
「可愛い妹ってより、意地悪な姉さん、っていうか・・・」
「あら、この家では、シンちゃんの方が少し先輩でしょ? お誕生日だって、アスカより半年くらい早いのよ」
「そうなんですか?」
「うん。生意気な妹、ってことでいいじゃない。当面、アスカには、甘えられる人が必要だから」
「それだったら加持さんがいるじゃないですか」
「そういうことじゃないのよ。甘えてる自分を演じるっていうんじゃなくて、ホントに甘えられるってこと。 我侭言ったり、八つ当たりしたり、愚痴ったり、怒鳴ったり、・・・頼ったり、縋ったり。 あたしも努力するけど、アスカはあたしには何でも言えるってわけじゃないのよね」
「それはそうですよ」
「そうよね。 シンちゃんもだいぶ遠慮してるけど、アスカも同じ。 アスカがホントに甘えられる相手は、今のところ、シンちゃんだけなのよ。 アスカ自身も、たぶん、気が付いてないだろうけど」
「はあ・・・」
「その代わり、って言ったらなんだけど、いずれにせよ、あなたたち二人には、作戦の準備に没頭して欲しいのよね。 だから、11日の作戦が終るまで、家事はあたしがやるわ」
えー、それはそれで・・・。
「そう言われちゃったら、しょうがないですね・・・」
と言ってしまうぼくも同罪か・・・。

ミサトさん、だいじょぶなのかなぁ。

惣流の部屋の襖の前には、 汚い字で“許可なく立ち入りを禁ず 勝手に入ったら殺すわよ”と書かれたホワイト・ボードが掛かっていた。 こういう神経が分からないんだよなぁ。 こんなの書かなくったって、年頃の女の子の部屋に勝手に入るやつなんていないっての。 ・・・まあ、どうしても仕方のない事情がある場合を除いて、だけど。

「惣流いるー? ちょっといい?」
ばたばた、と気配がして、襖が開いた。
「何の用?」
文句を言われるのかと思ったけど、意外と、明るい顔だった。

なるほど、いちいちキツい感じになるのは、言葉の問題もあるのかな、もしかして。 良く考えたら、日本語しゃべれるってだけでもスゴいよね。中学生なのに。 字だって、こんな汚くても、一生懸命、漢字も使って、間違えずに書いてる。 やっぱり、本当はミサトさんが正しくて、ぼくは少し誤解してるのかな。

「家の中のこと、少し説明しとこうかと思って」
「だいたい分かったけど?」
「それでもさ」

最初はお手洗い。 ロール紙のストックの場所、予備のタオルの場所、床が汚れちゃったときのための雑巾とか、 そういうことを説明した。 「細かいわねぇ」って、そのうち感謝することがあると思うよ、たぶん。

それからお風呂場。
「石鹸は、ここにあるやつ、自由に使っていいよ。 ちっちゃくなったのは、台所用にするから、捨てないで。 予備のシャンプーやコンディショナーは、ここに入ってるけど、ミサトさんに言ってから使って。 なんか、いろいろあるみたいだから。 洗濯物は、一応自分で洗うことになってるけど、ハンカチとか布巾とか急がないものは、 こっちの篭に入れといてくれれば、誰か次に洗濯する人がついでにやるから。 もっと大きなものでも、急がないならこの篭でいいよ。 惣流も、この篭に入ってるのはついでに洗って」
「ミサトのブラが入ってるみたいだけど?」
「つまり、急いでないってことじゃない? ・・・クラスの男子で、ブラの洗い方知ってるの、たぶん、ぼくだけだよ」
「あっきれた」
「まだマシだよ。こないだ、ショーツ入ってたし」
「ホント!?」
惣流は目を丸くした。
「まあ、汚れてなかったから、たぶん、穿いてなかったんだと思うけど。 着替えのつもりでここに持ってきて、うっかり濡らしちゃったとかじゃないかな」
「あんたそれ、洗ったの?」
「しょうがないだろ」
「・・・まあ、あんたが悪いわけじゃないか・・・」
今の話にぼくが悪いと思える要素ってあるの??
「それで、クリーニングに出すやつは、こっちの篭。ミサトさんが出勤のついでに持ってってくれるから」
「あんたさ、いつからここにいるの?」
「えーっと、・・・3ヶ月くらい前かな」
計算すると、そうなる。 もっと、ずっと前からいるような気がしてたから、自分でも、ちょっと、驚いた。
「どのくらいで慣れた?」
「まだ全然慣れないよ。今日から部屋も変わっちゃったしね」
「そう・・・」
ちょっと嫌味を言ってみたけど、惣流は他に気になることがあるみたいだった。

続いてダイニング・キッチン。 ミサトさんが焼酎のお湯割とサキイカに切り替えて飲み続けながら、仕事の続きをしている。
「お邪魔しまーす」
「うぃーっす」
ミサトさんは、書類から目を離さないまま、梅干の入ったグラスを掲げた。
「冷蔵庫の中は、下が野菜で、真中がお肉とお魚。 飲み物とかは上に入ってるから、勝手に飲んでいいよ。 コップは、誰の、っていうのは特にないから、こっちの棚のを勝手に使って」
「うん」
「自分でジュースとか買ったのは、この中段のスペースに入れといて。 ここは、そういう私物専用だから、ここに入ってて自分のじゃないのは勝手に食べないで。 名前書いてくれればどこに入れてもいいけど」
「分かった」
「こっちの棚は、カップ麺とか、インスタント食品とか。小腹が空いたとき、勝手に食べていいからね」
「うん」
「お菓子類はここ。自分で買ったのは部屋に持ってって。ここのは誰でも食べていいことにしてるから」
「うん」
「こんなとこかな」
惣流の方を振り返って気が付いた。 ずいぶん、沈んだ顔だった。
「どうしたの?」
「ん? ううん。・・・あたし、ここで暮らすんだなーって・・・」
なんだか、これからお前はずっと地獄で暮らすんだよ、って言われたみたいだった。 ぼくが初めてここに来たときのことを思い出して、少し、可哀想な気がした。

「・・・そうだ、お茶、淹れよっか?」
「うん」
「あ、紅茶の方がいい?」
「何でもいいわ。あんたが決めて」
「じゃあ、ちょっといいお茶にしよっか。今日は歓迎会だしね」
「お茶にもいいのと悪いのがあんの?」
「そりゃあるよ。これから淹れるのは、お客様用。ちょっと待ってて、淹れたら部屋に持ってくからさ」
ぼくは、お茶の準備を始めた。
「なによ。みんなで飲むんじゃないの?」
「えーっと、それでも、まあ、いいけど・・・」
すると、ずっと黙って仕事してたミサトさんが口を挟んだ。
「じゃあ、お茶にするか! シンちゃん、玉露淹れて、玉露」
「はい」
「あとほら、時田の送ってきた羊羹、あれも切って」
「はい」
「ブ厚く切ってよー」
「はい」
ミサトさんは、書類をばたばたと片付けて、顔を上げた。
「アスカ」
「なに?」
「もう、ここは、あんたの家よ」
「うん」
「遠慮しないでね」
惣流は、顔を上げた。
「分かったわ」
もう、笑顔だった。

よかった、って、思った。

つづく