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8月8日。土曜日。

いろいろ気になることはあったものの、それでも疲れてはいたようで、目が覚めたら7時に近かった。 ベランダの方から差し込む朝日が眩しかった。 目をこすりながら起きてみると、女性二人はまだ寝ていた。 ミサトさんはすごい寝相だ。 なるほど、加持さんの言う通り。 ・・・これ、ソフトにイタズラなんてしたら起きないんじゃないの??

「アスカ、そろそろ起きよ」
声を掛けたが、アスカは、すぅすぅ、と寝息を立て続けている。 どうしよう。 一人で支度してもいいんだけど、ミサトさんにまた叱られるのもイヤだな。 それに、訓練のことを考えれば、どっちみちそろそろ起こした方がいい。 ぼくは、ミサトさんを起こさないように静かに回り込んでアスカに近づき、肩を揺すった。
「アスカ」
アスカは、パッ、と目を見開き、ビクっ、と反応した。 驚かせてしまったらしい。 が、次の瞬間、「あぃっ!」と、言葉にならない声を上げ、顔をしかめた。
「どうしたの?」
「いいからあっち行って」
言いながら、ゆっくりと寝返りを打っている。動作が緩慢で、なんとなく、痛そうだ。
「でも、なんか、痛そうだよ」
「一晩床で寝たりしたら、そりゃどっか痛めるわよ」
ぼくはすごく不安になった。 肝心の本番で、アスカの体調が万全じゃなかったらどうしよう。
「ミサトさん、起きて下さい、アスカが、」
ミサトさんは、くかー、ごっ、と、規則正しい寝息で答えた。
「だいじょぶよ。ちょっと、背中が張っただけだから、」
「でも、」
「いいから。それよりあんた、二度とあたしに触んじゃないわよ。今度やったら殺すからね」
アスカは、ゆっくりと起き上がると、そろそろと屈伸運動をし始めた。 身体の状態を確かめるように、上体をゆっくりと捻ったり伸ばしたり。 良く分からないけど、だいじょぶそうに見える。 ぼくは、自分の布団を片付け始めた。

アスカがシャワーを浴びてる間に、ぼくは朝ご飯の支度を始めた。 その途中、ミサトさんが起きたらしい。 どたどたと、廊下を何回か往復する音がしてから、キッチンに入ってきた。
「おはよー。良く眠れた?」
「はい」
「なーんか、結局シンちゃんに全部やらせちゃって、悪いわねー」
「今から代わってくれてもいいんですよ?」
「もうこれ以上アスカの気に障ることはできないわ。訓練以外で」
「そうですね」
ぼくも気をつけなくちゃ。

メカジキのバター・ソテーと、レタスとトマトと大根のサラダ、それにお味噌汁の簡単な朝ご飯。 洗濯機を仕掛けたアスカが、キッチンに戻ってきた。
「あたし、パンがいい」
「あれ? でも、ご飯好きだって、」
「紛らわしいことしない方がいいんでしょ?」
そういうことか。
「でも、だったらさっきそう言ってくれればよかったのに」
「忘れてたのよ」
アスカは、しれっ、と言って、椅子に座った。 ぼくは、少し、ムッとして、
「じゃあ、自分でやれよ」
と言って、冷蔵庫から6枚切りの食パンのパックとマーガリンを出し、アスカの目の前に置いた。 アスカは、テキパキとトースターにパンをセットした。 そうして、しばらくサラダを突っついていたが、顔を上げて、言った。
「ミサト」
「ん?」
「今後、食事は出前にして」
「朝ご飯出前してくれるお店なんてないわよ」
ガシャン、と音がして、トースターがトーストを吐き出した。
「・・・じゃあ、朝はシンジのでいいわ」
ミサトさんは、ぼくを見た。 ぼくは、説明を求められたらどうしよう、と思って、目を合わせられなかった。
「まあ、出撃までは、そういうことにしましょ」
ミサトさんが、呆れたように言った。

食事が済んで、訓練を再開した。 昨晩は、何度も繰り返して、パターン2-1~2-7は、何とか合うようになってたはずだったのに、 今朝はまた逆戻りだった。 2回に1回くらい、アスカかぼくのタイミングがズレて、機械が“Error”の表示をする。 どっちが原因っていう感じでもない。

もう20回は繰り返したろうか。シークェンスが終ったところで、話し掛けた。
「ねえ、アスカ、」
アスカは返事をしない。
「アスカ?」
「なによ!」
アスカは、こっちを向いて睨んだ。
「えっと、ちょっと、考えたんだけど・・・」
「ふうん。あたしも考えてるわよ」
「そっか、そうだよね・・・」
そんな言い方するなよ。
「シンジくん、なあに?」
ミサトさんが訊いてきた。
「いえ、何でもありません」
「そういうのやめてくんなーい? 思いついたことあんなら言いなさいよ」
「アスカに聞く気がないなら意味ないですからいいです」
ぼくが何かを言って、ミサトさんがすぐにそれを採用して、またアスカの機嫌が悪くなって、という流れは、 もう、めんどくさかった。 ミサトさんは、一瞬ぼくを睨んで口を開き掛けたが、止めたみたいだった。 それからアスカの方を向いたが、アスカも目を逸らしたまま何も言わない。
「そ。じゃあ続けて」
ミサトさんがリモコンのスイッチを押した。

更に何回かシークェンスをやったところで、ミサトさんは、少し考え込んだ。
「あんたたち、そのまま続けてて。あたし、ちょっと出かけてくるから」
「どこ行くのよ」「どこ行くんですか?」
「ないしょ。あと、お昼ご飯適当に出前してね。あたしは外で食べる。戻りは2時過ぎかな」

ミサトさんがいなくなって、アスカと二人きりになった。
「パターン2、昨日はできてたのにね」
ぼくから話し掛けた。が、アスカは何も言わない。
「アスカは、どうすればいいのか、分かってたりするんじゃない?」
なんとなく、そんな気がした。
「分かってたらやってるわよ」
「じゃあ、ぼくに、アドバイスすることって、ない?」
「・・・自分で考えればいいでしょ」
「そんなこと言わないでさ、」
「うっさいわねぇ。こっちは自分のことで精一杯なの」
「そっか・・・。そうだよね、ぼくのタイミングに合わせてもらってるんだから」
アスカが、チッ、と舌打ちしたのが聞こえた。 ぼくは、いたたまれない気持ちになった。

「・・・さっきのは何よ」
アスカが訊いてきた。
「何が?」
「何か考えたって言ってたじゃない。念のため言ってみなさいよ」
「なんだよ、結局聞くんじゃないか」
「なんですってー!」
アスカは、真っ赤になって怒鳴り返してきたが、いつものようにまくし立てたりしなかった。 聞く気はあるらしい。
「・・・三連符を基本にタイミング取った方が乗りやすいんじゃないかと思ってさ」
アスカは黙って聞いている。
「ぼくに合わせてもらうように変える前は、ぼくが少し食い気味のリズムだったんだけど、 半拍食うところと、1/3拍食うところがあって、1/3拍食うところが早くなりがちだったんだよね。 今はそれが逆になってるから、アスカも、1/3拍ズラすところが、半拍になっちゃってるんじゃないかな」
アスカの眉が、ピクっ、と動いた。
「それで?」
「え?」
「あんたはどうやったの?」
「いや、だから、一拍の中に三連符のリズムを感じるのを基本にした方が、」
「だからそれをどうやるか聞いてるんでしょ?」
「あ、そういうことか。いや、それは、そう意識するっていう話で・・・」
「意識しただけでできりゃやってるわよ!」
あんまり役に立たなかったか。
「そっか、ごめん・・・」
アスカは、ふん、と鼻を鳴らして、
「まあ、なんか思いついたら、あたしに言いなさい。下手な鉄砲も数撃てば当たる、ってね。 ・・・ただし、ミサトの聞いてないところでよ。分かった?」
と言った。 相変わらず、どうしてそんな言い方するんだろうと思ってしまうけど。 でも、アスカも悩んでるのか、やっぱ。
「じゃあ、もっかい、通しでやるわよ」
それから10回ほどやった。1/3拍の問題は少し良くなった気はしたものの、全体的にはあまり変わらなかった。

近くの洋食屋さんからカレーの出前を取って、少し遅めのお昼ご飯にした。 食器を洗って玄関の外に出し、リビングでテレビを見ながら食休みしていたら、玄関のチャイムが鳴った。
「「はーい」」
返事は揃ったけど。
「ほら、お客さんよ」
「何言ってんだよ、アスカも出るんだよ。ユニゾンだろ?」
「めんどくさいわねぇ」
玄関に出て行って、扉を開けた。

そこにいたのは、洞木さんと、トウジ、ケンスケだった。

ミサトさんが用意したペアルックを着てたので、ぼくたち二人のことを誤解されそうになった。 今たぶん第3新東京市で最もいがみ合ってる二人を捕まえて、そんなこと言われても。 ちょうどそこに、ミサトさんが帰ってきた。

ミサトさんは、綾波を連れてきていた。 洞木さんたちも一緒にうちに上げて、リビングのテーブルでお茶をしながら、作戦概要を説明している。 洞木さんたちの誤解を解くために必要なんだとしても、重要機密をあんなにペラペラしゃべっていいのかなぁ。 ぼくは普段、ケンスケに根掘り葉掘り訊かれたときでも、教えてあげたくても何も言わないように努力してるのに。

その間、綾波は、この作戦のアクション・パターン指示書を熱心に読んでいた。

そうしている間も、ぼくとアスカは、午前中から続けていた訓練の続きをしていた。 クラスの友達が見てるということで、少し気合が入ったけど、だからってすぐにはうまくいかない。

洞木さんに、
「で、ユニゾンはうまくいってるんですか?」
と訊かれて、ミサトさんが、
「それが見てのとおりなのよ」
と答えた。

確かにその通りなんだけど、友達が見てる前でそんなこと言わなくったっていいじゃないですか、ミサトさん。 どうせ詳しい説明をする必要があるわけじゃないのに、 どうして、「まあまあねー」とかフォローしてくれないんですか。 恥ずかしさと情けなさのあまり、ぼくがまた間違えてしまって、また“Error”が出た。 もう何度目か数えるのもめんどくさい。 とうとうアスカがヘッドフォンを外してリビングの床に投げ付けた。

「あったりまえじゃない! このシンジに合わせてレベル下げるなんて、うまくいくわけないわ!」

アスカの気持ちは分かる。 ぼくだって恥ずかしいくらいなんだから、アスカには、みんなの視線と溜息は耐えられないよね。 ぼくのせいにしたいのも分かるよ。確かに、迷惑掛けてるもんね。 でも、だからって、そんな言い方、ないんじゃないかな。

「土台ムリなハナシなのよ」
すると、ミサトさんが、それを予測してたかのように、
「じゃあ、やめとく?」
と訊いた。ミサトさんが、こういう言い方するときは、何か考えがあるときだ。嫌な予感がする。
「他に人、いないんでしょ?」
アスカが言うと、ミサトさんは、静かに目を伏せた。
「レイ」
「はい」
「やってみて」
「はい」
ミサトさんがコントローラーを操作した。

綾波と合わせるのは、これが初めてだった。 でも、パターン1-1から、すんなり合った。 アスカのときと、全然違う。 たぶん、ミサトさん、右側の機械のパーソナル・パターンを零号機に変えたんだ。 零号機と初号機は、レスポンスがほとんど同じなんだろう。 綾波とぼくは、曲のテンポに合わせて、同じタイミングでアクション・パターンをなぞってるだけだ。 合わないわけがない。 パタパタと、ノー・ミスで進んでいった。
「これは、作戦変更して、レイと組んだ方がいいかもね」
ミサトさんが涼しい顔でそう言った。

でも、それは問題があると思う。 そもそも零号機は今、ヤシマ作戦のダメージの修理のためにメンテナンス中だ。 だからこの前の戦闘にも参加できなかった。 綾波が交替するなら、弐号機に乗ることになるんだろう。 コアのパーソナル・パターンも書き換えになる。 その前提で、楽譜の弐号機パートをまた書き換えないといけないんじゃないだろうか。 そうしたら、今みたいに簡単に合わせられるとは限らない。 そもそも、綾波は弐号機にシンクロできるんだろうか。 綾波が弐号機に乗ってるとこなんて見たことないけど。

「もー、イヤっ! やってらんないわっ!」
アスカがリビングを飛び出した。 廊下を走る、すごい音に続いて、自動扉の音が聞こえた。 玄関から出ていってしまったらしい。

ミサトさん、こういうやり方、ヒドいですよ。 これじゃまるで、アスカが綾波より劣ってるみたいじゃないですか。 アスカが傷つくに決まってますよ。

何故か洞木さんに叱られて、ぼくはアスカを探しに飛び出した。 ぼくじゃなくて、ミサトさんが行くべきなんじゃないか、と思ったけど、そんなこと言ってる場合じゃないよね。 しかし、探す当てなんてない。 エレベーターを降りて、通りに出て、左右を見回したが、アスカの姿は見えなかった。

こんな恥ずかしい格好をして、駅の方に行くとはあまり思えない。 駅と反対方向を探してみようと思った。 こっちにはコンビニがあって、その先には、公園くらいしかなかったんじゃないかな。

暫く走っていったが、見当たらない。 公園まで来て、あたりを見回したけど、いない。 この先って、何かあったっけ。 ぼくが知らないくらいだから、アスカだって知らないだろう。 うちを飛び出して走ってきて、公園があったら、ちょっと入るよね、たぶん。 ここにいないのなら、つまり、こっちには来てないってことじゃないだろうか。

来た方向に走って戻った。 コンビニの前を通り過ぎようとして、中にアスカがいるのが見えた。 見ると、ジュースなんかが入っている冷蔵庫の扉を開け放して、その前に座り込んでいる。 頭を冷やしてるんだろうか。 お店の人が、ちょっと、困惑気味な感じだ。 面倒なことになる前になんとかしなくちゃ。 でも、この状態のアスカを宥めるなんて、ぼくにできるだろうか。

お店に入って、アスカの許に向かった。
「あの・・・」
声を掛けてみた。
「何も言わないで」
意外に冷静だった。
「分かってるわ。わたしはエヴァに乗るしかないのよ」
アスカが立ち上がった。
「やるわ。わたし」

コンビニの外にあった公衆電話から、ミサトさんに、アスカを見つけたことを連絡した。 アスカが、
「少し、打ち合わせするわよ」
と言ったので、少し時間を下さい、とお願いした。
「じゃあさ、この先に公園があるから、行かない?」
「近いの?」
「うん。遠くはないよ」
アスカが、小腹が空いたというので、コンビニで、サンドイッチとジュース、ついでに、 食パンや缶詰などの食材を買い込み、二人でさっきの公園に向かった。

「こうなったら、何としてもレイやミサトを見返してやるのよ」
アスカは、公園のベンチの上に仁王立ちになって言った。
「そんな、見返すだなんて、」
「なーに甘いこと言ってんのよ! オトコのクセに! 傷つけられた、」
アスカは、サンドイッチを一口ほおばって、続けた。
「プライドは、じゅーーーばいにして、返してやるのよっ!」
缶コーヒーを、グイっ、と呷った。

アスカは、へこたれてなかった。

良かった。

打ち合わせみたいなことは何もしなかった。 でも、アスカがすぐに帰りたくないのは分かったから、何も言わなかった。

ミサトさんちへの帰り道。 ぼくたちは、並んで歩いた。 アスカは、ぷりぷりと怒って、綾波とミサトさんの悪口を言っていた。 ぼくは、正直、あまりいい気分ではなかった。 でも、確かに疑問だった。
「ミサトさん、なんであんなことしたんだろ」
「あんた分かんないの?」
「だって、今さら綾波ってわけにいかないだろ? アスカでなきゃ」
「あったりまえよー」
「じゃ、どうして?」
「決まってるじゃない! あたしに恥をかかせたのよ!」
「そうなの?」
「でなきゃなんだってあの脳筋ジャージに作戦機密を説明するのよ。必要ないでしょ?」
「あ、それ、ぼくも思った」
「そう思ったんなら、あんたがちゃんと説明すりゃ良かったじゃないの」
「いや、だって、それだったら自分で説明しろよ」
「あたしが言ったって言い訳にしか聞こえないじゃない」
「そっか、なるほど」
「あたしを追っ掛けて来るヒマがあったら、説明しときなさいよ。気が利かないわねぇ」
八つ当たりだよ、それ。
「・・・でも、なんでアスカに恥をかかせるの?」
「知らないわよっ! ・・・あたしがいちいち反抗するから大人しくさせたいんでしょ、たぶん」
「そうなのかな・・・」
アスカは、少し考えてから言った。
「ま、違うわね」
「そうだよね」
アスカは、落ち着いたみたいだった。
「大人しくなるの?」
「そう思う?」
「思わない」
「分かってんじゃない」

アスカは気がついてなかったかもしれないけど、ぼくたちの歩みは、ぴったりと合っていた。

「「ただいまー」」
玄関にあったのは、ぼくたち3人の靴だけ。 綾波も、クラスのみんなも、帰ったらしい。
「おかえりー」
ミサトさんの声はしたけれど、姿は見えなかった。 靴を脱いで、廊下を進んで行くと、キッチンにミサトさんの姿が見えた。
「遅かったじゃなーい」
ミサトさんは、書類から顔を上げずに言った。
「打ち合わせしてたのよ」
アスカは、しれっ、と答えた。
「そう。うまくいきそう?」
ミサトさんが顔を上げて、訊いた。
「まだ分かんないわ。確認したいことがあるから、今朝のレコード、貸して」
「リビングに置いてあるから、勝手に見ていいわよ」
ぼくたちが、キッチンを出て、リビングに向かおうとすると、ミサトさんが言った。
「お夕飯どうすんの?」
「あたし、サンドイッチ食べたからいらない」
「あらあら。シンちゃんは?」
「えーっと・・・」
ぼくは、どう答えたらいいのか知りたくて、アスカを見た。すると、
「あんたは食べたら?」
って言った。
「じゃあ、食べます」
ミサトさんが、ふふっ、と笑った。
「アスカの作業はどのくらいかかるの?」
「30分かな」
「その後シンジくんが必要なのね?」
「うん」
「分かったわ。じゃあ、アスカはそれやって」
アスカは、ぱたぱた、と、小走りでリビングに向かった。

「じゃあ、出前とろっか」
「いえ、サンドイッチ作りますよ。15分あれば作れますから」
アスカの分を確保しておきたかった。
「じゃあ、お願い」
ミサトさんは、声を潜めて、
「アスカ、だいじょぶだと思う?」
と訊いた。ぼくは胸を張って答えた。
「はい、だいじょぶです。アスカも、ぼくも」
「そう。ありがと」
「でも、ミサトさんには、ちょっと怒ってます」
「アスカが?」
「ぼくがです」
「あら」
「マスタードいっぱい入れますからね」
ミサトさんは、「えー」って言ってたけど、何故か、うれしそうだった。

卵パセリ・サンド、ハム・レタス・サンド、ツナ・マヨ・キュウリ・サンド、と、いっぱい作って、 1食分は冷蔵庫に入れ、1食分はミサトさんに。 残りはリビングに持っていった。 アスカは、テーブルに向かい、ミサトさんが書いたタイミングのズレのデータを読み込んで、 何やらペンで楽譜に書き込みしていた。 ぼくは、サンドイッチをテーブルの端っこの方に置いて、
「良かったら」
と勧めた。アスカは、無言で卵サンドを1つひったくると、一口食べて、
「お茶」
と言った。ぼくは、
「待ってね」
と言って、お茶を淹れに戻った。

二人でサンドイッチを食べながら、打ち合わせした。
「ここ、2-3の4拍目、これ、あたし苦手みたい」
「あー、そうみたいだね」
「ここさ、あたしに合わせてくんない?」
「えー・・・」
「ムリ?」
「ちょっと、自信ないけど・・・」
「どうなのよ」
「待ってね、つまり、ちゃっちゃっんーちゃんちゃっちゃちゃっ、か」
「そそ」
「うん。練習すればだいじょぶじゃないかな」
「ほんと?」
「でも、勝手に変えちゃっていいのかなぁ・・・」
「1/3拍くらい、バレなきゃ平気よ」
「でも、MAGIはこっちのタイミングを基に計算するんだろ?」
ぼくは、楽譜の方を、右手に持ったサンドイッチで指して、言った。
「まあね」
「危険じゃない?」
「2-3は平気よ。パレット・ガンの撃ち始めが0.1秒早くなるだけでしょ?」
「あー、なるほど・・・、でも、ミサトさん、なんて言うかな・・・」
アスカがぼくに赤ペンの先を突きつけて、言った。
「あんたはいったいどっちの味方なの? あたし? それともミサト?」

「アスカ」
ぼくは、躊躇なく応えた。

「ホント?!」
「うん。今日からアスカの味方」
大きく頷いて、アスカの目を見て言った。 そうだよ。ミサトさんとアスカの意見が違うなら、アスカに賛成すべきだ。 さっきの一件を思い出して、ぼくはそう思った。 アスカは、ちょっと、目を逸らして、
「・・・ま、まあ、そんなら、賛成しなさいよ」
と言った。
「分かった」
待てよ、そういうことなら・・・。
「じゃあさ、2-5も変えない?」
「え?」
「ほら、二拍目、アスカ、ちょっと苦手だよね?」
「・・・良く分かったわね」
「なに言ってんだよ。ずっと隣でやってんだから分かるに決まってるだろ?」
アスカは、ぼくをまじまじと見た。
「門前の小僧、習わぬ経を読む、か・・・」
「なんだよそれ。それを言うなら、傍目八目だよ」
「誰がオカメですってぇー?!」
「いや、そうじゃなくて、」
中途半端なんだよな、アスカの日本語の知識って。

「で、どう変えんのよ?」
「だから、同じだよ。弐号機をオン・テンポにしてさ、初号機を食い気味に直せばいいだろ?」
「あんた、できんの?」
「うん。そこは余裕あるから」
「ふーん。なら、試しにやってみるか」
お互いにアイディアを出し合って、更に4箇所、2-6,3-2,3-5,3-8で、タイミングを少し変えることにした。
「これでよし、っと」
そう言うと、アスカは、最後のツナ・サンドを頬張った。
「やっぱ、コンビニのサンドイッチより美味しいわね」
そう言って、微笑んだ。

お皿とコップを片付けにキッチンに行った。 相変わらずテーブルで仕事しているミサトさんの脇を通って冷蔵庫の前まで行き、 貼ってあるカレンダーに、アスカが印を付けた。 攻撃予定日の8月11日のところに、大きな赤い丸印。

「さー、やるわよー!」
リビングに戻ると、変更したタイミングで、パターン1-1から1回ずつ繰り返してみた。 今日の午後の状態よりも、明らかにアスカのミスが少ない。 ぼくはまだ少し間違える。 さっき変更したところが特に難しい。 足がもつれてひっくり返ったら、アスカに蹴っ飛ばされた。
「このバカシンジ! なにしてんのよっ!」
「蹴っ飛ばすことないだろっ!」
「あんたがバカだからよっ!」
「なんだとっ!」
「そっちのタイミングじゃ3-5はどうしたってもつれるんだから、跳んだらいいでしょ!」
「・・・ああ、そっか」
「さっさと次行くわよっ!」
「うん」
そうだよ。喧嘩してるヒマがあったら、訓練しなくちゃ。 ぼくができなきゃアスカは怒る。 アスカに、怒るな、なんて言うのは時間のムダなんだ。

訓練を重ねていくうちに、だいぶ改善してきた。

10時前に、ビールと焼き鳥の缶詰を持って、ミサトさんが現れた。
「しょくーん、やっとるかー」
ぼくたちは、それを無視して、シークェンスを続けた。 ミサトさんは、テーブルの脇に、ドカっ、と座ると、ビールのプル・タブを引いた。

シークェンスが終了し、後ろを振り返る。アスカのスコアが99、ぼくのスコアが92だった。 これまでの最高得点。
「アスカ」
ぼくは、てっきり、ミサトさんが褒めてくれるんだと思った。
「なによ」
「勝手にタイミング変えたわね?」
「悪い?」
「ぼくたち、これでやります」
ぼくは、慌てて言った。
「ふーん・・・」
ミサトさんは、アスカとぼくを交互に見やって、ビールを一口呑んだ。
「お願いします」
「日向くん、また徹夜ねー」
「泣き言言ってんじゃないわよ」
アスカ、マズいよ、そんな、ミサトさんを怒らせるようなこと言ったら。
「すみません」
ぼくには、謝ってフォローすることしかできない。
「まーいいわ。じゃあ、連絡してくるから、新しいチャート、ちょうだい」
アスカがテーブルのところまで歩いていって、ミサトさんに、フリップを6枚、渡した。

その後も何度か喧嘩したけど、その度に少しずつ改善して、とうとうアスカは100点を出せるようになった。 ぼくも、コンスタントに95点以上。一度だけ100点が出た。 だいぶ自信がついてきた。

何回目かの100点と99点が出たときに、ミサトさんがリビングに戻ってきて、言った。
「今日はその辺にしときなさい」
時計を見ると、1時半を少し回っていた。
「ミサト、見なくていいの?」
「100点と99点でしょ? 見るまでもないわよ。さ、お風呂入っちゃって」
ミサトさんは、だいぶ、疲れた顔をしていた。

8月9日。日曜日。

今日はミサトさんは休日だけど、ネルフに休みなんてない。 それが証拠に、朝早く電話がかかってきた。 ぼくとアスカが同時に起きたけど、アスカはぼーっとしている。 ぼくがキッチンに行って、電話に出た。 相手は日向さんだった。 ぼくは、振り返って、大きな声で、
「ミサトさーん! 日向さんからお電話ですー! アスカー! ミサトさん起こしてー!」
と怒鳴った。 アスカの大声と、ミサトさんの「グェっ」という声が聞こえてきて、 ドタっ、ドタっ、と、電車が走るような音に続いて、ミサトさんがキッチンに入ってきた。 顔をしかめて、お尻を痛そうにさすっている。 ぼくは、ちょっと同情しながら受話器を渡した。

「ダメだよ、蹴っ飛ばしたりしちゃ」
「あれ? なんで分かったの?」
二人で、布団を片付けながら、言った。
「ミサトさんがお尻さすってたから」
アスカは、声を上げて笑った。
「だって、ああでもしなきゃ起きないもの」
「だからって・・・」
「あんた、あたしの味方なんじゃなかったの?」
「そうだけどさ、物理攻撃はナシだよ」
「オトコのクセに甘っちょろいこと言うなって言ってんでしょ?」
「なんだとっ!」
「なによ」
「アスカが怪我したらたいへんだろ!」
「う、うっさいわね」
「明後日は出撃なんだぞ!」
「わ、分かってるわよっ!」

なんで、こんなつまんないことで喧嘩してるんだろう。

でも、布団の片付けのタイミングは完璧に合わせられた。

アスカはシャワーと洗濯のためにお風呂場へ。 ぼくは、朝ご飯を作りに、キッチンへ向かおうとしたら、電話が終ったミサトさんがキッチンから出てきた。 まだお尻をさすっている。
「日向さん、なんだったんですか?」
「んー。タイミングの変更、間に合いそうだって」
「良かった・・・」
「でも、もう絶対に変えるな、って言われたわ」
「アスカに言って下さい」
「シンジくんにだって関係あるでしょー?」
「そうですけど、戦うのはぼくたちですよ。アスカの方が正しいって思ったら、ぼくは賛成します」
「・・・シンちゃんはアスカの味方か」
「はい」
ミサトさんは微笑んだ。
「ありがと」
ぼくは、何を感謝されたのか良く分からず、曖昧に、「はあ」と答えた。

「それじゃゆうべのおさらいからー。音楽スタート!」

朝ご飯の後は、パターン1-1から1回ずつ繰り返すシークェンスをおさらいした。 アスカとぼくは、いきなり100点を揃えた。

ビールを呑みながら見ていたミサトさんは、その結果を見て、パチパチ、と、2回だけ拍手した。
「問題なしねー。それじゃ、ランダム・シークェンスやろっか」
「え? なんですか?」
「本番ではアクション・パターンを順番にやるわけじゃないわよー。 次からは、各パターンの最後の小節の頭で次のパターンが指示されるから、そのパターンをつないでみて」
「実戦形式、ってことよ」
アスカが補足した。
「分かりました」
うまくできるかな。

緊張したせいもあったかもしれないけど、これは難しかった。 久しぶりに、盛大にコケまくった。 アスカが最初に言ってた、3-4の問題点も理解できた。 確かに、4拍目近辺にやることが多くて、次のパターンを聞き逃しがちになる。

「はい、ストップー。シンちゃん、」
「このバカシンジ! なにやってんのよ!」
アスカの罵声がミサトさんをオーバーライドした。
「アスカだって間違えたろ!」
「あんたよりマシよ!」
「マシとかそういうことじゃないだろ!」
「あんたの方が問題が大きいって言ってんのよ!」
「だったら教えろよ!」
「ちょっとこっち来なさい」
アスカがテーブルの方に向かい、ぼくもついていった。 ミサトさんが、ビール缶や麦茶のコップを寄せて、テーブルの上にスペースを作った。 苦笑している。 アスカは、楽譜を広げて、説明を始めようとした。
「まず、1-1だけど、」
「アスカ、」
ミサトさんが遮ったが、アスカは取り合わない。
「後にして」
「任せるわ。お昼前にもう一回見せて」
ミサトさんは、立ち上がり、缶ビールを持って、リビングを出て行った。

アスカの説明は、すぐに理解できた。 つまり、次のパターンが何であるかを確認するために、このタイミングで音声指示を聞く、というのを、 楽譜の中に記号として書き込んで、覚えてしまうということだ。 それは、エヴァを操作するアクションではないけれど、心の中のアクション。 言ってみれば、休符みたいなものだ。 アスカが、弐号機の休符を楽譜に書き込んでくれて、ぼくもそれを初号機のタイミングに書き直して、覚えていった。

一通り覚えたところで、ランダム・シークェンスを何回かやってみた。 まだまだ全然ダメだけど、さっきよりはだいぶ良くなった。 少なくとも、パターン番号の聞き逃しはほとんどなくなった。 最後に、ミサトさんを呼んで見てもらった。 ミサトさんは、「だいぶ良くなったじゃないの」と言ってくれた。 手ごたえを感じて、昼食休憩に入った。

お昼は丼ものを出前した。 アスカとぼくは親子丼。 ミサトさんはエビ天丼。 アスカはスプーンを使っていたが、丼ものを食べるのは初めてらしく、最初は苦戦していた。 でも、どうやらこのスタイルが気に入ったらしい。 黙々と食べている。
「アスカー」
ミサトさんが、左手に持ったビール缶で、自分の左のほっぺたのところを指しながら、言った。
「ごはんつぶ付いてるわよ」
「えっ! どこ?!」
アスカが慌ててこっちを向いて訊いた。 ぼくは、クスっ、と笑って、アスカの右のほっぺたから、ごはんつぶを取ってやった。
「慣れない食べ物だから、しょうがないよ」
親切でやってあげたつもりだったのに、アスカは、
「さ、触んないでよ! ったくっ!」
と言って、テーブルの下のぼくの右足を左足で蹴った。
「なんだよっ!」
言い返しながら立ち上がろうとして、ぼくは、左手にくっついてたそのごはんつぶを、反射的に食べてしまった。
「たた食べたわねっ! あたしのごはん!」
「あっ、なっ、いっ、いいだろ! そのくらい! ひとつぶだけだろっ!」
「う、うるさいっ! 二度とすんじゃないわよっ!」
ミサトさんが、あーっはっはっ、っと、声を上げて笑った。
「苦しい・・・」
「何がおかしいのよっ!」「何がおかしいんですか!」
アスカは、ふん、と鼻を鳴らして、また、黙々と食べ続けた。

お昼ごはんのあと、少し休憩。 アスカはテレビを付けたが、ぼくは雑誌を読みたかった。 ユニゾン中だから、どっちか一方の主張が通ることになる。
「本なんかいつだって読めるでしょ!」
「そうだけど、ぼくそんなテレビ見ても楽しくないよ」
「子どもは我慢しなさい!」
「なんでぼくだけなんだよ! アスカだってたまには我慢しろよ!」
「あたしはこれが始まってからずっと我慢してんのよ! あんたがときどきちょこっと我慢してんのとはワケが違うのっ!」
「そんならぼくだって我慢してるよっ!」

喧嘩をしてたら、アスカの見たいテレビは終っちゃったらしい。
「ごめん・・・」
「ったく。じゃあ、次は本読むわよ」
「え?」
「何よ、読みたいんでしょ?」
「いいよ。ぼくだけじゃ、悪いよ」
「あんた、ヒトの邪魔しといて、」
「分かった、分かったよ」
結局、課題曲を聴きながら、イメージ・トレーニングして過ごした。 二人でベランダに出て、並んで座り、イヤフォンを片っぽずつ装けて、音楽を聴く。 左右の手で拍子を取りながら、1-1から順番に、操作をイメージする。

寄ると触ると喧嘩ばかりしているぼくたちだけど、なんだか、息が合ってきた気がするのは気のせいか。

気のせいじゃなかった。

午後の訓練にも、ミサトさんは姿を見せなかった。 アスカとぼくは、ときに喧嘩しながらときに良く話し合って、ひとつずつ問題を潰していった。 夕方にはもう、ほとんど99点か100点という状態になった。

ミサトさんを呼んで、成果を見てもらうことにした。
「よーし、オッケー」
ランダム・シークェンスを20回ほど、ノー・ミスでクリアしたとき、ミサトさんのOKが出た。
「あとはあんたたちに任せるわー。本番までそれを繰り返して、できるだけ精度を上げといてちょうだい」
「予定より一日早かったわね」
「そうねー。おかげで明日はあたし、作戦準備に専念できるわ」
ミサトさんは、アスカの方を向いて、
「アスカ、ありがと」
と言った。
「良く言うわよ」
「あら。本気で感謝してるのよ」
「まだ早いわよ」
「そうね。確かに」
ミサトさんは微笑んだ。
「じゃあ、お夕飯にしましょ」

ミサトさんが、前祝をする、と言って、中華料理屋さんから、大皿の仕出し料理を頼んだ。 豪華な夕食になった。 ミサトさん、お給料日までまだだいぶあるのに、だいじょぶなのかなぁ。

アスカは、中華料理が口に合ったらしい。 ちょっと、悔しかったけど、そんなことより、みんなが楽しそうなのが、うれしかった。

最初にこのテーブルで3人で食事をしたときのことを思い出した。 メンバーは同じなのに、今日はとても楽しい。 いや、このテーブルで、今まで何度も食事をしてきたけれど、今がいちばん楽しい。 アスカとミサトさんが楽しそうにおしゃべりしてて、ぼくがそれを聞いてる。 ただそれだけなのに、なんでこんなに楽しいんだろう。

アスカが、ふぅ、と言ってそっくり返り、「美味しかったー」って言った。
「どれが良かった?」
聞いてみた。
「エビね。この辛いやつ」
「へー、肉かと思った」
「うん。あたしも意外。てゆーか、それ聞いてどうすんの?」
「え?」
そのうち、みんなのために、また、食事を作る機会があるだろうから、そのときのために、って思ったんだけど、 そう言ったら、アスカが気を悪くするかな。
「アスカの好きなもの、知りたいな、って思って」
「あ、だ、だから、それは何故か、って聞いてんのよっ!」
アスカが怒鳴った。 え? ぼく、また何かマズいこと言っちゃったの??
「えーっと・・・」
ぼくたちの会話を正面で聞いていたミサトさんが、声を上げて笑った。

「あんたたち、いいチームになったわね」
「そんなことないわよ」「そんなことないですよ」
「ほら、いいチームじゃない」
ミサトさんが楽しそうに言った。

「この作戦が終っても、こうやって、チームで運用できたらいいな、って、思ってんのよ」
アスカとぼくは顔を見合わせた。
「まー、しかし、まだそのハナシは早いわねー。今いる使徒をやっつけてから、考えましょ」
そう言うと、ミサトさんは、ビールを呷った。
「そうね。でも、そのアイディア、悪くないんじゃない?」
「そう? アスカに賛成してもらえると、ハナシが早いわ。シンジくんは、どう?」
「ぼくも賛成です」
その方が楽しそうだな、って思った。
「あ、でも、じゃあ、今後もユニゾンとかやるんですか?」
「必要があればねー。やらずに済む方が助かるけど。正直しんどいのよ、これ」
「あたしたちの方がしんどいわよ」
三人とも、笑った。

エヴァに乗ることが楽しいって思ったことはなかったけど、こういうのは、楽しいかもしれない。 そう思った。

つづく