京都北山 薬王坂から蓑ノ裏ケ岳 ’15.9.20 晴

 鞍馬-薬王坂-静原-坂原峠-蓑ノ裏ケ岳-繁見峠-権土池-岩倉駅-国際会館駅

 爽やかな秋晴れのもと、洛北の里山歩きとしました。この度は久しぶりにファミリー万歩のハイク参加です。ゆったりのんびり叡電鞍馬駅(9:10)を歩き始めとなりましたが、まだ鞍馬寺への観光客も人出まばらでした。そして天ケ岳への登山口でもある薬王坂へは20分ほどで着きますが、もうこの峠まででついて来れなくなるほど疲れた方があったようです。

 

 そのようなことから最後の方が到着するまでの、最初から10分も休憩となりました。この峠はその昔、最澄が鞍馬で薬王如来を造り、比叡山へ帰ろうとこの坂を越えたとき、薬王がその姿を現したことから、この名が付いたといわれています。一休み後に腰を上げるとすぐに枯れてしまったような大きな赤松の大木地で、そばにはログハウスも建っています。

 ここは古のころの南北朝時代後期の1364年阿弥陀の菩薩を弔い、後世の安楽を祈って立てた石仏である弥陀二尊板碑が松の木の根っこにくい込んで立つ地でもあります。・・ですが、みなさんはこのような貴重な歴史的遺産も誰一人、気にもせずに急下り道をどんどん降りていかれます。思うに急坂を降りるのが精いっぱいで、そのような歴史などに目を向ける余裕すらないのでしょうか。残念ですね、山歩きはただ歩くばかりではあまりにも悲しすぎます。山の自然や歴史などにも関心を持ちながらの山歩きを楽しむことによって一層の充実感が得られるハズなんですがね~・・。

 その後にはかっての別荘地跡でしょうか。荒れ果てほとんどのログハウスなども朽ち果てているような地で、これまでから京都一周トレイル歩きにおいても誰一人姿を見かけたことはありません。簡易舗装の急坂を降れば、目の前に田舎の景色が飛び込んできました。
 農作業の稲刈りも始まっているようで、長閑な静原の里に下りてきました。このあたりも歴史的に由緒ある地でも有名で、周囲を山に囲まれたのどかな里です。今日は静原の里の中心地より手前から静原川の農道歩きとなってしまい、静原神社にはお参りはできなかったのですが、その神社は天武天皇が逆徒に襲われた際、ここに臨幸し、体を安らかにし心を静かにしたことが、「静原」という名の由来とされています。

 のどかな農道でまた一休みとなりました。足元にはキツネノマゴがあちこちに咲き誇っていました。この花の名は穂状の花穂を狐の尻尾にみたて、花が小さいことからついた名とあります。また、うつ病や解熱には煎服し、腰痛などには煮汁で入浴などによっての薬効があることでも知られます。

 そして歩き出すとヒガンバナが咲き初めとなっています。この花は田んぼの畦道などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるため、お彼岸の頃に咲く花として親しまれています。こうして真っ赤な彼岸花が咲き乱れる時期になりましたが、思えば子供の頃にはこの花を持って帰ってはいけないと謂われていました。それは家に火がつき燃えてしまうからなどと親から諌められたことなどでした。でも、今、大人の目で見れば怪しげな妖艶さもないのかともの思いに耽りながらの歩きとなります。

 

 そして野道の右よりには竜王岳を眺めて、目の前にはこれから登る蓑ノ裏ケ岳が両翼を広げるかのような姿で大きく座っていました。白いビニールハウスではトマトを栽培しているようですが、その周りに張り巡らされた金網にはヘクソカズラ、ヤブガラシ、ヤマノイモいろいろの種やノササゲやタンキリマメなどのつる性の野草たちの花や実がいろいろ多数見られます。
 もちろん、秋ですからヌスビトハギは満開となって広がっています。それにテンニンソウにボタンヅルなども花から実へとなりかけています。足元の草むらには紫色のゲンノショウコも踏みつけるくらいに咲いていました。でも、みなさんはそんなのどこふく風というように、誰一人このような自然に目を向けようとしている方もなく、一目散で歩きぬけて行かれます。私はさすがに写真は撮り損ねました。

 

 そして上り坂となってようやく山の中で、足も止まって峠で一休みでした。そこの左側へは静原墓地の坂原峠に着きました。お彼岸の墓参りも車で来られています。そんななかでこちらはのんきに山遊びで何か気がひける気持ちとなります。でも、車に乗って坂道を上るのではなく、歩いての坂の上なので健康的だと勝手な解釈とするのでした。

 

 静原墓地に登り上げてこれから登る山頂である蓑ノ裏ケ岳を眺められるのですが、そうでなく今日は墓地への反対側より樹林の続く中の展望も全くなしの今回の山でした。でも、なんとか蓑ノ裏ケ岳山頂へは40分ほどで登り上げることができました。
 里山は道もはっきりとせず歩き辛いこともあります。でも、普段ではほとんど踏むこともない山域の低山歩きもまたよしと思えるのでした。小広い山頂でしばし、休憩後は繁見峠へ半時間ほどのやや急下りもある道でした。降りたこの繁見峠まででもなかなか列が長くなってしまい、最初に到着のこちらは出発が1時までと50分もの昼食休みでした。

     
 蓑ノ裏ケ岳(432.7m)3等三角点    繁見峠で長い昼食休憩となり

 この後は繁見坂の林道を延々と降っていきましょう。鎖のゲートを出ると仏大グランド前から舗装路となって登山靴では足にはよくありません。老人ホーム洛翠園のそばに権土池という池があり、この謂れは「明治維新の元勲岩倉具視公は、岩倉村に幽棲のおり、常に村民に庇護せられ、危害を免れた。明治9年公は村民の旧義に報いるため、三百円を寄付された。村民らは永久に記念するために用水溜池を築いて「ごんぞう」(池造り人足)の名を冠し、加恩の池として、今もその恩恵に浴している」と由来書が立っていました。

 その池横を通過し、岩倉の住宅地より比叡山を眺めながら、黙々と車道歩きでした。そしてカンカン照りの岩倉川沿いである街中歩きには閉口でした。予定どうりの叡電岩倉からさらに地下鉄国際会館駅(14:00)までの12km5時間におよぶハイクにはあきれ返ってしまいました。やっぱり山登りがいいナ・・との思いとなったのでした。フゥ

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