京北京都一周トレイル・比賀江から下熊田’15.10.7 晴

 比賀江-光厳古道-常照皇寺参道-井戸峠-筒江橋-矢谷上橋-合併記念の森-矢谷越-笹原峠-下熊田-卯滝口-周山

 前回の行程は中江へ下山したのだが、今回はバス便の関係から中江のほぼ北側の山国地域にある京北運動公園からスタートとした。幸い天候も晴れて暑いかなと思われたが、うまく秋風があってハイク日和となってくれた。距離的にも8kmほどで、なおかつほとんどが舗装路歩きであったために足元もスニーカーで歩け、やや物足りないほどのコースだろうとスタートした。

 しかし、これで帰えるにはせっかく遠くへ来ているためにあまりにも、もったいないだろうともう一足伸ばして合併記念の森一帯の小さな峠越えを二つやり、下熊田まで進むこととした。だが、この熊田から周山へのバス便がほとんどないために、やむなくさらに小さな峠を越えて卯滝口でR162へ出て周山の道の駅ウッディー京北を本日のゴールとした。これで一日のハイクとしては距離的には堪能できた。結果として京都一周トレイルとしては実際は15kmほどだったが、余分な峠越えをやって20km弱を暑いなかの歩きとなった。今回は筒江までを中心にレポしてみよう。

 今回のチエックポイントは道標29~34が上桂川の渡渉等、36~39が井戸峠前後の山道、53~67が合併記念の森の山道や農道であった。しかし、危険個所はほとんどなく全くの初級ハイクが可能ろう。ただ、最初の上桂川の渡渉の間のみは上桂川が歩く日の前日から当日が雨であれば増水となることだろうから、その場合にはR477の車道を迂回が安心だろう。また他の山道等の間もほとんどが低山でその距離短く、その他はほぼ平坦で概ね舗装路であるために底の硬い登山靴では余計に足に疲れが出やすいだろうとのことで、全コースとも靴底軟らかめな軽めのトレッキングシューズで歩きとおした。

 さて、歩き出せば右前方に前回歩いたパラグライダー基地のある山並みが並び、その離陸場もあそこだネと誰もが分かって気持ちよく、本日の歩きにはどんな楽しみが待ってるのかなと笑顔になれることだろう。ただ、道は国道だから車の往来には十分心しながら歩きたいものだ。まわりの木や花などを目にしながら進もう。

 

 最初は、歩き始めてすぐに比賀江公民館そばの村社と標示ある日吉神社が祀られていた。この神社の本殿は銅葺き一間社流造様式のようだ。祭神や創建時期などの由緒はよく判らないようだが・・、それに鳥居は反り増しのある明神鳥居のようだ。なお、正面鳥居の横に社号標が立っているが、社号標に村社とあるのは明治の近代社格制度に村社と言う社格があったらしい。その後、社格は戦後国家神道が廃されたために、ここの村社の部分がセメントかなにかで埋められて消されたようだが、埋めた材質が流れて浮き出してきているのだろうか。現在ではその社格標示は神社にはない。

 また、狛犬も座っている。そもそも狛犬は、神社の神さまを守護し魔除けを担っているといわれ、普通左に口をあける阿形、右に口を閉じた吽形の狛犬が併置されたといわれる。この阿吽は宇宙のすべてを包含する意味を持っているとのことである。

 
比賀江の日吉神社 明神鳥居

 続いて、京都一周トレッキング者はトイレも借りられることとなっている民家の奥には熊野神社が祀られていた。こちらの旧社格はやっぱり村社で、この社格はこちらでは山国八社明神の1社となっているようだ。鳥居様式はこちらも明神鳥居だが、最初に見た日吉神社と同じ様式だった。
 なお、当社には子供の誕生を祝して鈴縄に名前を書いた白布を巻き付け、健康を祈願する風習が現在も残っているとのことで、その鈴縄に子の名前を書いた布が奉納されていた。また、境内にはご神木の大銀杏も立っていた。


大野の熊野神社 明神鳥居

 さぁ、この後に前回撮り忘れた臨済宗天龍寺派の寺院である常照皇寺を開山した光厳天皇が歩いたといわれる光厳古道の上桂川の渡渉地にやってきた。本日は10月に入ってしばらく好天気のために雨は降っていない。そんなことから増水で渡渉困難の心配はまったくない。様子を見てもらおう。↓のような石の河原を歩くことになるが、水の少ない今日ばかりは渡渉はたやすい。さすがに平日だからだろうか、それともシーズンは過ぎたのだろうか、いつもの川には鮎釣りの太公望が多いのだが、本日は一人の姿もなかったので気にしなくてよかった。

 なお、常照皇寺を開山した光厳天皇とは、1300年代の天皇で鎌倉時代末期の持明院統の天皇といわれている。と難しくいうより後醍醐天皇と足利尊氏の南北朝争いで、まさに太平記の時代に翻弄されたのがこの光厳天皇である。要するに南北朝時代の北朝の最初の天皇であるといった方が分かり易いだろう。

     

 さぁ、渡渉が終われば光厳天皇が散歩中に腰を下ろしたと謂われる腰掛石前を通って常照皇寺参道を進み、枝垂桜の樹下で一息いれていこう。4月の花のころのこの芝生地は特等席となって見事である。来年の春も待ち遠しい。

 その後は舗装路歩きが出てくる井戸峠への道だ。歩きだしてすぐ左手に古いふるい地蔵さんが二つ並んでいた。その地蔵さんにはそれぞれ安永九年、弘化三年と彫られていたことから、調べるとどうやら江戸時代中期と後期の地蔵さんのようであった。もちろん、近くの常照皇寺は1362年丹波山国の無住の寺を改めて開創したのが常照皇寺の始まりであると謂われ、二つの地蔵さんは常照皇寺より400年も新しいことになるのだが、夢のような大昔の歴史遺産と思えば震えてきそうなゾクゾク感がしないでもなかった。

 古い地蔵さんに手をあわせて、そんな常照皇寺前の道より10分も歩けば山道分岐がある。山に入れば古道の峠でもある井戸峠へ近く行けるのではと迷わず山道歩きが選べる。左への道標36から谷筋へ一旦降って、山道を緩やかに杉並木を登っていこう。これとても36番から20分ほどで古道の井戸峠へ上ってしまった。

 古道の峠には、ここでもいかにも古を思わせてくれる地蔵さんが北側斜面を背に祀られていた。もちろん、古い歴史のある地蔵さんに間違いないので、地域の方々も大切にされているのは当然だ。その地蔵には東と大きくまずあり、その下には「東 寺山、西 つゝ江、南 山ミち、北 初川」と刻まれている。また、石標は明治28年12月建立とのことらしい。ここにも北山らしい峠の道が伸びていることが分かり、歴史的な趣がますます味わい深く感じられ喜ばしい。
 なお、北の初川には644.8mの千谷山があるのだが、この地蔵さんの右手から今でも踏み跡がハッキリ見え、あの山頂を踏んだのは今からもう何年前だろうかと感慨に耽る機会も与えてくれ、時あらばまたいつかは踏んでみたいなとふつふつと思いが頭をもたげてきたのであった。

     
 頭を上げると井戸峠への道標37が目に  趣ある井戸峠の地蔵さん  南側先にはこの後の道しるべが

 峠を西に降ればパッと明るく感じた。弓削地域の筒江集落はよくよく見れば山も田畑もしっかり管理されているのだろう。山には伐採や植林など行き届き雑草すら生えていない。見れば近くの農道にも草刈はしっかりとされて耕地整理の鹿除け柵の中には農業にいそしむ方々が目についた。
 また、挨拶をすればみなさん、感じよく笑顔でご苦労さんと返ってくる。これまでから他の山麓では、すばらしい山間の農家なのに、ともすれば人の影もなくあたかも死んだような限界集落の多い昨今、ここ筒江集落では、ハイクの中でびっくりするほど素敵な山域だなと思わせていただいた。このような元気で明るい地域の広がりを今後も期待したい。聞けばこの地域の人たちは花も景色だと手入れにどなたも関心があるとのことだった。

 筒江橋が近くなってくる手前には日露戦争の戦病没者の百余名が祀られる鳥居が立っていた。今回出会った鳥居は三箇所目だが、これまでと違い、神明鳥居の様式あった。


神明鳥居

 そばには熊野神社の御旅所があり、10月11日には前日の神幸祭に引き続き、例祭の還幸祭が執り行われるにあたり筒江橋手前のガードレールには上弓削にある「熊野神社」と染め抜いた大きな幟が何本も賑やかに旗めいて祭りを迎える盛り立てが賑やかだった。
 よくよく考えると今年の秋祭りはちょうど10月11日が日曜日であり、京北地域でも山国神社、この熊野神社に、この後に訪ねる弓削の八幡宮社も祭りのポスターが見られた。どうやらこの三連休は日本全国秋祭りで大賑わいとなることだろう。

     
 熊野神社の御旅所は11日は大変な人出かな 熊野神社の大きな幟が旗めく   筒江橋は広い車道が走り

 橋のたもとに京北ふるさと公社がある。ここまでが二回目のゴール地点だが、腕を覗けばまだ11時だ。ならばこの先のコースに進んで下熊田まで歩いてみよう。


 次の見どころはやっぱり八幡宮社だ。その参道ともいわれる京北第三小学校の校庭内に立つご神木の大杉を見よう。樹齢450年、幹囲わり6.3m、樹高32.5mで京都市の天然記念物に指定されているという。本殿はわずかに西に入ると鎮座していた。この神社の旧格は郷社(ゴウシャ)だったようだ。なお、ネット情報によれば格式の廃止前の京都府内の各神社の数は府社33社、郷社67社、村社1,004社で、無格社は1,580社だったそうである。

 八幡宮社の一の鳥居はR162沿いにあることを後で知ったので見逃してしまったが、正面鳥居もさすがに立派な堂々たる威容を見せている明神系鳥居であった。そして本殿は三間社流造・檜皮葺きという様式で本日一番見応えある神社のように見受けた。建物の正面、向拝部や側面、さらに裏面と、蟇股の装飾がなされていて、蟇股にはさまざまの草花が透かし彫りされていると謂われ、桃山後期建築の特色をみせる建物だといわれているようだ。

     
堂々たる八幡宮社正面鳥居  京北第三小学校の校庭内に立つご神木の大杉   三間社流見世棚造様式の本殿

 厳かな神社にお参りしてからはのどかな田園風景を歩けばすぐで上中城跡だ。ここは平な平地に造られた楕円形の城で、12~13世紀を中心に使われていたようだ。また、平安末期の城として良好な状態で残っている貴重な文化財とのことらしい。ただ、現地で素人目には他にはなんの取り柄もなさそうな広場でそう面白みは・・・?、との思いだったが、芝生もきれいに刈り込まれ管理が行き届いているようだ。平坦な城が珍しい跡地より進んであずまやの下でお昼としよう。

 そして矢谷上橋道標53番まできた。これより合併記念の森へ向かうのだ。この道はまだ二度目のためにうれしい。やや登って坂を越せば地道になって下り出す。そしてゲートの先にログハウスが見える。注意点はその先の道標↓左画像だ。この道標は京都一周トレッキングのものではなく、この標示では直進か左折かどう行けば?、と迷うこととなる地である。
 答えは地図を見ればすぐ分かるが、道標には「塩田西山線」とある左折だ。そしてわずかに進めば、やや草生している場所に道標57番が立ち、トレッキングのテープがぶら下がっている。このあとは道なりに進めば要所要所にトレッキングの道標が立ち、迷うことはなくなる。

   
 塩田西山線の左折へ  57番道標地

 その後、道標58が矢谷越だろうが、矢谷越の標示は特にない。その後の笹原峠は道標60-1地だ。そして次の61番では合併記念の管理棟、トイレ等がある広場や池があるが、見どころなどなく立ち寄る価値はなさそうだ。ただ、WC設備はあるようだが、関係者へ事前連絡をしなければ普段は施錠されており使用不可となっている。

 もちろん、その後も農道歩きが続くだけだ。そしてようやく66番で宝泉寺を誘導しているので立ち寄るのだが、弘法大使が修業した高雄山神護寺と関係の深い真言宗御室派の寺だが、けばけばしい堂などで特に見応えはなさそうだが、6月には菖蒲まつりが執り行われるようだ。そしてゴールの保井谷橋の道標67番であった。なお、下熊田のバス停前道路は幅広く、貸切バスを乗り入れても余裕がありそうだが、WC設備はない。

 本日見た花などはヨウシュヤマゴボウ、ヨメナ、ヤマシロギク、マルバアサガオ、アキノノゲシ、イヌガラシ、アレチハナガサ等だった。他には園芸種だがなかなか名前が出なかったクレオメ(和名セイヨウフウチョウソウ)が山麓の荒れた地に野生化と思われる花を咲かせていたがこれは初見の花だった。

 また民家の前の道路沿いにこれまた野生化したであろうコルチカム(和名イヌサフラン、アキズイセン)がきれいな花をつけていた。この種は以前に八ケ岳に登った後に「もみの湯」で汗を流したのだが、その入口にきれいに植え込まれたのを見たのがあまりにも印象的であったことから調べた記憶が蘇った。これら二種とも比較的、目にする機会は少ないと思われる花に出会うこともでき感激ものであった。

   









 
クレオメ(フウチョウソウ科)     コルチカム(ユリ科)

 今回はこの下熊田から山の中の卯滝集落へ坂を越えて歩き、卯滝口バス停から周山までテクテクで、結局、最後の下熊田から周山まで見どころなしの無味乾燥の50分間はしんどかった。ウッデー京北で京都行きJRバス乗車となったが、この時間が1時間20分と長すぎた。トホホ

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