京都北山大杉谷左岸から愛宕山’15.10.13 晴のち曇り

 清滝-大杉谷左岸-月輪寺岐れ-愛宕山-ケーブル道-清滝-野宮神社-阪急嵐山

 秋晴れの空を見て愛宕へ向かった。月輪寺登山口から左へ上がって行き左岸道の取りつきへやってくると、空也の滝方面から青年が下りてきた。ところがこの青年は頭からカッパを着込んでいる。青年の方から口を利いてきた。「え~、こんなところから登るんですか、大丈夫ですか、迷いませんか・・」と矢継ぎ早に口を開くのである。

 そんなことより、こちらの方が口を利きたい。アンタどうしてカッパなど着込んでるの?、今頃降りてきて何してたの?、と聞きたかったのだ。すると間髪を入れずに「滝行をしてました。別に宗教に凝ってるわけではないんですが、趣味の一つとして・・」とおもしろい返事が返ってきた。平日の朝からこんなところで40くらいの若い人がよくやるよね~と変な関心をしたのだった。

 ところが、彼は滝行の話より、こちらがこれから登ろうとしている登山道のことが気になるようだ。さらに矢継ぎ早に口角泡を飛ばしながら、自らの山歴を述べ、この道を細かく聞くのであったが、その喋り口調がおもしろい。どうやら自分も登りたい道なのだが、道迷いが心配らしく事細かく質問攻めが続いた。
 以前に空也の滝上からの沢を詰めたが、右股、左股岐かれを左股に遡行したために失敗したともいう。おもしろい男の質問にはそれなりに応えておいたが、よほど、よければこれから一緒にどう・・?と口に出かけたが、いや、待てヨ、これだけ喋りまくる男と歩けば、こちらが道中で気分的に参ってしまうだろうと思え、なんとか話の隙間を切って「では、これからも滝行に努めて、道迷いしない山歩きをしてや~!」と別れたのである。少し上がって下を見れば、まだ彼は心残りなのかこちらを見上げて見送っていた。

 こちらはなんとか気分を入れ替えて、最初の分岐を左へとり、黙々といつもの道を辿るのであった。だが、この道も次第に崩落が続くのか所どころで細くなる部分があったりして、これなら雪が続けば左への滑落の心配もありそうだと思いながら倒木を跨いだり、細い枝をおしやったり、また、蜘蛛の巣を枯れ木で撥ねつけながら進むのであった。

 そして、足元にシダのオオバノハチジョウシダがきれいに群生していた。この種も低山歩きの湿った谷筋に普通に見られ、珍しくもないのだが、我が心にはなぜか愛着の浮かぶシダなのだとやっぱりデジが向いてしまう。でも、ここではこのシダが見られるとひぐらしの滝が目の前であることも知らせてくれるのだ。


オオバノハチジョウシダ

 
元気に水を落とす「ひぐらしの滝」

 この後には右股をとろう。次第に植林が蜜になってあたりは薄暗くあまり気分のよくない部分となってくる。このあたりに住むだろう狸君は今頃寝ているのだろうか、どうしているのかななどと他愛無くのんびり進もう。そして大荒れとなっていて左から右へ二筋の流れある二俣地へ降りるのだ。道は二筋の間の盛り上がりの斜面を小さく登っていく。


二俣地の様子、これでもすっきりしてきた方

 そして、またまた植林地の斜面をジグを切ってどんどん登って行こう。この部分は比較的踏み跡はハッキリしていて気持ちよく歩ける部分だ。でも半時間もしない内に足元が伐採木の散乱でぐちゃぐちゃとなってきた。しかし、勝手知ったる我が足はその中を行くが、最近どうやら皆さんも踏んでくれているようで、踏み跡が出来てきているような感じが喜ばしい。そう思うとすぐに大杉谷コースの桜の園第4ベンチ第5ベンチすぐ上に飛び出した。


第4~5ベンチ上に飛び出す

 そしてさらにジグザク道を登って愛宕スカイラインへの踏み跡を左に見送って月輪寺岐れでいつものように一本だ。目の前にはウラジロノキがまだ青く葉をなびかせているが、実がついておればもうそろそろほんのり赤くなりかけているだろうかと果実を探すも今年は不作年なのだろうか、まったく実はついていないようだった。

 少し歩けばやがて大石座る地でカナクギノキはほんのり黄色じみてやがて黄葉となるのだろう。京の広沢の池方面がヤマザクラの成長で大岩から俯瞰できなくなってしまったが、このヤマザクラはもう暗赤色に紅葉してだいぶ葉を落としているのだろう。透けるように桂川方向の流れが光っているようだ。反対側にはコシアブラがまだまだ紅葉には時がかかるようだった。石庭園のような場所を縫うように展望台に上がってまたまた市街地を眺めるも、もやって遠望ははっきりしなかった。

 ジープ道に上がり、ツルデンタのシダも今年は元気に繁茂しているのを眺めて、元気にこのシダをいつまで目にすることができるのだろうかと、つい感傷的になってしまうのは年のせいか・・・。そうだ、この名などシダを教えてもらったT先生もまだまだお元気にシダ観察に飛び回っておられることだろう。。


ツルデンタ

 この上はもう愛宕神社の山頂でもある。ストーブ小屋入口の温度計は11度を示している。この前まで30度もあったことが嘘のような気分で、弁当を広げるのも外の日の射すところを探して腰を下ろすことになるのが侘びしい。社務所付近の珍しいカラタチの3cmくらいの若い果実が沢山下がっており、この実はまもなく黄色く熟すことだろう。


カラタチ(ミカン科)の若い果実

 食べ終わると、そうだ、今日は愛宕さんの不思議を見てみようと三の鳥居へ降りる。もちろん、愛宕の鳥居様式は両部鳥居だ。その不思議とはその三の鳥居そばに座る「上の亀石」である。京都を歩く不思議辞典によれば次のような解説がある。

「青銅鳥居の傍らにある。石柵で囲って注連縄が張られている。本社前の礼拝石が上の亀石、鳥居本にあるのを下の亀石という。役行者が置いたと伝えられる名石。下の亀石と同様、何のために置かれたのかは分からない。社では、「神石」であることは間違いないが、名は特にないという。

     
 上の亀石    青銅鳥居の三の鳥居

 「下の亀石」と「上の亀石」は地中で繋がっているともいう。

 そして鳥居本にある一の鳥居立つ「下の亀石」も↑の京都を歩く不思議辞典による謂れの解説を読んでみよう。

鳥居本の朱塗りの鳥居。これは愛宕神社の一の鳥居で、この鳥居によりそうように藁葺きの鮎茶屋・平野屋がある。この茶屋の前に注連縄を張った亀の甲羅のような石がある。これが亀石で、愛宕神社本殿傍らの青銅の鳥居にある亀石を上の亀石というのに対し、下の亀石という。役小角が置いたと伝えられる名石。何のために置かれたのか、今となってはよく分からないが、地元の人は、愛宕神社への参拝は急坂が続いて苦しいので、亀のようにゆっくり着実に登りなさいという寓意だという。」

     
 下の亀石   鳥居本の一の鳥居 

 ついでに二の鳥居も撮ってきたが、この鳥居はなぜこんなに貧相だろうか。これも不思議だが・・


表参道の登山口にある二の鳥居

 ところで、下山は表参道を水尾別れの東屋上にある花売り小屋付近から左折してケーブル山頂駅跡へ回った。平日だというのにそこには若者4人が鍋を囲んで大声で宴会をやっている。自然美を楽しもうとやってきたのだが、自然を楽しむこともなく、とっとと崩壊続く駅舎の裏に回ってケーブル道を降っていくこととなった。
 それでも裏側の錆びれた駅舎にカエデの姿が目にうれしく写った。だが、やっぱり思うのは我が現役時代は土日しか会社は休まなかったものだが、多様化時代の昨今とはいえ、平日でも多くの若者が休んでのんびりしているのを見受け、時代の変遷にはついていけなくなった我が身が悲しい。


ケーブル駅舎跡裏も表も紅葉時は素敵だろう

 さて話は変わるがこちらのケーブルは昭和4年開業から昭和19年の戦争による強制撤去の短い営業だったようだ。古の京都人は春や夏から秋、そして冬へと一年を通じて愛宕山の娯楽を求めて多いに楽しむことのできた時代であったのだろう。降りに今回は歩かせてもらったのだが、上から二番目と四番目が土砂崩れなどで通ることができなくなっているが、後の4基は今でもどうにか通行できた。
 鋼索線の清滝川駅から愛宕駅間の路線距離は2.13kmだったという。この間のトンネルが6基あったことになる。なお、下界の清滝から嵐山間の平坦区間3.39kmの軌道も走って鋼索線がつながって愛宕山への賑わいとなっていたのだろう。

     
 きれいに残る上から三番目のトンネル    一番下のトンネルは辛うじて通れるが・・

 こうして無事に清滝に下山し途中バス停あたりで、高齢の女性二人から声がかけられた。「教えてください!、愛宕さんに登ってきたんでしょう。私らでも登れるでしょうか。私は愛宕神社について研究しているもので、千葉から来て京都の友に連れられ明日登ろうと思っているのです。」とのことだったが、もう一人の方は腰が出ているような姿を見て、「いや~愛宕さんは無理でしょう。」「何時間かかりました?」、「こちらは表参道往復ではなかったので今日は5時間ほどでしたよ。」と返事するも、明日は絶対登るのだとの意気込みが十分汲みとれる雰囲気が現われていた。

 ようやく聞けば腰の出ているよに見えたご婦人は「妙心寺のそばに生まれて育ち、若いころはよく愛宕に登ったし、明日もゆっくり時間をかければ登れるでしょう。」とのことで、「それなら愛宕の表参道も御存じだろうし、ゆっくり時間をかけて怪我のないよう登ってみてくださいね。」と分かれることとした。

 もちろん、こちらはこれよりバス乗車は予定にない。薄暗い清滝トンネルを車に気をつけながら通過し、お目当ての鳥居本にある一の鳥居へと足を進めた。いつ出会っても、こちらの堂々と立つ両部鳥居と平野屋の風景にはしびれる雰囲気がある。それにもまして本日は「下の亀石」だ。ひとつも二つも勉強になったと亀石に手をあわせるのだった。

 最後は観光客で賑わう化野念仏寺から二尊院、そして竹の小径にある野宮神社の鳥居を見よう。さて、こちらの鳥居はなんといっても黒木鳥居が目玉だろう。駒札には次のような説明があった。


野宮神社の黒木鳥居

「黒木鳥居とは樹皮のついたままの鳥居のことで鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものであります。当社は従来より鳥居の用材に「くぬき」を使用して三年毎に立替をしてきましたが、近時鳥居に適するくぬきが入手困難となって参りました。そこでなんとか昔の面影を残したいと考えておりました処、幸いにも香川県高松市の日本興業株式会社より自然木の鳥居の寄進をうけこのたび建立の運びとなりました。
この「くぬき」は仝社が徳島県剣山(一九五五米)の山麓より切り出し防腐加工を施し、奉製をされたものです。
また鳥居の両袖の小柴垣は「くらもじ」を用い源氏物語を始め謡曲、和歌、俳句などにも表された黒木の鳥居と小柴垣の遺風を残したものであります。 平成五年四月大安吉日 嵯峨野の宮 野々宮神社」

 ブナ科のクヌギの鳥居は四国香川県産のようで、この神明系の黒木鳥居も比較的珍しい鳥居ではないだろうか。それに鳥居の両袖の小柴垣はクスノキ科のクロモジのようだ。それにいろいろな国の観光客が賑やかにひしめき、10月18日に執り行われる斎宮行列の幟が賑やかに旗めいていた。。

 今日は午前中のお天気から、午後には寒いなと感じるほどの秋めいた陽気となってしまった。最後は中之島公園で歩いて来た愛宕山を眺めながら、本日はいろいろな人との出会いのあった愛宕だったなぁ。でも、我が身は元気に愛宕を歩けたのだと幸せ感に浸りながら、頑丈な身に育んでくれた両親に感謝の一日感だったとするのであった。

 
丸いのは小倉山、右が愛宕山

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