比良牛コバから摺鉢山と烏谷山’15.11.3 曇り

 坊村-牛コバ-摺鉢山-烏谷山-荒川峠下道標地-水場-大岩谷分岐-中谷出合分岐-JR志賀

 そろそろ豪雪期の比良が恋しくなってきた。急峻だけがとり得の摺鉢山(1006m)に登って、ついでに隣の烏谷山(1076.7m3等三角点)を進み琵琶湖一帯を見下ろすのだ。そして樹走路の冬期時事前チェックとしよう。堅田からのバス便を降りると、今日はまずは地主神社へお参りとしよう。

 この神社の祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)だが、この地の地主神さんである思古淵明神も祀られている。また、地主神社の創設は室町時代の文亀二年(1502年)といわれ、歴史ある本殿は、三間社春日造、桧皮葺、一間の向拝をつける。また、幣殿は向唐破風造、桧皮葺で幣殿建築の代表的なものだ。そして、本殿・幣殿は重要文化財の指定を受けている。
 
もちろん、鳥居様式も奈良の春日神社の鳥居で有名な明神鳥居系の春日鳥居といって、笠木や島木に反り増しがなく 、木口が垂直なのが特徴だ。また、同系の笠木や島木の木口が斜めになっているのは八幡鳥居というよく似た鳥居と間違い易い鳥居もある。坊村からの登山時には、いつもこの鳥居を見て、堂々たる風采で見守って登山者を出迎えてくれるように思え、無事に歩けることを願って一礼は欠かさない。

 

 登山者はいつ来てもほとんどが武奈ケ岳への直進道だが、こちらは右折するのが気持ちよい。なぜなら、武奈への直進者が、へ~、あの人どこへ登るのだろう・・との声も聞くほどだからだ。そんなのどうでもいいのだが、歩き初めの奥の駐車場あたりの明王谷林道から見上げる山の紅葉が見ごろである。やっぱりこちらも楽しもう。心多き山歩きなのだ。そして、二の滝護摩堂あたりからも更に見事な眺めが続いていた。











 
   

 三の滝はパスすれどもアスナロの樹木観察もしよう。ヒノキ科の仲間たちはいろいろあれど、主はやっぱり「ワイはヒノキじゃ!・・」と頑張るヒノキの葉裏の白く見える気孔がYの字に見えることで知られる。ちなみにこのアスナロがWで、サワラがXの字に見えることは図鑑でも説明があるくらいよく知られた話である。

 

 さて、今回は「木曽五木」についてふれてみよう。ウィキペディヤによれば「江戸時代に尾張藩により伐採を禁止された木曽谷の木」のことで、それらはヒノキ、アスナロ、サワラ、ネズコにコウヤマキの針葉樹の5種だ。木曽五木といえば民謡の木曽節でも謳われているという。もっともコウヤマキだけがヒノキ科でなくコウヤマキ科であるが、ほとんどがヒノキ科であり、その背景を同じくウィキでは次のように説明している。

「古くより木曽の山は建築材として貴重な木材を数多く産出していたが、関ヶ原の戦い後の江戸時代の初期、城郭・城下町・武家屋敷・造船などの建設によって森林の伐採が進み、山々は荒廃してしまった。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩により森林の保護政策が行われ、ヒノキの伐採が禁止された。
後に、誤伐採を防ぐため、似たアスナロ、サワラと、重要なコウヤマキの伐採が禁止され、さらにネズコが追加された。「木一本、首一つ」ともいわれるほどの厳しい政策の「留山制度」がとられた。その際、伐採が禁止され、保護された五種類の樹木を木曽五木という。
しかし、厳しい保護政策にも関わらず山の荒廃は止まらず、さらに尾張藩はクリ・マツ・カラマツ・ケヤキ・トチ・カツラにも保護指定をし、伐採禁止の地域や樹種を拡大させることによって、森林の保護に努めた。その結果、美しい山を取り戻すことになった。このような政策は、山々の荒廃に悩んでいた全国の藩の模範となり、各藩の政策に採用されていった。」

 このように、昔の尾張藩から始まって各藩の思い切った留山制度の政策により、現在の日本の森林率はフインランド(72.91%)、スエーデン(69.24%)につぎ、第三位の68.57%という高率で、これがまさに森林大国といわれているほどだ。私はいつもお客様に申し上げているのは、このような森林大国に生まれたことに感謝し、次世代の若者にも引き継ぐことのできる自然をとするために、更により自然をこよなく愛するような山歩きを楽しもうと話すことにしている。ちなみに米国33.32、中国22.62、英国11.97という状況であることからみても、世界をリードする国々の中において、如何に日本の森林率の高さが顕著であることがお分かりいただけるだろう。(いわゆる先進国といわれている国々の統計から抜粋)

 さて、本日の山歩きの本題に入ろう。三の滝からすぐでこれから登る摺鉢と烏谷山を見上げてテンションも高めながら、伊藤新道を右にみやり、口の深谷でシラクラの壁を見れば牛コバは近い。大杉の立つ牛コバは蓬莱山などへの分岐点でもあるが、やや薄暗い地で休む気にもなれないが、この後が急峻な山道となるので一息いれてみよう。

 
シラクラの壁

 でも、これより大橋方向にとると、すぐに大津の消防署の看板地である。摺鉢山へは3~40分ジグザク道を上がって、大杉と大きなシャクナゲのからむ場所が夏道となるのだが、冬道はこの消防署の看板地あたりから取りつく方が道はショートカットとなり、体力消耗に助かると決めているのだ。でも、この時期はさすがに冬道へはブッシュで無理というものだ。やむなく、夏道をとって上がろう。

     
 摺鉢山への冬道分岐地    夏道分岐地

 夏道分岐までのジグザク道の急峻さは一級だが、登山道か細く、これに雪がくればこの道を追うのはほぼ無理というものだ。しかし、今は踏み跡はしっかりでありとの道なのに、更にうるさいくらいのテープが散乱しているのは目障りと思うほどでバカらしくなってくる。

 こうして、大杉の分岐よりこれまた踏み跡もほとんど出来上がっており、歩く人も多くなっているようだ。紅葉もほとんど見られず、もちろん春の植物の花もなく、無積雪期に歩くにはがっかりの山歩きとなろう。だがそんな山を、ようよう1000mの摺鉢山へ到着だったが、疎林に囲まれ展望はほとんど利かないのも悲しい。
 そうそう、比良山系では地形図上の標高が1000m越えは15座あるのだが、そのシンガリがこの摺鉢山である。もちろん、最高峰は武奈ケ岳(1214.4)、二位がコヤマノ岳(1181)に三位が蓬莱山(1174.2)の低山ばかりの、いわゆるヘボ山山塊だ。といっても日本海気候もからみ、豪雪時の年の冬の比良歩きは結構楽しめるお薦めといってよく、関西圏の岳人には人気の山塊といっていいだろう。

 
摺鉢山の山名札が朽ちていた。

 すぐに辞して、雪時でも烏谷への稜線は右側の植林帯の境目を進めばよいので分かり易い。一応稜線に立つブナの大木も先の強風を受けたのだろう、ほぼ散ってしまっていた。シャクナゲの群生地は雪や登山者の雪時の踏みつけだろう、すっかり押さえつけられて痛んでいる。せめて無積雪期の通過には踏みつけないように、滋賀県の花でもあるシャクナゲをもっと大事に見守ってやってほしい。ちなみにシャクナゲはいろいろな種があるのだが、この山域ではホンシャクナゲだ。

 

 着いた小さなピークは烏谷山だ。先まで進めば真下のように見える琵琶湖の広がりは見事である。だが、今回は曇りがちで展望はそんなに美しくはなかった。西北風を避けて南東側に陣取って遅めの昼としよう。陣取るといっても誰一人いないので貸切だ。
 ところが、熊鈴が聞こえ出したかと思うと、一人、また二人と通過していく。そう、ここは比良縦走路の真ん中あたりだ。そんなことから、縦走路といっても少ない部類の比良縦走路地帯なのだ。そうか、今日は文化の日の祭日だったのだ。普段の平日などはまず人の姿のない地域なのだ。

         
 烏谷山山頂    右に手前堂満岳、奥は釈迦岳、左武奈ケ岳    左打見山に奥に蓬莱山

 わずかな時間の大休憩をすませ、冬期を意識した縦走路チエック歩きとしよう。まず直下の道標地のドウダンツツジが真っ赤色に紅葉で待っていた。そのそばの古木の大きなシロヤシオは老人のように相当くたびれていた。花時の縦走では見事に咲かせたシロヤシオに大歓声を挙げて喜々としたのも忘れない。近年のこの個体はどうなんだろう、来春あたりの5月中くらいにはテントで縦走やりたい!、とまたまた思いがつのるのであった。

 ついでにその樹木の花のないこの時期の話をしてみよう。別名はもちろん、どなたでもご存じのゴヨウツツジで、愛子様の御印といわれ、五枚の葉は紅色がかる縁取りの五葉をつけ、花の展開とほぼ同じ時期に白いすがすがしい花が、なんと凛として清楚であることかと思わせてくれるツツジだ。
 そしてもう一つの別名はマツハダであるが、こちらは思いのほか知られていないように思う。古くなると樹皮がはがれ、松の木の肌に似てくることからの名と謂われている。この肌も独特で花時以外に出会ってもすぐに、「これはシロヤシオですね。」と案内できる便利なポイントなのである。笑
 また、冬芽の中の花芽を探したのだが、どうしてか葉芽ばかりのようだった。この種の冬芽は花と葉との芽がよく似ており、確実なチエックが漏れたかもしれないのだが、要は葉芽は細長く、花芽はやや膨らみ気味なくらいが相違点だろう。

     
 シロヤシオの樹皮は松の肌に酷似する。    シロヤシオの葉芽は細長い

 ほぼ東向きに進むが、尾根が広く、細い登山道はこちらも冬期は夏道どうりには無理からぬ様子である。冬期には稜線を雪庇どうりに歩けば大丈夫だが、夏道は一部谷あいへ降りているのだ。この部分は縦走時以外には利用した覚えはない。今回は冬道を歩いてみたが、どうやらこちらの道も踏み跡ができて、本線の夏道に負けないくらい歩けるようになっていた。ただ、その冬道への分岐点が雪時は容易ではなさそうだが琵琶湖側をとれば大丈夫だろう。

 こうして、夏、冬道合流点からすぐでレスキューポイントの看板地(縦走14)あたりの展望地であった。この後の荒川峠まではまたまた尾根が広くなってくるために、夏道どうりには容易ではなくなる。しかし、地形が頭に入っているので問題はなかろう。

     
 白いのがRP縦走14    左がニセピークで右は烏谷山

 だが、今回は荒川峠へはとらないで、その峠下の道標地へ直に向うのだ。でもこれも地形をつかめば、荒川峠へより峠下の道標地への方がずっと簡単である。それは最初の縦走14の看板地からすぐに、南への古道に取りつくことだ。これさえ間違いなく入れば、ほぼ一本道といえるだろう。しかし、これまでから冬のトレースは古道利用はほとんど経験はなく、荒川峠方向へ進み、途中から南へと向かっていたのは何だったのかとの思いであった。

 
   冬にはこの道標の奥から打見山スキー場の音楽が流れているのも聞こえる。

 こうして荒川峠道下の道標から、水場を経て中谷出合下の登山口までは誰でもモードとなって、JR志賀駅までルンルンの帰りとなった。さぁ、これで烏谷から摺鉢山への逆ルートでも豪雪を楽しめることだろうと早くも雪降る比良を恋い焦がれるのだった。

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