京都北山 三千院からの大尾山 ’15.11.27 晴のち曇り

大原バス停-三千院-来迎院-音無の滝-三の滝-大尾山-小野山-仰木峠-東海自然歩道-横川-定光院-大宮林道-比叡山坂本駅

 今回の比叡山徘徊は三千院奥から取りつき、大原の里十名山の一つでもある大尾山へ久しぶりに登ってきた。ところで、その大原の里十名山は大原の里づくり協会が命名した次の十山らしい。もちろん、大原の里周りの可愛い低山ばかりで、いずれも高みは踏んでいる。

皆子山 972m  峰床山  970m ナッチョ 813m 水井山 791m  天ケ岳  788m
焼杉山 718m  大尾山  681m  翠黛山  577m  金毘羅山 573m 瓢箪崩山  532m 

 さて、三千院の奥にも来迎院という寺がありその前を進んで、登山口からすぐで音無の滝が落ちている。ここまでが観光客のエリアだが、この日もタクシーの運転手の案内で観光客2人がやってきていた。このコースには、この滝から二、三の滝と三つかかっている。でも最初の音無の滝が一番見どころある滝といえるだろう。


音無の滝

 コースは音無の滝上から三の滝より少し進むあたりまでが、細い沢の流れ沿いに歩くために、初心者にはやや歩き辛いかもしれない。かといって渓谷沿いとの景色を感じるほどとまではいかないだろうが、5月ごろだと沢沿いにクリンソウなどの花も見られ、それなりの沢歩きが楽しめることだろう。

 沢が消えると足にやさしい植林帯の尾根となるが割合、急登を強いられる。でも、それも短かくすぐに大尾山への肩に上がり、頂はそこからすぐで大尾山の三角点地だ。北からの強い風に山頂はいてもたっても寒い。そうだ、少し北側からの蓬莱山でも見てこようと少し降るのだが、木の間越しの権現から奥の蓬莱が少し見えるくらいで、すぐに引き返して小野山へ向かうのだった。

 
 大尾山の山頂は広い

 忘れるくらい前の話なのだが、林道がのびてないころは大尾山から山道歩きだったのだが、今は山頂から5分もしないで、林道に降りて広い道を15分足らずで小野山への山道に入って行く楽ちんルートとなっていた。そして小野山へは10分もかからないのだが、ずっと檜の植林帯ばかりだったが、小野山のピークあたりは境界のようで雑木があり山名札が見えたが、この札が見つけられないと小野山はどこ・・?、というような状態であろう。

 さて、その山頂から5分で、大尾山から林道歩きとしてから山道へ入って、二ヶ所にあった同じ看板の三つ目がある地で足がとまった。もっともこの看板は赤字で現在地が1となっている。この地近くあたり一帯が真っ白に見えるほどのホオノキ(モクレン科)の落ち葉が広がっているのであった。この様子の自然観察としよう。

 さて、↑画像右はホオノキの落ち葉だが、なぜかホオノキの落ち葉はほとんどが裏側を上にして広がっているのか・・?。この状態をこれまでからいろいろ調べていたのだが、ようやくネットでその原因らしきものがみつかった。ただし、以下は推定の域をでないのだが、その記述は次のようだ。

①普通樹木の幹から枝についている状態では葉は上を向いて内側に反ってついているのが一般的であろう。

②秋になり紅葉の時期を迎えて、この葉が落ちれば、地面に落ちたときは空気の浮力を受けて、だいたいが木の枝についていた状態で表面を上にして地面に落ちるようだ。

③上向きの葉は次第に乾燥することになるのだが、それによって反り返りが逆になりだして、その結果、風を受けると葉が裏向きにひっくり返る構図だ。

 ただ、裏向きに落葉がなるのは、このホオノキだけではない。おおかたの葉はこの論理で裏向きに広がっているようだ。だが、ホオノキの葉は長いものは40cmほどとデカくなることがあり、登山者によく目に留まりやすいのが、ホオノキはなぜ裏向きに落下するのだろうか・・?、との疑問につながる大きな原因だろう。

 こんな自然へのなぜ?、との意識をもちながら、そのあたりから10分もしないで目の先が一気にパッと明るくなった。植林帯から抜け出して目の前に大きく琵琶湖側の大パノラマ状態だ。しかし、以前からの鹿除け対策網がずっと続いており展望も台無しである。網の中へデジを入れてパチリとしよう。

 このすぐ後には、大尾山から45分で仰木峠だった。そして、これより東海自然歩道をCa480の谷まで階段ばかりの道を降って、また、比叡山ドライブウェーイまで登り上げて、歩行者用のトンネルをくぐって山道に上がり、横川中堂下へ降りてから花の寺の定光院へ立ち寄ってみた。

 さすがに、定光院も寂しいのだが、驚いたことにはアケボノソウ、ダイモンジソウの残花が見られた。それにジャコウソウの萼が美しく、ウバユリの果実の弾けた跡姿やヤマホロシと思われる赤い実が見られた。来春はバイカオウレンやセリバオウレンから始まって、5月のヒメシャガや晩秋までの、いろいろな花々の開花するであろう花寺を訪ねる年としたいものである。

 一旦、横川中堂まで上がって、この後は大宮林道も見どころなく、寂しくテクテクと1時間ほどお散歩気分で日吉大社まで降ってから、観光客の中をJR比叡山坂本駅まで街を楽しみながら歩かせてもらった。最初は立派な藤棚が目に飛び込んできた。フジ(マメ科)は別名ノダフジともいうが、庭や公園などでの植栽はほとんどがノダフジだろう。このつるを見ればやっぱり、葛のつるの巻き上り方は右巻きか、はたまた左巻きかとのことを語らないのはフジが可哀そうだ。そんな昔の自然観察を思い出し、写真であった。

 
↓の手の親指は左画像で左巻きとする

 なお、フジにはノダフジ以外に山歩きで見られる、ヤマフジとナツフジの計三種がある。さて、そのつるの巻き上る方向だが、ノダフジとナツフジが左巻き(ねじの左巻きと同じ)で、ヤマフジが右巻きで上るのだ。もっとも学者によってその取り方は諸説あるらしいが、当方は手持ちの図鑑どうりの解釈としている。 

 その簡単な見方を述よう。自分の手の甲ではなく、手のひらを見ながら、親指だけを握らず4本の指を握って親指をまっすぐ伸ばして、親指がどちらの方向につるが伸び上っているのかを見れば一目瞭然であろう。

 他にも坂本といえば、比叡山に修業する坊さんたちの住処でもある里坊が多かったのだが、その里坊には穴太の石垣の穴太衆積み話も有名だ。この話を有名にしたのは織田信長が安土城をもちろん築いたのだが、その城の石崖も穴太積とのことだ。
 これは花崗岩を使用した野面石(のづらいし)の乱積み構架法からなるものらしい。簡単にいえば 山野に転がっている自然石を運んできて、適当に石崖を積んだものといえばあまりにもひどすぎる説明ではないだろうか。この説明のしかたでは、きっと先の穴太衆の方々に叱られるだろうナ・・・?

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