京都北山 瓢箪崩山から蓑裏ケ岳 ’15.12.19 小雨のち曇り

花園町-トトギ池-瓢箪崩山-寒谷峠-江文峠分れ-P410-P378-静原墓地-坂原峠-蓑裏ケ岳-繁見峠-P334-P257-愛宕社-国際会館駅 

 今日は空模様が予想外れで、花園町のバス停に降りると小雨が降っていた。あれ~当て外れやないか・・。でもザックには雨具と傘まで入れていたので大丈夫だった。本日の最初は街中歩きだから傘をさそう。しかしながら、遊びの山で雨降りは久しぶりとなってしまったのが悔しい。
 仕事ならいざしらず、一人歩きにまで普段から傘さしての山歩きなどする気は毛頭ないのだが、今日ばかりは予報に騙された。というよりこのところの予報が雨模様の多い日が続くようだから、仕方なくあやふい日のようなのに登山靴を履いてしまったのだった。

 さて、最初から一人ボヤキながら屋根のあるバス停でザックカバーやスパッツの準備をしていると、バスに乗る方たちが何人か集まってくるではないか。廻りの方たちは屋根からはみ出て傘をさしながら、我が準備を珍しそうに一部始終上から下まで眺めまわす。山歩きなど経験したことのないノンアウトドア派のようだ。こちらのスタイルがそんなに珍しいのか・・。と思えてきだした。
 この間は5分もかからなかったのだが、こちらは「右鎮宅妙見道」の道標は誰もいない時に着いてすぐに撮っていたのだが、その道標をチラチラ横目で、それにしてもこの道標の意味するところはなんだろうかと考えながら準備していたのだ。
 でも、他人の視線だ。こちらの準備のそんな目なんぞ黙って無視しながら手際よく準備完了して、カッパや防寒具に、はたまたツェルト、ヘッデンなどをあたかも「さぁ、ご覧になりましたか。」となげかけるような仕草でひとつひとつゆっくりとザックに戻していく。
 そして、やおら、ベンチの上にただひとつ残っている傘を広げて、骨は折れていないかとチェックするように見回し、よし!、とバス停から男は黙って颯爽と離れていった。それにしてもまったくみず知らずの、互いに無言の人たちを相手になんとも気分よかった芝居のような仕草だったな・・と心笑しながらのスタートだったのである。

 調べると次のようにあった。そもそも、「鎮宅霊符神」は仏教では妙見菩薩、神道では天御中主神と同一とされている。「鎮宅」とは、家屋の安全・招福を祈るという意味であり、「家内安全」を意味するものである。鎮宅妙見道の下に是ヨリ/三丁とある。
 どうやらマップの北東に妙見神社と表記があるのがそれだろう。忘れなければいずれ足を向けることにしよう。また、この石碑の碑陰には、建立年月大正十三年四月と発起人の名前が11名も彫られている。そして修学院有志/発起人とあって、岩倉でなく修学院の人たちが建立した碑のようだが、そのあたりにも何らかの意味合いが隠されているのだろう。

 ところで本日の山は大原の里十名山に指定されているのだが、それより瓢箪崩山と蓑裏ケ岳いう名はいずれも漫画チックな山名ではないだろうか。前者の山が瓢箪が横に倒れ、崩れた形をしているように見えるところから、つけられたというらしい。でも、まだそのような目でその山の姿を眺めたことはないのだが、いつかはそのような形を見られる登山コースと天気を睨んで登りたい。なお、今回は登り道からも山頂過ぎてからもその頭は見えず仕舞いだった。
 ところが、後者の蓑裏ケ岳という名はいくらネットを探し回っても、その名の謂れなるものが見当たらない。でも、こちらの山容が素晴らしいことはいろいろな方面から見て知っている。今回雨だったにもかかわらず、静原の墓地からすぐ近くに見たものをご覧いただこう。もちろん、もう少し右にふれば薬王坂から取りつく竜王岳もよく見える。


静原の墓地からも姿よい蓑裏ケ岳

 ところで、今回のコースの中で江文峠分れから西へ向かい、P410を過ぎてのコルのオショ谷までは踏み跡はよくついているのだが、オショ谷から登り出すあたりから小ピークのP378あたりの間だけが踏み跡がやや薄いので注意したい。しかし、よく見れば正しい進行方向にはリボンがほとんどつけられているので、落ちついて地図を確認し進むべき方向を見渡せば大丈夫だろう。

 なお、前者の山頂からは本来なら南東に比叡、北東に権現やうまくいけば武奈も見えるというが、これまでいつも天候によりそのような景色は目にしていない。後者はまったく山頂からは雑木ばかりしか見えることはないが、やむなく今回は降ってたものはあがったようで、ようやくここで座って昼にした。

 そして、繁見坂へ下って少し市原方向に進んで、また低い岩倉の尾根を木野へ降りるべく南東へ向かった。そして岩倉実相院への左折の標示が出てくればすぐでP257となり、少し進めば「岩倉具視公避匿之所」の石碑が立っていた。ここで一服としよう。

 
石碑は昭和七年五月建之とある。

 さて、「岩倉具視公避匿之所」とはなんぞやとのことで調べて見ると京都市歴史資料館のHPで次のように記されている。

「文久2(1862)年10月,岩倉具視(1825~83)は岩倉村に隠棲した。この間,公武合体派として和宮降嫁に周旋してきた岩倉は尊王攘夷派から命をねらわれ,花園村の九兵衛宅に身を寄せるなどして難を逃れていた。岩倉は,実相院の裏山であるこの地に難を逃れたことがあったといい,この石標はその地を示している。この後,文久3年8月18日の政変で尊王攘夷派が京都から追放され,岩倉の命をねらう動きはなくなっていく。 」

 この石碑からもずっとしっかりとした踏み跡が続いており、そのとおりに歩けば繁見峠から1時間半ほどで愛宕社へ下山となって、後は車道歩きで20分ほどの国際会館駅へ向うこととなった。なお、今回と同じルートを2年前に歩いたTさんの軌跡をお借りした。次回はヒカゲツツジ開花の頃としよう。

瓢箪崩山から蓑裏ケ岳へ(画像クリックで拡大)

 

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