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【NO1】結成秘話
ここでは「うさぎ団」の結成までの道のりを楽しく学習してみよう!

☆part-1:うさぎ団成立前の某PA状況
平成13年、伊豆の某PAには多くの腕自慢が集い、

互いに牽制し合いながら各々が好き勝手にバイクを走らせていた。
そのため事故が頻発し、山全体が不穏な空気に満ちていた

この状態を、心を痛めながら眺める男がいた。「ともぞう当時32歳」である。ともぞうは思った。
このままではこのPAは大変なことになる。
事故や争いが多発して皆が楽しく走れるような場所ではなくなってしまう。
ゲリラ化し、点々と存在した者たちをまとめ上げなければならない。
しかし、一体どうすればいいのか・・・。

そんなことを日々考えるともぞう自身もこの時は孤立した部隊の一人であった。
そんなある日、事件は起こった。
ともぞうの付き人である「陣野健児」、後のヂンノケンヂが事故に巻き込まれてしまう。

反対側からやって来た重量級の二輪車が「陣野健児」に奇襲攻撃をしかけてきたのだ。
「陣野健児」はかろうじて転倒は免れたものの、排気管を大破する痛手を負った。
しかも攻撃してきた相手はそのまま逃げるように走り去ったのである。
「陣野健児」は相手を必死に追いかけ、なんとか捕まえることに成功した。
そして相手に謝罪と大破した排気管の賠償を約束させた。

事件はこれで終わったのだが、ついにともぞうの懸念が現実のものとなった瞬間であった。
このままではいけない・・・。独りつぶやくともぞうであった。
☆part-2:夜明け
「ともぞう」には一つの構想があった。
孤立した部隊を統率し、新しい軍団をつくりあげ、再びこのPAに平穏な日々を取り戻すことであった。
ついにともぞうは行動にでる! 当時、この山によく来ていた「スギ当時30歳」に話をもちかける。
某PAがおかれている現状と、新軍団設立によってもたらされる多大な恩恵を熱心に語った

その熱意に心を打たれたスギはともぞうの意見に賛同し、共に新軍団を設立することを約束したのであった。
平成13年7月末の暑い日のことである。 スギはすぐにこの話を友人である「イデっち当時30歳」にもちかけた。
その時「イデっち」は国産の四輪車を駆り、世捨て人となって伊豆の山中を迷走する日々を重ねていた。

世捨て人イデっち、山中を迷走するの図

始め消極的だったイデっちもこの構想の偉大さに気づき、新軍団の一員になることを切望する。
スギの推薦を受け正式に入団を許可されたイデっちは涙を流しながら喜んだという。

さらにともぞうは地元吉祥寺の吉祥寺ライダーズであった「陣野健児」・「ハンゾウ」の二人を軍団の一員として招き入れ、軍団員は一気にその数を増していった。 入団したその日より「陣野健児」は名をヂンノケンヂと改め、今に至る。

「陣野健児」と愛車CB  「陣野健児」は後にヂンノケンヂと改名する。(ともぞう自宅前にて)

本章の小辞典
イデっちの入団は非常に大きな意味を持った。
それはイデっちの四輪車が団の補給車両として活躍することが可能だったからである。
食料、電源、暖房、その他の特殊機材や物資が作戦行動中にも容易に調達できるようになった。
更にこの車は全天候型であったため、悪天候下では気象観測車両、偵察車両としても活躍をした。
イデっちの車は25Rというのが正式名だったが、
団員の間ではL.L(Life Line)またはS.V(Supply Vehicle)などの愛称で呼ばれていたようだ。
☆part-3:うさぎ団設立
ともぞうは最年長であったハンゾウを団長に就任させ、団長以下「スギ」「イデっち」「ヂンノ」そしてハンゾウに「半強制的に入団を迫られ思わず入団してしまった@ぐっさん」の6名によって軍団は設立の日を迎えた。
時に平成13年8月4日、新しい軍団の名は「うさぎ団」と決定。そして新軍団、うさぎ団設立の歴史的瞬間を迎えるのであった。
☆part-4:団員のさらなる増員
その後うさぎ団は繁栄の一途をたどった。
スギと同じく、この山によく来ていたスガイ氏の吸収。戦闘力の強化を達成した。
さらに単独茂木を爆走していながら、ぐっさんと某PAにシバシバ出没する「モリ氏」も企画部長となった「ともぞう」にシツコク勧誘された結果、団員として加わる。

その結果、うさぎ団は総勢8名の大部隊に成長したのである。

本章の小辞典
本軍団の発起人であるともぞうが自ら団長に就任しなかった事については、各界において諸説あり今日までシバシバ各国学会において論争となっているが、「元々ともぞうは自分の器をよく知る者であった」という人類学者の説がここ近年正解では?との学会での動きがある。
これによると元々吉祥寺ライダースにおけるハンゾウの地位及びその人格をよく知るともぞうは「自分がまとめられる大きさ」及び「人を惹き付ける力」に関して、ハンゾウに一目置いていた。尚且つスポーツ走行が好きなだけでちっとも速くない自分では「団長」などと名乗れない!と考えていたらしい。

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