被害者や被害者の家族には非常に気の毒な思いだが、私はこういった事件を起こしてしまう人たちの気持ちもよく分かる。 何が彼らをそういった犯行に走らせるのだろうか? それは劣等感や被害妄想といった感情だと私は思う。 そして人々にそういった感情を持たせてしまうのもこの社会が命のかかった競争社会だからではないのだろうか? 競争も発展のためには役立っていたが、その発展も頭打を向かえ、それでも競争を続けていたから命のかかった競争になってしまったという事だ。 そしてそういった競争の社会を私達の過半数が支持している。 自分たちで犯罪を生み出す社会を選んでいながらこの社会に文句を言うのは、私は何か違うという感じがしてしまう。 しかし原因の一端がこの社会にあるにしろ、同じ状況に立たされても犯罪に走らない人もいる。 自分の怒りや欲を自分の意思でコントロールできる。 競争に勝てるなどということではなく、それこそが本当の強さだと私は思う。 私も時には何もかもぶっ壊してしまいたいとか、だれかれかまわず殴り飛ばしてやりたいと思うときもあるが、そういった行為は結局自分の人生をだめにしてしまう。 人を傷つけるということは結局自分を傷つける事に他ならないし私がそういった感情を持ってしまうのも私自身の心が弱いからだと私は思う。 この曲はそういった私自身の弱い心を戒めるために書いた曲です。 みんなが助け合えば敵はどこにもいなくなります。 そういった犯罪のない社会が来る事を願っています。
猿芸氏によれば、リフの部分にアナログシンセ、デジタルシンセ、サンプリングシンセなどの音をブレンドしているとの事。 アレンジも凝っていて2番のバックで流れるストリングスの音をよく聞いているといろいろなメロディーラインが聞こえてくるはず。 イントロと間奏のバックでは伝説のギターシンセサイザーGR−500の音を聞く事が出来る。 (イントロでは低音でゆっくりとうねるような音、間奏ではピロピロという音がそう。猿芸氏によれが間奏のバックでのGR−500の音はLFOの速度を徐々に上げて行きその後VCFを調整して出しているのだそうだ。) 又、彼は独自開発の音楽理論を持っていて、時折自身の曲に織り交ぜている。 この曲でも”人に迷惑かけるのは・・・”のくだりでその一部を聞く事が出来る。 何気なく弾いているように聞こえるギターも実は他に誰も弾ける人がいないのではと思えるほどの超絶技巧を披露している。 例えば、彼が弾いているギターは普通の22フレットまでのギターでトレモロアームもついていないのだが、曲の合間に入るオブリガートのギターがチョチョチョと聞こえるのはなぜか? 同じく曲の合間に入るオブリガートのスライドがまるでギターにフレットがないようにスムーズなのはなぜか? 耳のいい人なら分かるかもしれないが最後のコーラスのバックに聞こえるギターは普通に弾いていたらどうやっても弾けない。 彼は意外な方法でそれを実現している。 こう書くと猿芸氏に怒られるかもしれないが途中のギターが多少おぼつかなく聞こえるのは本来無理な事を無理やりこなしているからなのではないだろうか? 彼はそういったテクニックを独自に数多く開発していて、この曲では既存のテクニックに加えてそういった独自開発のテクニックが数多く聞く事が出来る。 それらのテクニックについては企業秘密との事で詳しくは教えられないが、彼のプレイを目にした事がある私はびっくりしてしまった。 そんなびっくりするような事をしながら彼は歌を歌っていた。 コーラスの後半で聞こえるギターがぐるぐる回っているように聞こえたり、ギターソロの最初のスクラッチ音が左右から交差するように聞こえたり、ボーカルの最後の”集まってくる”のところの 音像が真ん中に集まるように聞こえたりとステレオ的な効果にも凝っている。 |
分かりやすい簡単に読める社会の仕組み | ||||