中国思想史講座

                   諸子百家の思想
 

2. 兼愛非攻墨家の反戦思想
やすい ゆたか

はじめに 墨家とは


 大国楚小国宋を侵さんに立ちはだかりしは墨家なるかな

 前に孔子をやりましたが、孔子は儒家を本格的に組織し、成立させた聖人とされています。儒家で聖人と呼ばれるのは本当は孔子だけでして、孟子でも亜聖とされ完全な聖人ではないのです。儒と言いますのは、学問修行を極めようとしている人いわゆる学者を指すようですが、儒学というのはその正統派みたいな意味で孔子や孟子の流れにあたるわけです。

 それに対して様々な学派が対抗していたのが春秋戦国時代です。今日取り上げます墨家は儒家と真っ向から対立していた学派で、儒家が正統派としますと、墨家は異端ですが、当時は数の上では墨家の方が多かったと思われます。

大国楚が小国宋を攻めようとしたときに墨翟(ぼくてき、墨子)は、門弟三百人を引き連れて宋を救っています。前三八一年に墨家の最高指導者である鉅子(きょし)の孟勝に率いられて陽城君の城を守備していた墨家たち一八〇人が信頼に添えなかったお詫びにと言って集団自殺をしています。

 恐らく墨家集団は共同生活をして、防衛戦を戦うための人材を養成していたと思われます。「墨守」という言葉は教えなどをしっかりと守るという意味ですが、元々は墨家の守りは非常に堅固だったことから来ています。

つまり彼らの戦闘は大国の侵略から小国を守る防御戦にあるのです。何のために小国を防御するかと言いますと、それは戦争をなくすためです。もし大国が小国を侵略できなくなったら戦争はなくなるだろうと考えたわけです。なぜなら、逆に小国が大国を侵略することはほとんどありません。勝ち目がありませんから。大国同士や小国同士の戦いは、どちらの侵略か難しいですから墨家としてもどちらについたらよいか分かりません。戦争反対ですから戦争に協力することはありません。ですから大国が小国を侵略する戦争を止めさせる防御戦を通して平和の実現に貢献しようとしたわけです。

 つまり彼らは戦争が嫌いで、戦争を憎み、戦争のない争いのない平和な世界を築こうという平和運動家なのです。現代の平和運動はプラカードを掲げてデモ行進などしますが、侵略されている小国に入って、その防衛戦に志願することはありませんね。それがこういう思い出があります。私が学生時代にベトナム戦争反対のデモに参加したとき、手をつないでいた女学生が、こんなところでデモをしているより、アメリカ帝国主義の銃弾が飛んでくるベトナムで戦いたいと言ったのには驚きました。すごい根性ですよね。

 大国の側について戦うより、小国の側で防御戦に加わる方が圧倒的に死ぬ確率が高いわけです。圧倒的な物量作戦で小国を攻めますから、撃退するのはむつかしいばかりか生き残るのも大変困難なのです。それでも墨家は平和のために自己犠牲的に小国について戦った英雄たちです。

 でもどうしてそんなに平和のために命がけで戦ったのでしょう。戦争が嫌なら逃げ回っていればいいというのも一つの選択肢ですね。敵が強大なら逃げるが勝ちというのが、孫子の兵法にあります。よっぽど戦争を憎んでいたと想像できますね。それに彼らには身寄りがなかったのではないでしょうか。それはこれから学びます彼らの思想からも裏付けられます。家族がいれば、わざわざ死ぬ確率が高い防御戦に、しかも全く自分の国でもない小国のために命を捨てに志願していくわけがないですからね。

 もちろん墨家の全員が身寄りがなかったわけではありませんよ。比較的そういう境遇の人が多かったのではないかと想像できます。墨家では人材養成で高い土木建築や、医術、農業、高い教養や論理学まで学ぶわけですから、墨家に入れて息子を立派な人間にしようとした人もいたようです。でも墨家ですから、小国の防衛の為に戦ってたくさん戦死するわけです。戦死した息子を見て、父親はこんなことになるために息子を預けたのでないと嘆きますが、墨家たちは、立派に墨家として兼愛を貫き、平和のために戦って死んだのだから息子を立派な人間にしてくれという親の願いは叶えられたのだ。だから感謝してもらわなければ困るみたいなことを言ったそうです。

 ですから私の想像では墨家集団は戦災孤児たちを収容して、彼らを墨家に育て上げたのではないでしょうか。戦争で父母や親族をたくさん殺された孤児たちが、墨家の思想に共鳴して命がけで戦ったということは十分考えられますね。それにしても墨家のようなすごい反戦集団が存在したということは、世界史的に稀有なことですし、大変偉大な人々だったといえると思います。

、非攻

 桃園で桃竊むのが不義ならば数万殺すは不義にあらずや

まず「公輸」という文を取り上げます。墨子は大国楚が小国宋を攻める動きを知ります。楚の王が公輸盤という大工の神様みたいな男に注文して、宋の城を攻めるための大きな車のついた梯子、つまり雲梯を作らせたのです。そこで墨子は公輸盤のところへいき、「ある男が私を侮辱したのであなたのお力を借りて殺したいのです。十金を差し上げますので引き受けてください」と頼みました。もちろん公輸盤は「人を殺すようなことは義としてできません」と断ります。

そこで墨子は、「今大国楚はあなたに雲梯を作らせて、宋を攻め、たくさん人間を殺そうとしています。一人の人を殺すのは義として出来ないといいながら、何の罪もない小国宋の人々を大勢殺すのはどういうわけでしょう。類推の理を弁えていないじゃないですか」と説得しました。

ここでいう「類推の理」というのはこういうことが言えるのなら、当然同じような理屈からこのことも言えるのではないかということです。侮辱されたからと言って人殺しをするのはよくないのなら、当然なんの罪もない大勢の人を殺す戦争はしてはいけないということですね。

公輸盤は納得したもののもう手遅れだ、楚の王は彼の提案を採用してしまったからと言います。それでは楚の王に会わせてくれと言って、楚に行き、今度は王を説得します。

「五千里平方の領土を持つ楚が、五百里平方しかない宋を攻めるのは、立派な車を持っている人がぼろ車も取り上げて自分のものにしようというようなもの、楚には犀や鹿や魚や貝が種類も豊富に量もたくさん取れるけれど、宋では雉、兎、鮒ぐらいしかとれません。まるで穀物や肉が豊かにあるのに、糠や糟しかない国を欲しがるようなものです。楚には大木がたくさんありますが、宋には大木はありません。豪華の衣裳を着ている人が粗末な衣裳を着ている人の衣裳を取り上げるようなものです。これでは盗癖で盗みをするようなもので、何の益もないばかりか、王の義に傷がつくだけです」と諭しました。

でも楚の王はせっかく雲梯まで作ってもらったので今更止められないと言うのです。それで墨子は模擬戦争をします。革帯で城郭に見立てて、木札を兵器になぞらえ公輸盤に攻めさせ、墨子が防ぎます。九度攻めても九度守り抜き、公輸盤の手元に攻撃用の木札はつき、墨子の手元にはまだ防御用の木札が残っていました。

公輸は負けを認めますが、それでも勝つ方法があるといいます。それは「私を殺せばいい」ということでしょう。と墨子は問い返し、「宋の城には既に墨家が三百人入っている。ちゃんと作戦は授けてあるので、私を殺しても無駄だ」と反論し、侵略をあきらめさせたのです。

墨子の論理は極めて明快です。ですから反論できませんね。でも反論できないということは決して戦争をやめることに結びつきません。ですから戦争をできなくするために、侵略の危機にある小国を防御するという実践を伴ったのです。そのための城砦の補修や、小国が防御戦を戦うための方法を開発し、小国の人民を組織し直して、防御戦を指導しなければなりません。ですから墨家の「墨」は大工が使う墨から由来するという解釈があります。土木工事や防御兵器製造のために墨を使っていたからだというのです。

墨家に防御を頼むことは一時的に墨家に指揮権を委ねる事を意味しました。小国にしても生き残りのためにギリギリの選択を迫られたのです。それでも他に生き残る方法がなければ墨家に任せるしかないということですね。 

ではテキストをよむことにしましょう。『墨子』「巻五非攻」より

 今有一人,入人園圃,竊其桃李,衆聞則非之,上為政者得則罰之。此何也?以虧人自利也。至攘人犬豕雞豚者,其不義又甚入人園圃竊桃李。是何故也?以虧人愈多,其不仁茲甚,罪益厚。至入人欄厩,取人馬牛者,其不仁義又甚攘人犬豕雞豚。此何故也?以其虧人愈多。苟虧人愈多,其不仁茲甚,罪益厚。至殺不辜人也,其衣裘,取戈劍者,其不義又甚入人欄厩,取人馬牛。此何故也?以其虧人愈多。苟虧人愈多,其不仁茲甚矣,罪益厚。當此天下之君子,皆知而非之,謂之不義。今至大為攻國,則弗之非,從而譽之,謂之義。此可謂知義與不義之別乎?(は扌へんに也)

(読み下し)いま、一人あり、人の園圃に入りてその桃李をぬすまば、衆聞きてこれを非とし、上の政を為すもの、得てこれを罰せん。これなんぞや。人にかいて自ら利するをもってなり。人の犬豕鶏豚(けんしけんとん)をねすむに至っては、その不義また人の園圃に入って桃李をぬすむより甚だし。これなんの故ぞや。人にかくこといよいよ多きをもってなり。いやしくも人にかくこといよいよ多ければ、その不仁ますます甚だしく、罪ますます厚し。人の欄厩に入って!人の馬牛を取るに至っては、その不義また人の犬豕鶏豚をぬむよりも甚だし。これなんの故ぞや。その人にかくこといよいよ多きをもってなり。いやしくも人にかくこといよいよ多ければ、その不仁ますます甚だし、罪ますます厚し。不辜(ふこ)の人を殺し、その衣裘をうばい、戈剣(かけん)を取るに至っては、その不義また人の欄厩に入って人の馬牛を取るより甚だし。これなんの故ぞや。その人にかくこといよいよ多きをもってなり。いやしくも人にかくこといよいよ多ければ、その不仁ますます甚だしく、罪ますます厚し。かくのごときは天下の君子みな知ってこれを非とし、これを不義と謂う。いま大いに不義をなし国を攻むるに至っては、すなわち非とするを知らず、従ってこれを誉め、これを義と謂う。これ義と不義との別を知ると謂うべきか。

現代語訳、一、盗みは不義、侵略は義

ここに男が一人いる。この男が、他人の果樹園に忍び入って、桃や李を盗んだとする。もし、この事実を知れば、だれもがこの男を非難するであろう。役人は、この男を捕えて、処罰する。なぜなら、この男は、自分の利益のために、人に害を与えたからである。
 もし、この男が、他人の犬や羊、鶏や豚を盗んだとしたら、どうか。その不義は、果樹園に忍び入って桃や李を盗むより甚だしい。なぜなら、この男は、より多くの害を人に与えたからである。その行為は、いちだんと不仁であり、したがって、その罪は、いちだんと重くなければならない。この男が、他人の厩舎に押し入って、馬や牛を盗んだとしたら、どうか。その不義は、他人の犬や羊、鶏や豚を盗むより甚だしい。なぜなら、この男は、より多くの害を人に与えたからである。その行為は、いちだんと不仁であり、したがって、その罪は、いちだんと重くなければならない。

もし、この男が、罪もない人を殺して、着物や剣を剥ぎとったとしたら、どうか。その不義は、他人の厩舎に押し入って、馬や牛を盗むより甚だしい。なぜなら、この男は、より多くの害を人に与えたからである。その行為は、いちだんと不仁であり、したがって、その罪は、いちだんと重くなければならない。

以上のような場合、天下の君子は、みなこの男を非難し、不義と認めるであろう。しかし、そういう君子であっても、他国を侵略するという大きな不義については、非難しようとしない。それどころか、かえって称賛し、他国侵略を「義」とみなしている。いったい、かれらは、本当に義と不義との区別をわきまえているのであろうか。

 

殺一人謂之不義,必有一死罪矣,若以此往,殺十人十重不義,必有十死罪矣;殺百人百重不義,必有百死罪矣。當此,天下之君子皆知而非之,謂之不義。今至大為不義攻國,則弗知非,從而譽之,謂之義,情不知其不義也,故書其言以遺後世。若知其不義也,夫奚書其不義以遺後世哉?今有人於此,少見K曰K,多見K曰白,則以此人不知白K之辯矣;少嘗苦曰苦,多嘗苦曰甘,則必以此人為不知甘苦之辯矣。今小為非,則知而非之。大為非攻國,則不知非,從而譽之,謂之義。此可謂知義與不義之辯乎?是以知天下之君子也,辯義與不義之亂也。

一人を殺さば、これを不義と謂い、必ず一死罪あり。もしこの説をもって往かば、十人を殺さば不義を十重す。必ず十死罪あらん。百人を殺さば不義を百重す、必ず百死罪あらん。かくのごときは天下の君子、みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。いま大いに不義をなし、国を攻むるに至っては、すなわち非とするを知らず、従ってこれを誉め、これを義と謂う。情(まこと)にその不義を知らざるなり。ゆえにその言を書してもって後世に遺す。もしその不義を知らば、それなんの説ありてその不義を書し、もって後世に遺さんや。いまここに人あり、少しく黒を見て黒と曰い、多く黒を見て白と曰わば、必ずこの人をもって白黒の弁を知らずとなさん。少なく苦を嘗めて苦と曰い、多く苦を嘗めて甘と曰わば、必ずこの人をもって甘苦の弁を知らずとなさん。いま小しく非をなさば、知ってこれを非とし、大いに非をなして国を攻むれば、非とするを知らず。従ってこれを誉めてこれを義と謂う。これ義と不義との弁を知ると謂うべきか。ここをもって天下の君子の、義と不義とを弁ずるの乱るるを知るなり。

現代語訳 二、ひとり殺せば死刑、他国を侵せば大手柄

人ひとり殺せば、不義であるとして、必ず死刑に処せられる。もし、この論理にしたがうとすれば、人を十人殺したときには、不義を十回犯したのであるから、十回死刑に処すべきである。百人を殺せば、百回死刑に処すべきである。こういう犯罪については、天下の君子は、みなこれを非難し、不義と認める。ところが、他国侵略という大きな不義については、非難しようとしない。それどころか、かえってこれを「義」とみなしている。

かれらは、侵略行為が不義であるという道理をわきまえていないのだ。わきまえていないからこそ、戦争の事蹟を書きたてて後世に伝え残そうとするのである。もし、不義であることをわきまえていれば、戦争の事蹟を書きたてて、後世に伝え残そうとするはずがない。

たとえば、ここに、一つ一つの黒は見分けても、黒一色に塗りつぶしたものを「白」と言い張る男がいるとしよう。この男は、白と黒との区別をわきまえぬ人間である。少量の苦味は嘗め分けても、大量に苦味を嘗めて、「甘い」と言い張る男がいるとしよう。この男は、甘味と苦味との区別をわきまえぬ人間である。

同様に、小さな不義については非難しながら、他国侵略という大きな不義については非難しようとせず、かえってこれを「義」とみなす者、これは、義と不義との区別をわきまえぬ男ではないか。これがいまの君子である。かれらは義と不義との区別をあいまいにしているのだ。

 

、兼愛

 己が身を案ずるごとく人の身を案ずるならば戦おこらめ

 「非攻」で検討しましたが、侵略戦争をやめさせるために、墨家たちは小国の防御の戦いに参加したわけですが、このような自己犠牲的な行為はどうして出来たのでしょう。驚異的ですね。

つまり戦争をなくすには、侵略を不可能にすればいいという発想で小国を防御したのですが、理屈ではそうかもしれないけれど、元々縁もゆかりもない小国に入って、そこの人々の為に命がけで戦うということはなかなかできることではありません。なんで自分が見ず知らずの小国の人の為に犠牲になって死ななければならないのかと思いますね。

先ほど申しました、ベトナム戦争の時にアメリカの爆撃がひどかったですね、全土に枯葉剤を撒いたりしたので、たくさん畸形児が生まれたりもしました。そういう非人道的なこともあったので、小国ベトナムの人々に同情したのでしょうが、それでデモでもしようかというのはわかりますが、ベトナムの人と一緒に銃を取って戦いたいというのです。なかなかそこまではいけないものですよね。

人間は自分が殺されかけたら命がけで戦います。あるいは自分の家族が殺されかけたら、なんとしても助けようとしますね、つまり自分や自分に近い方の人を他人や自分に縁の薄い人よりも大切にし、そういう自分に近ければ近いほど愛情を注ぎ、犠牲を惜しまないというような暮らし方をしているわけです。

世の中の仕組みも自分や自分の家族の為に働き、自分たちが属する集団や企業や地域の利益を優先して生きていれば、市場原理で競争によって利益が調整されて、世の中全体が豊かになっていくように出来ている面もあります。しかし春秋・戦国時代に戦が頻発するようになったのは、どうしてでしょう。そこを根底的に考えたわけですね。自分を他人よりも大切にし、自分の家族を他人の家族より大切にする。そういう気持ちが少しでもあったら、アメリカに爆撃されているベトナムへ行けますか、楚に攻められる宋の城に立て籠もれますか、家に帰れば妻子がいるのに、あるいは老いた父母が不安そうにしているのに、宋の城にはいれますか。

しかし、この当たり前のことが、結局戦争の根源的な原因ではないかと考えたわけです。欲望の主体は自分ですから、自分が腹いっぱい食べたい、いい服を着たい、ましな家に住みたいわけです。あるいは自分の家族にひもじい思いはさせたくないのです。ですからまず自分の分、自分の家族の分、自分の属している組織や団体、企業の利益を優先したいわけですね。そういう気持ちが強くて働いたり行動の原理にしていますと、資源でも富でも権益でもやはり奪い合ってでも手に入れたいという気持ちになります。

まだ国家権力が行き届いて法で取り締まれる範囲では、私有財産や商取引が保護され、平和を保つことが出来るでしょうが、春秋戦国のように天下を統合する帝の権力が形骸化しますと、諸侯国の間で戦争が絶え間なくなるのは避けられないわけです。もし自国の利益も他国の利益も同じように大切だと諸国が考えれば、互いに平和的に友好的に交易をしたり、共同で資源を利用することになるでしょう。

国がそう考え行動するためには、結局我々一人一人が自分の利益を他人の利益よりも優先したり、自分の家族を他人の家族よりも大切にすることを止めなければならないということです。それができれば、誰一人おろそかに出来ない、一人の餓死者も出してはいけないということになり、みんなで協力して、食糧を確保し、資源を大切に共同で利用し、労力を惜しまずにみんなの為に働くようになるでしょう。人一倍働いたからと言って、他人より多く富を独占しようとはしないはずで、もっとも有効に配分して、みんなが幸福に豊かに暮らせるようにするようになるはずですね。

ということは、これまでの愛情のあり方を根本的に改めようというのです。自分に近い人をより多く愛する差別愛こそ、戦争の原因だとして退け、だれもを分け隔てなく平等に愛する兼愛の立場を貫こうというのです。しかしそれは自分を生み育ててくれた両親と他人の親を同じように愛するということになり、とんでもない親不孝ではないでしょうか。儒家の人々は、動物でも自分の親と他人の親を区別できるものだとして、墨家の考えは畜生にも劣る人道にはずれたものだとして口を極めて罵っています。これを兼愛―別愛をめぐる儒墨論争と呼び、諸子百家の論争の中でも一番重要な論争の一つです。

しかし儒家の兼愛説に対する論難には欠陥がありますね。血縁の深浅で愛情に差をつけるのは自然の情かもしれないけれど、その結果、私利私欲に奔るようになり、それが全ての争いの原因だということに対して、きちんと反論できていません。ただ自分の親と他人の親の区別も出来ないようでは犬畜生に劣るではないかという感情的な反発にとどまっているのです。

これに対して、墨家は兼愛の友と別愛の友がいたら、あなたはどちらに自分の親の世話を頼みますかという反論の仕方で対応しています。仮にあなたが主君の命で遠い国に旅にでなければならなくなり、親の世話が出来なくなったので、友達に親の世話を頼まなければならなくなったとします。一人は兼愛の友で自分の親と他人の親を隔てなく大切にしてくれます。もう一人は別愛の友で、先ず自分の親の方を大切にし、余力があれば他人から預かった親の世話をするとします。だれでも兼愛の友なら安心だということになりますね。そして親切にしてもらった兼愛の友から彼の親の世話を頼まれれば、自分は別愛主義者だからといって、自分の親を優先するでしょうか。兼愛の友のように自分の親同様に兼愛の友の親も大切にしなければと思いますね。そうでないと険悪な関係になってしまいます。

でも現実的には兼愛を取るのはむつかしいので、別愛でいくしかないじゃないかということになれば、やはり戦争をなくすことはできないことになってしまいます。ですから兼愛の立場は、戦争をなくし、皆が仲良く豊かに暮らすためには兼愛を実践すべきであるという呼びかけですね。当然呼びかけるだけで実践しないではいけないので、墨家たちは集団をつくり、兼愛を貫いて生きていたわけです。その最も明確で危険な実践が非攻のための小国防衛だったわけです。

では現代を生きる我々には全く縁のない思想でしょうか。いいえ、そうではありません。彼らの言っている事は、かなり鋭いですし、真心がこもっています、真実を衝いているともいえますね。たしかに別愛では戦争になってしまう、あるいは格差社会になる、環境を破壊するわけです。そういう方向にいってしまうわけで、我々は自分のことだけ、自分の家族や親族や、自分の属する組織やグループのことばかりの考えていてはだめで、皆が平和に健康に幸せに暮らせるような世の中にするために努力すべきです。

仕事をする場合でも、ただ自分の食い扶持、家族の生活、地元の繁栄のためだけではなく、仕事を通して世のため人のため地球の為に貢献すべきですね。そうしてこそ仕事に意義を感じることできますし、人生に充実感を感じることもできるのではないでしょうか。もちろん自分の利益、家族の暮らし、身近な人々の幸福を大切にしなければ、厳しい競争社会でもありますし、騙されたり、よこしまな目的の為に利用されたりしますから、墨家のように兼愛一点張りというわけにはいきません。それでも兼愛も大切です。別愛だけで生きるのではなくて、兼愛の心も忘れないようにすべきなのです。その意味で、墨家の尊い平和のための兼愛-非攻の実践は、人類史の貴重な財産として語り継ぐべきでしょう。

では『墨子』「巻四兼愛」のテキストを読んでみましょう。

子墨子言曰,仁人之事者,必務求興天下之利,除天下之害。然當今之時,天下之害孰為大。曰,若大國之攻小國也,大家之亂小家也,強之劫弱,衆之暴寡,詐之謀愚,貴之敖賤,此天下之害也。又與為人君者之不惠也,臣者之不忠也,父者之不慈也,子者之不孝也,此又天下之害也。又與今人之賤人,執其兵刃、毒藥、水、火,以交相虧賊,此又天下之害也。姑嘗本原若眾害之所自生,此胡自生。此自愛人利人生與,即必曰非然也,必曰從惡人賊人生。分名乎天下惡人而賊人者,兼與別與,即必別也。然即之交別者,果生天下之大害者與,是故別非也。

子墨子言って曰く、仁人の事は必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求む。然らば今の時に当りて、天下の害、いずれか大となす。曰く、大国の小国を攻め、大家の小家を乱し、強の弱をおびやかし、衆の寡をあらし、詐の愚を謀り、貴の賎におごるがごときは、これ天下の害なり。また人君たるものの不恵、臣たるものの不忠、父たるものの不慈、子たるものの不孝のごときは、これまた天下の害なり。またいまの人をそこない、その兵刃(へいじん)毒薬水火を執って、もってこもごも相虧賊(きぞく)するがごときは、これまた天下の害なり。しばらくこころみにこの衆害の自りて生ずる所を本原するに、これなにに自りてか生ずる。これ人を愛し人を利するに自りて生ずるか、すなわち必ず然るにあらずと曰わん。必ず、人をにくみ人を賊するより生ずと曰わん。天下の人を悪みて人を賊する者を分名せんに、兼か別か、すなわち必ず別なりと曰わん。然らばこのこもごも別なる者は、果たして天下の大害を生ずる者なるか。この故に子墨子曰く、別は非なりと。 

現代語訳 一、対立と憎悪は〈別愛〉から生まれる

仁者には使命がある〈天下の害〉を除いて、〈天下の利〉を追求すること、これがその使命である。〈天下の害〉のうち、いちぼん目に余るものは何か。大国が小国を攻める、大氏族が小氏族を痛めつける、強者が弱者をいじめる、多数が少数をないがしろにする、えせ君子が人民をごまかす、貴族が平民をさげすむ、…… 等々である。
 また、君主が横暴であること、その反対に臣下が不忠であること、親が愛情に欠けること、その反対に子が孝養を尽くさぬこと、これも〈天下の害〉である。まだある。武器を手にし、毒薬を仕込み、水攻め火攻めで、手段をえらばず殺戮しあうこと、これも、〈天下の害〉である。こういうおびただしい〈害〉はどこから生ずるか。
 それは、われわれが人を愛し、人に利益を与えたために生ずるのか。むろん、そうではない。

人を憎み、人に不利益を与えたために生ずるのである。人を憎み、人に不利益を与える行為、それは、〈人には平等に対すべし〉とする見方、つまり「兼愛」から生ずるのか。それとも〈人には差別を設けるべし〉とする見方つまり「別愛」から生じるのか。いうまでもなく、後者である。

してみれぼ、この別愛こそ、〈天下の害〉をもたらす根源である。わたしが、別愛に反対する理由はここにある。

 

子墨子曰,非人者必有以易之,若非人而無以易之,譬之猶以水救火也,其將必無可焉。是故子墨子曰,兼以易別。

然即兼之可以易別之故何也。曰藉為人之國,若為其國,夫誰獨舉其國以攻人之國者哉。為彼者猶為己也。為人之都,若為其都,夫誰獨舉其都以伐人之都者哉。為彼猶為己也。為人之家,若為其家,夫誰獨舉其家以亂人之家者哉。為彼猶為己也。

然即國、都不相攻伐,人家不相亂賊,此天下之害與。天下之利與。即必曰天下之利也。姑嘗本原若衆利之所自生,此胡自生。此自惡人賊人生與。即必曰非然也,必曰從愛人利人生。分名乎天下愛人而利人者,別與兼與,即必曰兼也。然即之交兼者,果生天下之大利者與。是故子墨子曰,兼是也。且吾本言曰,仁人之事者,必務求興天下之利,除天下之害。今吾本原兼之所生,天下之大利者也。吾本原別之所生,天下之大害者也。是故子墨子曰,別非而兼是者,出乎若方也。

今吾將正求與天下之利而取之,以兼為正,是以聰耳明目相與視聽乎,是以股肱畢強相為動挙乎,而有道肆相教誨。是以老而無妻子者,有所侍養以終其壽,幼弱孤童之無父母者,有所放依以長其身。今唯毋以兼為正,即若其利也,不識天下之士,所以皆聞兼而非者,其故何也。 

子墨子言って曰く、人を非とする者は、必ずもってこれに易(か)うるものあり。もし人を非としてもってこれに易うるものなければ、これを譬うるになお水をもって水を救い、火をもって火を救うがごとし。その説まさに必ず可なるなからんとす。この故に子墨子曰く、兼もって別に易う。

 然らば兼のもって別に易うべき故はなんぞや。曰く、たとい人の国のためにすること、その国のためにするがごとくならば、それたれか独りその国を挙げて、もって人の国を攻むる者あらん。かれのためにすることなお己がためにするがごとければなり。人の都のためにすること、その都のためにするがごとくならば、それたれか独りその都を挙げて、もって人の都を伐つ者あらん、かれのためにすることなお己のためにするがごとければなり。人の家のためにすること、その家のためにするがごとくならば、それたれか独りその家を挙げて、もって人の家を乱す者あらん、かれのためにすることなお己のためにするがごとければなり。

然らば国都の相攻伐せず、人家の相乱賊せざるは、これ天下の害か、天下の利か、すなわち必ず天下の利なりと曰わん。しばらく嘗みにこの衆利の自りて生ずる所を本原するに、これなにに自りて生ずる。これ人を悪(にく)み人を賊するより生ずるか、すなわち必ず然るにあらずと曰わん、必ず人を愛し人を利するに従(よ)りて生ずと曰わん。天下の人を愛し人を利する者を分名せんに、別か兼か、すなわち必ず兼なりと曰わん。然らばこのこもごも兼なるものは果して天下の大利を生ずる者なるか。この故に子墨子曰く、兼は是なりと。かつさきのわが本言に曰く、仁人の事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除くを求むと、今われ兼の生ずる所を木原するに、天下の大利なる者なり。われ別の生ずる所を本原するに、天下の大害なる者なり。この故に子墨子曰く、別は非にして兼は是なりとはこの方に出ずるなり。

今われ将に正しく天下の利を興してこれを取るを求めんとせば、兼をもって正と為す。ここをもって聡耳明目(そうじめいもく)は相与に視聴するか、ここをもって股肱畢強(ここうひっきょう)は相為に動挙するか、而して有道は肆(つと)めて相教誨す。ここをもって老いて妻子なき者、持養する所あり、もってその寿を終え、幼弱孤童の父母なき者、放依する所あり、もってその身を長ず。今ただ兼をもって正と為す,すなわちこれその利なり。識らず天下の士、みな兼を聞きてこれを非とする所以(ゆえん)は、その故なんぞや。

現代語訳 二、こうすれば紛争は起こらない

しかし、われわれは、一つの見方に反対する以上、それに代わる別の見方を示さねばならない。もし相手の見方に反対するだけで、それに代わる別の見方を示さぬとしたら、それは火を防ぐのに火を用いるようなものだ。それでは、反対しても何にもならない。したがって、わたしは別愛に代えて兼愛を主張する。別愛に代えて兼愛を主張するのは、なぜか。
 もし諸侯が、自国同様に他国のために尽くすならば、戦争は起こるはずがない。なぜなら、相手をわが身同様にみなすのだから。
 もし領主が、自分の領地同様に他人の領地のために尽くすならば、内乱は起こるはずがない。なぜなら、相手をわが身同様にみなすのだから。
 もし卿大夫が、自分の一族同様に他の氏族のために尽くすならば、紛争は起こるはずがない。なぜなら、相手をわが身同様にみなすのだから。

戦争や内紛が起こらぬ状態、それは天下の〈利〉であるか〈害〉であるか。いうまでもなく〈天下の利〉である。こういうおびただしい 〈利〉はどこから生ずるか。それは、人を憎み人に不利益を与えたために生ずるのか。むろん、そうではない。人を愛し人に利益を与えたために生ずるのである。

人を愛し人に利益を与える行為、それは、別愛から生ずるのか。それとも、兼愛から生ずるのか。いうまでもなく、後者である。してみれば、この兼愛こそ、〈天下の利〉をもたらす根源である。わたしが、兼愛は正しいと主張する理由はここにある。

仁者には使命があり、〈天下の害〉を除いて、〈天下の利〉を追求することが、その使命であると、わたしは言った。そして、今、われわれは、〈天下の利〉をもたらす根源は兼愛にあること、〈天下の害〉をもたらす根源は別愛にあることがわかった。すなわち、別愛はまちがった見方であり、兼愛こそ正しい見方であるとするわたしの主張は、道理に合っているわけである。

もし、われわれが、〈天下の利〉を追求しようとするなら、ただ兼愛の道あるのみである。兼愛にしたがえば、人々の協力を得ることができる。よい目とよい耳とが協力し合ってこそ、ものの本当の姿がつかめるのだ。強い手と強い足とが協力し合ってこそ、正しい行動がとれるのだ。道にめざめた人々が互いに協力してこそ、人々を導くことができるのだ。そればかりではない。兼愛にしたがえば、身よりのない老人も、救いの手が差しのべられて寿命を全うし、孤児も、保護されて成入することができる。兼愛のもたらす利益は、こんなにも大きい。天下の士が、兼愛というとすぐ反対するのは、すじの通らぬ話である。

 

然而天下之士非兼者之言,猶未止也。曰,即善矣,雖然,豈可用哉。子墨子曰,用而不可,雖我亦將非之。且焉有善而不可用者。

姑嘗兩而進之。誰以為二士,使其一士者執別,使其一士者執兼。是故別士之言曰,吾豈能為吾友之身,若為吾身,為吾友之親,若為吾親。是故退睹其友,飢即不食,寒即不衣,疾病不侍養,死喪不葬埋。別士之言若此,行若此。

兼士之言不然,行亦不然,曰,吾聞為高士於天下者,必為其友之身,若為其身,為其友之親,若為其親,然後可以為高士天下。是故退睹其友,飢則食之,寒則衣之,疾病侍養之,死喪葬埋之。兼士之言若此,行若此。

若之二者,言相非而行相反與。當使若二士者,言必信,行必果,使言行之合猶合符節也,無言而不行也。然即敢問,今有平原廣野於此,被甲嬰冑將往戰,死生之權未可識也。又有君大夫之遠使於巴、越、齊、荊,往來及否未可識也,然即敢問,不識將惡也家室,奉承親戚,提挈妻子,而寄託之。不識於兼之有是乎。於別之有是乎。我以為當其於此也,天下無愚夫愚婦,雖非兼之人,必寄託之於兼之有是也。此言而非兼,擇即取兼,即此言行費也。不識天下之士,所以皆聞兼而非之者,其故何也。

然り而して天下の士、兼を非とする者の言なおいまだ止まず。曰く、すなわち善し、然りと雖(いえど)もあに用うべけんや、と。子墨子曰く、用いて可ならざれば、われと雖もまた将にこれを非とせんとす。かつなんぞ善にして用うべからざるものあらん。

しばらくこころみにならべてこれを進めん、誰かもって二士ありとなし、その一士の者をして別を執らしめ、その一士の者をして兼を執らしめん。この故に別士の言に曰く、われあに能(よ)くわが友の身のためにすること、わが身のためにするがごとく、わが友の親のためにすること、わが親のためにするがごとくせんや、と。この故に退いてその友をみるに、飢るもすなわち食せしめず、寒(こご)ゆるもすなわち衣(き)せしめず、疾病(しっぺい)にも侍養せず、死喪にも葬埋せず。別士の言かくのごとく、行ないかくのごとし。

兼士の言は然らず、行ないもまた然らず。曰く、われ聞く、天下に高士たるものは、必ずその友の身のためにすること、その身のためにするがごとくし、その友の親のためにすること、その親のためにするがごとくして、然る後もって天下に高士たるべしと。この故に退いてその友を賭るに、飢うればこれに食せしめ、寒ゆればこれに衣せしめ、疾病にはこれを侍養し、死喪にはこれを葬埋す。兼士の言かくのごとく、行ないかくのごとし。

この二士のごときは、言相非として、行ない相反するか。嘗みにこの二士をして、言必ず信、行ない必ず果ならしめ、言行の合うこと、なお符節を合わすがごとく、言うとして行なわざることなからしめんに、然らば敢えて問わん。いまここに平原広野に、甲を被り冑を嬰(け)、将に往きて戦わんとして、死生の機いまだ識るべからざるあらんに、また君大夫の遠く巴越斉荊(はえつせいけい)に使せんとして往来及ぶや否やいまだ識るべからざるあらんに、然らば敢えて問わん、識らず、これが家室を択ぶにまさにいずくに従わんとす、親戚を奉承し、妻子を提挈(ていけい)してこれを寄託せんに、識らず、兼の友においてすること是なるか、別の友においてすること是なるか。われおもえらく、そのこれにおいてするに当りてや、天下、愚夫愚婦となく、兼を非とするの人と雖も、必ずこれを兼の友に寄託すること是なり。これ、言うて兼を非とし、択べば兼を取る、すなわちこれ言行払(もと)るなり。識らず、天下の士、みな兼を聞きてこれを非とする所以(ゆえん)は、その故なんぞや。

現代語訳 三、頼リになる友人、ならぬ友人

しかもなお、兼愛に反対する意見は、あとを絶たない。かれらは、こう主張する。「なるほど、兼愛は立派な考えである。しかし実用には向かない」実用に向かないのであれば、わたしとても主張はしない。しかし、立派な考えであるのに、実用に向かないなどということがあるだろうか。

兼愛と別愛とをくらべてみよう。ここに男が二人いる。一方は別愛の立場、他方は兼愛の立場である。別愛の立場をとる男の意見はこうである。「たとえ、友人であろうと、わが身同様には扱えない。友人の親に対しても、わが親に対するのと同じ態度はとれない」そして、実際、友人が飢えにせまられていても、食べ物を工面しようとせず、寒さにふるえていても着る物を世話しようとしない。病気になっても看病しようとせず、死んだときにも葬ろうとしない。これが、別愛の立場をとる男の意見と行動である。

これに対して、兼愛の立場をとる男の意見はこうである。「高潔の士は、友人をわが身同様に思う。友人の親に対しても、わが親に対するのと同じ態度をとる。そうでなければ、高潔の士と呼ばれる資格はない」

そして、実際、友人が飢えにせまられていれば、食べ物を工面するし、寒さにふるえていれば、着る物を世話する。病気になれば看病するし、死んだときには手厚く葬る。これが、兼愛の立場をとる男の意見と行動である。

この二人は意見も正反対、行動も正反対である。では、この二人がでたらめを言っているのではなく、意見と行動とが完全に一致し、言ったことは必ず実行するものとして、具体的な例を考えてみよう。この二人に友人があり、戦争が起こって、戦士として出陣することになったとする。生きて帰れるかどうかわからない。あるいはまた、君命を受けて、外国へ使者として旅立つことになったとする。無事に使命を終えて帰れるかどうかわからない。

さて、こういう事態に直面して、あとに残していく両親や妻子の世話を頼もうとする場合、かれは二人の友人のうち、どちらを選ぶであろうか。兼愛の立場をとる友人であろうか。それとも別愛の立場をとる友人であろうか。いかに血のめぐりが悪い者でも、たとえ兼愛に反対する者であっても、きっと兼愛の立場をとる友人をえらぶにちがいない。つまり、この男は、口では兼愛に反対しながら、いざ両親や妻子を託すとなると、兼愛の立場をとる友人をえらぶのである。かれの言行は矛盾することになるではないか。してみると、天下の士が、兼愛というとすぐ反対するのは、すじの通らぬ話である。

 

三、節用・非楽・薄葬・非命

 たれ一人飢え死にさせじと楽途絶へ棺も飾らず悲しからずや

墨家の思想の核心は兼愛・非攻です。わけ隔てなく博愛を貫こうとしますと、誰一人飢える者を出してはならないということになります。余裕があれば当然不足している人に回してあげようということになります。そしてできるだけ節約して困っている人を救わなければという考え方になりますね。自分だけ富み太り、贅沢三昧をするというのは墨家の風上にもおけません。貧しい国でたくさん餓死者が出ているのに、その国の独裁者はたらふく食べて、美女を大勢はべらせ、酒池肉林を楽しんでいる国も現在でもあるようですが、墨家がいたら殴られますよ。伝説上の夏王朝の創始者禹王がいましたが、『墨子』では、彼は率先してもっこを担いで土を運び、治水工事をして洪水を防いだそうです。

立派な王は人民を自分のことのように大切にし、人民の為に身を粉にして働いたようです。それで脛毛がなくなってしまったとされています。人民がぼろを纏い、寒さを防げないで苦しんでいるのに、自分だけ分厚い布を纏ったり、宝石を散りばめた様な衣裳を着ることなどできません。ですから墨家たちの服は極めて単純で頭から貫通衣を纏い、紐で縛ったような単色の服装だったようです。まあ一切おしゃれとは縁がありません。限られた資源と限られた人材によって、全ての人々の衣食住を確保しなければなりませから、節約が合言葉になります。墨家では「節用」と言いました。

しかしあまり節用を強調しすぎるのはどうでしょう。何事も程度問題で、極端な節用はかえって逆効果です。生産を発展させ富を豊かにして、それで困窮している人々を救えるわけですが、節用がすぎると生産が過剰になり、在庫がたまります。長期化すれば生産が減少しますね。かえって生産が縮小されて皆が貧しくなってしまいます。

この節用から非楽・薄葬という考えが生まれます。これは儒学批判でもあるのです。非楽は音楽禁止ということです。儒家は礼楽の復興をめざしましたので、宮中の儀礼から一般家庭の冠婚葬祭にいたるまで、儀礼には晴れやかな服装をまとって音曲を響かせ舞を舞うわけで、楽器や衣裳、それにみんながちゃんと歌舞音曲ができるわけではないので、結局そういう儀礼を行う人々に来てもらうことになりますね。そこが儒家のねらいでもあり、それで生活を立てていたわけです。ですから音楽を盛んにすれば費用がかかる贅沢だということですね。儒家がなかなか取り立てられなかったのも、儒家を宰相にすると儀礼にコストがかかりすぎて財政がもたないということがあったからだといわれています。戦争に備えなければならない時代なので、そんな余裕はないということですね。

葬式もそうです。儒家は身分によって葬式の仕方を区別しまして、それで身分社会の秩序を確立しようとしました。そうなりますと、家の格によって相当のものいりな葬式になってしまいます。また喪に服する期間も儒家は親の死にあたっては服喪三年とかいいまして、その間家に籠もって仕事をしないわけです。これでは生産に響きますね。それで墨家は半年に短縮しようということです。厚葬という言葉がありまして、身分が高いと棺を槨に入れるようです。そんな無駄なことは止めようということらしいです。それで墨家は死体を崖から落としたという評判がありますが、それは中傷かもしれません。

また墨家の思想で学ぶべきは非命ですね。これは宿命論に反対しようということです。どうせこうなるように出来ていた、運命は変えられないといって、侵略されたり、略奪されたり、ひどいめにあってもあきらめてしまうことが多かったわけです。そんな受動的な姿勢ではますますひどい社会なってしまうので、一緒に力を合わせ、平和で皆が幸せにくらせる兼愛社会の実現のために頑張ろうではないか、まあなせばなるみたいなことです。彼らはやみくもに根性を説いたのではなく、しっかりした組織論、実践論をもち、訓練や養成の施設をもち、実験農場などももっていたようで、社会勢力として存在していたわけです。その意味で中国革命の伝統はすでに墨家にあったといえます。それなのに中国共産党は墨家には極めて冷淡な評価しかしてこなかったようですね。

これらも『墨子』にあたって講読すべきですが、時間的に無理ですね。

結びに代えてー悲劇的結末

 襄子秦王政に協力し統一果たさば坑墨の憂き目

 酒見賢の小説に『墨攻』というのがあり、これが劇画にもなり、映画にもなったようですが、主人公革離は墨家の一人です。三代目の鉅子の田襄子の時代になりますと、墨家も変質を遂げ、大国秦の天下統一に協力するようになるのです。これを秦墨といいます。もちろん墨子の思想を貫こうとする人々は分裂します。これは正反対の思想に転向したことになりますね。とんでもない裏切りですよね。

どうしてそんなことになったかといいますと、皮肉ですが墨家が強すぎたからとも言えますね、墨家が小国を命がけで守るものだから、大国はなかなか天下統一ができません。つまり戦国時代が長引くのです。平和のために戦っているのに、活躍すればするほど平和は遠のくばかりだということです。それなら秦の天下統一に協力して、秦の天下になったら、秦の中で兼愛を貫き、兼愛社会にしていけばいいじゃないかという発想です。ですから秦の占領した城砦を固めるような仕事をするようになるのです。『墨攻』革離は、趙軍に攻められている、趙・ 燕両国に挟まれた小国の梁城城主・梁溪からの依頼により、田鉅子の命に背いて単身梁城に乗り込み、趙の大軍を相手に梁城を守ることになります。一人の墨家が梁城に乗り込んで指揮を執れば趙の大軍も攻め落とせないのです。

歴史的に秦墨やその他の墨家どのような活躍をしたのか細かい史料はないようですね。ともかく墨家は分裂し、かなりの部分が裏切ったので、結局秦の天下統一が成ってしまいます。そうなれば墨家はもう秦の始皇帝にとって無用の存在です。なぜなら始皇帝は独裁的な政治がしたいわけで、それには墨家のように一定の主義主張や理念を持っている勢力が存在すると邪魔なだけですから、粛清の対象になり皆殺しにされてしまいます。始皇帝は天下統一するためにもおびただしい殺戮をしましたが、統一してからも焚書坑儒を行い、万里の長城や宮殿や始皇帝陵の建設などで、人民を酷使し、その犠牲はひどかったので、結局二世皇帝の時代に人民の蜂起で崩壊しました。まあ墨家の小国の防衛という戦略だけでは平和にはならなかったにしても、秦への協力だけは選択すべきではなかったと思いますね。

墨家の思想はその後無視され続け、清代になってからキリスト教の博愛思想に通じるとして再評価されるようになったようです。  

 
〔参考文献〕

 

 




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