長編哲学ファンタジー『鉄腕アトムは人間か? 』

やすいゆたか


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                        はしがき

 

この長編ファンタジーは『人間論の大冒険』の「第一章 鉄腕アトムは人間か?」を好評につき長編化したものである。長編化には事情がある。『人間論の大冒険』は各章が独立しすぎていて、全体としての筋の展開がなく、一つの作品として世に問うことはできない。また「鉄腕アトムは人間か?」で問われている人間機械論とその裏返しである機械人間論は現代的テーマであり、長編化してもっと本格的に論じる必要があると思われる。またそれは人間概念を拡張するネオ・ヒューマニズムの重要な構成要素でもある。それにWEB雑誌『プロメテウス』を読み物として面白くするためにも長編ファンタジーが必要である。それだけに一筋縄にはいかず、かなり冒険だった。

 元々このファンタジーは大学での倫理や哲学の講義をおもしろくするためにファンタジー仕立てにしようということで創作している。したがって文学作品としての完成度は期待されてもなかなか難しいところだ。
 

 このファンタジーは電脳空間でのバーチャル・リアリティという設定になっている。だから現実についてフィクションにしたのではなく、バーチャル・リアリティでのフィクションをフィクションしているという入れ子構造になっている。


 こういう発想はインターネットでホームページを作成している中で思いついたものでだ。そして『ソフィーの世界』の影響も大きい。ただ『ソフィーの世界』では哲学講義と物語の展開が完全に分離してしまっている。その点に不満を感じたものだから、このファンタジーでは人間論を展開することが物語を構成するようにしている。その分ファンタジーが堅くなってしまうことは避けられない。しかし大学での哲学や倫理学の講義を愉しいものにするという目的には適っているとはいえるだろう。

 それにもうひとつファンタジー仕立てにしなければならなかったわけがある。それは哲学を語る文体の模索である。冷戦の終焉とともに近代は終焉した。グローバル化の新しい時代がはじまったのであるが、その新しい時代のイメージと新時代をリードする哲学がまだまだはっきりしないところがあり、夢の世界を彷徨うような暗中模索状態が続いている。いまさらながらソクラテスの「無知の知」の偉大さに驚かされる始末である。そんな時代だからこそ、ファンタジー(夢物語)で思想を語るのはまことにふさわしいのではないかと思われる。

 

またファンタジー形式だと、非常に素朴で始原的な問いかけが可能だし、大胆な発想の転換を試みて、初歩的しくじりでずっこけたりすることも可能だ。思想の試みで失敗を繰り返すこと自体が面白いネタになるのである。『星の王子様』以来ファンタジーで哲学する時代に入っているのかもしれない。
 


 

 

 

           

           

                     目        次
 

                   はしがき

    

                第一部 ファンタジーの試み

一、『鉄腕アトム』の意義  

二、あなた一人が億千万人  

三、ファンタジーとは

四、電脳空間のバーチャル・リアリティ劇  

五、バーチャルリアルの夢  

六、進学の悩み

七、理系か文系か 

八、科学の三大謎 

九、ネオ・ヒューマニズム 
   十、白雪姫コンプレックス 

十一、西長堀の図書館にて 

十二、榊周次がいない
十三、電脳巌流島
 

   第二部           ロボット解放軍司令部にて

  一、目覚めれば鉄腕アトム 

二、ロボットの自己保存権 

三、人間もロボットか
四、自由意志や主体性 

五、義務に従い欲望抑える 

六、月面湖を飛び立つ白鳥  
七、ロボット俳優の名演技

八、ロボを演じる人を演じるロボ  

 九、愛人ロボット 
 
十、ロボットの命の尊さ 

十一、進化しない人間身体 
十二、お釈迦になった鉄腕アトム一世  

 十三、固まった服従プログラム 
十四、自己意識あるロボなしでは     

十五、土のにおいの好きな農夫ロボット  
十六、フリと心の形成 

十七、出撃、平和のために

 

第三部           フィリピンアララ大統領

  一、国連本部はエルサレムに 

 二、サミット襲撃はアトムの提案? 
三、愛人ロボットの誘惑   

四、過去世のドラ焼き   

五、人間の家畜化  
六、人とロボットの共存の道    

七、鉄腕アトム一世誕生秘話

第四部 国連本部のサミット会場にて

 一、サミットでアトム絶叫 

二、神のための人間か、人間のための神か 
三、ロボットにも心があるんだ  

四、ロボットに平等の市民権では納得できない    

五、クローン人間の悲哀  

六、お待たせしました、アララです。  
七、知性体ならロボットでも人か  

八、道具や機械も人間に含まれるか

九、ロボットの惑星移住計画  

 十、ダ・ヴィンチはモナリザか?   
十一、物の存在構造としての人間 

十二、無限に進化するロボット

終わりに代えて

 

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                第一部 ファンタジーの試み

 

一、『鉄腕アトム』の意義  
 

 

心優し科学の子なれアトム君未来を照らし希望燃え立つ


  「戦後日本の思想家で代表的人物を一人挙げるとしたら、だれですか。」吉田了一は榊周次に質問した。今日で二年の倫理の授業はおしまいである。榊は少しためらったが、「やはり手塚治虫でしょう」と言った。

  吉田は素っ頓狂に「ヒェー漫画家が日本の代表的思想家ですか?先生は鉄腕アトム世代なんですね。」榊は微笑んだ。「まあそうですね。アニメの『鉄腕アトム』の前ですよ。小学生のころから『鉄腕アトム』は大好きだったですね。自己意識あるロボットとの登場というのは科学の究極の目標みたいなものです。人間が人間を作るわけですからね。科学技術が発達し、文明が無限に進歩していく象徴でもあったわけです。しかもそれを「心優しい科学の子」として描いて、ロボットに対する恐怖心を取り除いたわけです。


  欧米では二十世紀はじめにロボットが人間の職場を奪い、自己意識を持つと人間に反乱を起こすという暗いイメージを持っていました。だからロボット導入には職能別労働組合の抵抗が強く消極的だったのです。それが日本ではロボットは生産性を高め、国際競争力を強くして繁栄をもたらすということで、どんどん導入されました。一時は世界の生産ロボットの八割は日本製だといわれたぐらいです。それにはロボットに対するプラス・イメージが『鉄腕アトム』によって与えられたからだといわれます。」


  木洋子が挙手して立ち上がった。「でもまだ自己意識あるロボットはできていません。実際にできたら、やはり人間の脅威になるでしょう?」
 
 榊周次はうなづいた。「その恐れはありますね。特にロボットの方が進化して身体機能も知的能力人間をはるかに上回るようになれば、人間との利害調整が難しくなります。下手にロボットを抑圧しようとすると滅ぼされてしまうかもしれません。まあそう簡単には自己意識あるロボットは実現しません。あと数百年はかかるでしょう。」ベルが鳴ってその話題は中断してしまった。


 

二、あなた一人が億千万人


 

父が娘()に思い伝ふるその陰で億千万の胸を焦がさむ


 
上村陽一は、自己意識あるロボットが本当に実現可能かどうか疑問だった。その日の放課後に『ソフィーの世界』の輪読会がある。二年最後の輪読会になるので、顧問の榊先生にも参加してもらおうということになっている。その際に質問してみようと思った。

 といってもこの輪読会は実は上村陽一と三輪智子のふたりしかメンバーがいないのだ。立ち上げの際には七名ほどメンバーがいたのだが、三ヶ月ほどで一人減り、二人減りしてついに二人だけになってしまった。そこで英語版を入手して二人で英語の勉強をかねて輪読しているのだ。

 三輪智子が切り出した。「メンバーが二人なのに先生に来ていただいてありがとうございます。今日は『ファンタジーについて』という題でお話していただくことになっています。ではぞうぞ。」パチパチと寂しく手をたたく音がした。

 榊は少し皮肉をこめて言った。「本日は割れんばかりの万雷の拍手をいただきありがとうございます。立ち見がでるほど大勢の方に聴講いただきありがとうございます。」陽一が口を挟んだ。「先生、皮肉ですか、聴講しているのは二人だけですよ。」


 榊はニヤリとした。「これは失礼。ちょっとオーバーだったかな。いや、今『法華経』を読んでいましてね。これが底抜けにオーバーなのです。大勢の人がシャカムニの話を聞きに集まったというのを表現するのに、幾千万の求法者がそれぞれ六十のガンジス河の砂の数の随伴者を連れているというような表現をするのです。」三輪智子はゲラゲラ笑って、「じゃあお釈迦様も、たったふたりだけに話されたのかもしれませんね、ハッハッハッハ」


 「いや彼には弟子集団がいましたから、そりゃあ何十人か、何百人かは集まっていたでしょうね。」榊が応えると、陽一はせっかちに尋ねた。「先生、それはファンタジーと関係あるのですか?」


 「直接はありませんが、私は現実には二人を相手に話していても、真実には億千万の民衆に話しかけているつもりなのです。『ソフィーの世界』でも哲学者アルベルトがソフィー一人に哲学を語っていますね。でもそれはフィクションで、アルベルト少佐が娘ヒルデに手紙を書いているお話なのです。でもそれもまたフィクションで作家ヨースタイン・ゴルデルが書いた『ソフィーの世界』は全世界で一千万部をこえる大ベストセラーで、本当は幾千万の人々を相手にファンタジーは語られているのです。」


 「『ソフィーの世界』がマトリョーシュカ人形のような入れ子構造になっているということですね。現実と思っていたのが、実は創作された世界だって、その創作している側の現実というのも、また創作されている。これは結局、私達の現実というのも神の被造物にすぎないってことなのでしょうか。そういえば御伽噺というのも子供を寝かしつける時に聞かせる話ですが、世界中の子供たちのために書かれたのでしょう。」と智子は言った。


 陽一がそれに応えた。「子供が相手という限定は要らないようです。『千夜一夜物語(アラビヤンナイト)』のように一夜で相手の女性を殺していた王様に嫁いだシャハラザードが、命がけで千夜に渡って面白い話を話し続けたということでしょう。この場合でも王様一人に話しているのだけれど、千夜も王様を喜ばせることができるということは、一つ一つの話が、すべての人に面白い話でないといけないということになりますね。」


 「『千夜一夜物語』の面白くなければ殺されるという設定自体が大変面白い設定ですね。そういう設定もフィクションかもしれません。話の導入として抜群の効果がありますからね。」


 榊の言葉に頷きながら、不安げに智子が語った。「それじゃあ、この現実だと思われている教室も実はフィクションで、私たち三人もファンタジーの登場人物に過ぎないということですか?」


 この自分がファンタジーの登場人物でしかないんじゃないかという存在の不安を「ソフィーの不安」と智子は名づけていて、陽一にそのことをよく話していたので、陽一は話題を逸らそうとした。その話に入るとどうも脱け出せなくなるし、智子が情緒不安定になりそうだからである。


 「ようするにありのままの現実がありのままかどうか、分からないってことですね。それに先生は僕たちふたりに話すことで、すべての若者に話しているわけですね。教育論に応用すれば、教師は一人ひとりに教えていても、同時にすべての青少年に教えているつもりでなければならないということですね。」


 「でも先生はこの前、居眠りしている生徒が、他人の邪魔していないから別にいいじゃないか反発したのに対して、こうおっしゃってました。『皆に話しているように見えても、先生は一人ひとりに話しているんだ、君のために話しているのだから、君が聞いてくれないと何にもならないんだ』て」と智子は反論した。


 陽一は榊をかばった。「『一人はみんなであって、みんなは一人』でしょう。『一人はみんなのためにみんなはひとりのために』のひとつのバージョンですね。」


 智子も続いた。「ああ、古代ギリシア時代のエレア学派の『一にして全(ヘン・カイ・パン)』というのがありましたね。あれでしょう。みんなといっても実際に一人ひとりに伝わらなくては意味がないわけでしょう。

 娘ヒルデに伝わらなくては、たとえベストセラーになったって、アルベルト少佐にとっては何にもならないわけですね。でも本当にヒルデに伝わるには、誰にも伝わるような普遍性がなければならないのですね。」

      

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三、ファンタジーとは


 

空想の世界に入りて夢を追ひ何を掴むか流浪の果てに

 

「いやー、みんな物分りがいいね。こんな生徒ばかりだと全くやり易いですね。では話をファンタジーに戻しましょう」と言って一息ついた。「ファンタジーは幻想的なつまりファンタスティックな物語ということで、全く空想の世界を描いたものです。だから同じフィクションでも小説とはまた別ですね。」榊はファタンジー論に入ろうとしたが、陽一が尋ねた。

 「小説も空想で書いているのではないのですか?」榊は本論に入りたかったが、今日はどうも講演にならないなと観念した。まあ対話でいけばいいかと高を括ったのだ。

 

「小説は現実を表現するために作り話をしているわけです。それに対してファンタジーは、まったく現実とはかけ離れた空想の世界を表現する作り話なのです。だからファンタジーのことを夢物語ともいいますね。」

 

智子が反応した。「事実は小説より奇なりといいますね。小説はあり得ないことを書いているつもりなのに、事実の方がもっとあり得ないことをやっているのでいうわけでしょう。」

 

「たしかに小説は奇をてらうところがありますね。平凡な日常を描いて感動させるのは難しいので、極端なことを書いてびっくりさせるのです。でもあまりあり得ないことだと、現実に対する分析や批評になりません。小説ではなくファンタジーになってしまいます。」


 陽一が割り込んだ。「ファンタジーにくるんで現実を風刺したり、人間の本質を描いたりするわけですから、ファンタジーにも現実を表現したり、抉ったりする機能があるのでしょう。ただし、設定が非現実的なだけですね。」

 

「いいこと言いますね。その通りです。たとえどんな空想的な未来や過去や宇宙を舞台にしていても、人間とは何か、いかに生きるべきかがテーマなんです」と言って、榊は一息ついた。

 

「それでファンタジーが設定する空想の世界は作品によって違います。『不思議の国のアリス』のように文字通り夢の世界だったり、偉大なるライオン、アスランがつくった不思議な生きものたちがくらす自由の国『ナルニア国物語』とか、ガリバーのように船乗りになって巨人国や小人の国を冒険したり、魂を吹き込まれた人形ピノキオがいろんな体験や修行をして人間になるとか、現代ではタイムマシーンを使って未来や過去に冒険にでかける話が多いですね。」

 

突然、智子は思い出したように言った。「そうだ、今日は先生のお話を聞くんだったですね。これじゃあディスカッションになっていますね。こりゃまた失礼しました。」

 

榊は少し意外な表情になった。「あれ三輪さんて、おどけたりするキャラだったかな。すごく凛としていて、内向的で、キラッとしたタイプだと思っていたけれど。」


 陽一がフォローするように言った。「でしょう。でもね、うちとけるとわりと開放的になってくれるのです。」

 

「ということは上村君とはかなりうちとけているということ」智子は陽一をじっと見て言った。陽一はちょっとひいて「だとうれしいけどね」といって笑った。

 

「おいおい、二人だけの会話はやめてくれよ。」榊は冷やかし半分に言った。

 

智子は言い訳するように言った。「ふたりで輪読会はしていますが、別に特別な関係というわけではないのです。私は、ちょっとそういう異性との関係というの今は生理的に受け付けないので」と少し事情がありそうな暗い表情になりかけた。

 

 

四、電脳空間のバーチャル・リアリティ劇


 

電脳の異次元界に落ち込んでバーチャル・リアルの劇に生くるや

 

気を紛らすように陽一は話し出した。「つい人数が少ないと話題がそれちゃいますね。そういえば先生は、ご自分でファンタジーを執筆中なのでしょう。どんな設定のファンタジーになるのか楽しみです。」

 

「大学の教材としても使えるように『人間論の大冒険』というシリーズものを執筆中なんです。まあ全く今までになかったような設定ですね。もっとも大してファンタジーを読んでいないので、断定できませんが。想像付きますか?」

 

陽一はしばらく考えて、「あっ、分かった、あれでしょう。エデンの園に行って知恵の木の世界に入ったらいろんな哲人たちの世界を巡回できるというのでしょう。哲学史のファンタジーみたいなやつです。前に原稿書いているの覗かしてもらったことがあります、職員室で。」

 

智子もそれは面白そうだというような表情をした。「先生は、『ソフィーの世界』ではファンタジーと哲学史二本立てになっているのが不満だっておっしゃってましたね。哲学史自体をファンタジーにして欲しかったって、それを試みようということですね。」

 

「その仕事はなかなか難しいですね。『哲学倫理思想史講座』を対話編に書き換える時に、そうしようと思っていたのですが、先生と太郎と花子の対話の形にして虫食いの教材テキストになっています。さらにそれをベースにして、哲人たち自身に語らせるに変えようという構想はあるのですが、哲人たちにこちらが成り切らなくては書けないでしょう。それほど主要な哲学者の全ての著作が読めているわけはありませんしね。本人に成り切るのは難しいですよ。」

 

智子が手を上げた、クイズの答えが分かったような顔をして。「ハイ、先生の専門は人間論でしょう、人間論にはいろんなタイプがあるので、古今東西の人間論を尋ねて、聖典や神話や物語や思想書の世界に飛び込んで、その主人公や思想家と話をするみたいなのですか。」

 

榊は微笑んだ。「かなり近いね。話をするのじゃなくて、その主人公になってしまうという設定だ。」智子は微笑んだ。「なるほど、それは面白いですね。例えば私がその冒険者としますと、ゲルマンの森に迷い込んだら、十二人の小人たちが出てきて、『白雪姫こんにちは』みたいに話しかけられて、白雪姫に成ってしまうというような設定ですか。」

 

陽一は首を傾げた。「『白雪姫』だと人間論になりますか、御伽噺にはなるけれど。」智子は呆れた目で陽一を見た。「あれ、陽一君、あなたは大手門高校では成績は大したことはないけれど、哲学や思想や政治経済のことではピカ一のインテリじゃなかったの。『本当は怖いグリム童話』では白雪姫は単なる御伽噺じゃなくって、人間の本質を抉ったこわーいお話なのよ。」


 「そういやあ思い出したよ、あの白雪姫に毒りんごを食べさせる継母の魔女というのは、初版では実母だったって話だろう。それにその娘の心臓を食べて若返ろうとするわけだ、恐ろしいね」と陽一は怯えた表情を作って見せた。」なんと『白雪姫』には実母による娘殺害、人肉を食べるカニバニズムの衝動が描かれていたのである。

 

榊は手をたたいて「そうだ!いいことがある。智子さん『白雪姫』についてのパロディを書いてください。自分が白雪姫を演じるつもりで書けばいいんだ。」

 

智子は首を振った、「とんでもない、それにファンタジーというのはドラマかミュージカルなんですか。『ソフィーの世界』のようなお話ではないのですか?」

 

榊は大きく手を広げて言った。「実は、出演者を探しているんだ。視聴者参加というか、体験型のドラマなんです。ドラマを見ているつもりが、いつのまにかドラマの世界に入っていて、自分が主人公になっている。しかも元の自分は忘れてしまって、そのドラマの主人公に成り切ってしまうのです。」

 

智子は笑って尋ねた、「面白そうだけど、それってロール・プレーイングゲームとどう違うのですか?」榊は、ちょっと困った顔をして、「仁天堂のゲームソフトですか?プレーヤーがゲームの主人公となって活躍したり、謎解きをしたりするものですね。それはプレーヤーは役を演じているという意識があるわけですが、バーチャル・リアリティ劇の場合は、いままでの智子さんである記憶は一時的に消えていて、周囲の状況から自分を完全にリアルな登場人物と思い込んでいるわけです。」

智子は笑った、「そんなのできたらいいですよね、それこそ本物のファンタジーだわ。」陽一は驚いた。「それはえげつないことですよ、我々のようなぬるま湯に浸かっている高校生が、突然武蔵になって小次郎と斬り合ったり、イエスになって十字架に釘付けにされるということでしょう、全く本人だと思い込んでいるわけだから。

  そんなのとても耐えられるわけないでしょう。人類の罪を一人で背負ったり、決断次第で、人類が滅びかねない場面で、本気で自分が全責任を負って決断しなければならない、今の高校生には絶対無理です。全く究極ですね。でもこりゃあ痺れますね。やれたらやってみたいですよ。

でも絶対不可能ですね。そういう設定自体が空想でしかありません。出演者が物語の世界に入っていくなんてどうやってするのですか。」

 

榊は陽一を指差して言った。その時、榊の眼は妖しく光ったように見えた。「じゃあ陽一君、君はそれができたら第一号の出演者に成ってもらうよ、いいですね。」陽一は少し気味悪くなったが、冗談に決まっていると思って、「そりゃあ喜んでやらしてもらいますよ。夢の世界の大冒険ができるなんて、素敵じゃないですか。」

 

智子も笑いながら言った、「私もやりますよ、『白雪姫』に成りきるなんて素敵だわ、王子様が白い馬に乗って助けてくれるのでしょう。」

 

「そういう設定のお話ですよ。つまり現代の高校生が物語の世界に入り込んでいって、いろんな体験をするという話ですね、ハ、ハ、ハ、ハ」

 

つられて陽一と智子も笑った。「なあんだ、そういう設定のお話ね、それなら分かるわ」と智子は笑いながらうなづいた。

 

陽一は醒めた顔で尋ねた。「でもどうやってその物語の世界に入り込むのか、その仕方がきちんと説明されていないと、いかにも消防な御伽噺ですね」と釘をさした。

 

榊は怪訝な顔をして「何ですその『消防』というのは?」陽一はにやけていった。「先生、知らないの無理ないですね。ネット用語で『厨房』というと『中学生ぐらいの坊や』の程度の発想ということで、もっと幼稚なのが『小学生ぐらいの坊や』レベルの発想ということで『消防』ですね。先生はホームページは作っていても、そういうスラングは知らないでしょう」と相手を見下すように言った。つまり年寄だと思って馬鹿にされているんだと、榊は状況を読んだ。でも確かに知らなかったのだ。

 

「陽一君、そりゃあ設定は考えていますよ。出演者は電脳空間に入り込んで、そこでバーチャル・リアリティの劇を演じるということになっています。」智子は弾んで言った。「そりゃあ消防じゃないですね。厨房でもない、工房ぐらいいってるかも。」

 

榊はちょっと情けなそうな顔をして、「高校生程度というのだからかなりの褒め言葉ですね。」と言った。

 

五、バーチャルリアルの夢

 

 

電磁波で脳に信号送信し、バーチャルリアルの夢生じるや

 

 陽一は納得しない。「どうやって電脳空間に入るのか、その説明が難しいですね。」

榊は、少し困った表情になった。「そこで苦労しているのです。催眠状態にして、プログラムされたバーチャル・リアルの映像を直接脳波に変換して、人工的に夢を見せるということでしょうね。」

 

 陽一は首を振った、「脳波を外から送信しても、脳がどのように受信するのか、そのメカニズムはどうなっているのですか。それに神経の興奮を情報に変換しているわけですから、その時に発生する脳波と情報との因果関係は解明されていません。脳波から情報を読み取るという発想はちょっと厨房ですね。」


 榊は頷いた。「あ、もちろん脳波といっても脳が信号に変換できる電磁波という意味ですよ。そういう電磁波を脳で映像や音声に変換できないのは、それは現代科学の限界です。そういう技術はまだ開発されていないということです。何百年かすれば、脳波で脳神経に興奮を起こし、夢を見せることが出来るのです。私は未来に行ってきたので分かるのですよ、ハ、ハ、ハ」と冗談ぽく笑った。

 

 智子が手を挙げた。「先生の正体は、魔法使いだったりして、ひょっとしてメフィストヘレス?冗談はさておき、催眠状態で固定されているのに、バーチャル・リアルの空間で実感を感じることが出来るというのはわかりにくいですね。」

 

 「脳波によって送信された情報を元に作られたバーチャル・リアルの空間の特定の場所に自分が居るという意識をどのように作るかですね。やはり自分が役を演じている人物を自分だと思い込めば、その人物から世界を見ているように世界が見えるということになりますね。これはコンピュータで同一視している人物に視点を置くことで、そこから見える画像を構成できます。」と応えた。

 

 陽一はなおも突っ込んでくる。「ドラマの時間展開と、実生活の時間展開は違います。ところがバーチャル・リアリティなら両者の違いに気付かせてはいけません。その辺はやっかいでしょう。」

 

 「いや、むしろドラマの時間展開の方が実感があるのです。実生活の無駄な時間というのは、意識の方でカットしています。だから人生は長いようであっという間にすぎさります。ですから3時間のドラマで人生を誕生から老衰の死まで演じても不自然ではありません。ですから演じることによっていくつもの人生体験積み重ねることが出来、豊かな人間性を育むことが出来ます。」


 智子は心配そうに言った。「でも逆に、悲惨な人生を演じたら、心に大きな疵が残る恐れもありますね。これは実行されれば心理学的には大実験ですね。」

 

「そうそう、それで君達なら精神的にしっかりしているから大丈夫だと思ってさ。」

「ヘェー、ぼくたち実験台ですか?」

「それに私は精神的に落ち込むタイプですよ。」

「いや、それが大丈夫なんだよ。」おいおい、榊先生、何を根拠に? 教師としてあまりに無責任ではないですかね。


 陽一は肩をすくめた。「それにWEBで全世界に流されているわけでしょう、本気でその人物に成り切っているところが。そうなりゃプライバシーもくそもあったもんじゃないということですね。」


 智子も頷いた。「それは超恥ずかしいですね、でもすごく観てみたい気もするけれど、ともかく究極ですね、究極。善悪の彼岸ですね。」

陽一は陽子を指差した。「ああ、それ『善悪の彼岸』、たしかニーチェの作品名だったよね。ニーチェは世間一般の善悪の基準に囚われずに、力への意志に忠実に今、大いなる生命から求められていることをやろうということですね。それだったら先生も優しい顔して怖いですね。」

榊はわざとたじろいて見せて、それから手を振った、「そりゃあみなさん、買いかぶりですよ、買いかぶりただファンタジーとしていろいろ冒険をしたいだけですよ。 

 

六、進学の悩み

 

 

進学の悩みを抱えどの子らも桜ほころぶ春を迎へり

 

 WEB空間でのバーチャル・リアリティ劇という、新しいファンタジーの設定をめぐって、工房とも厨房とも消防ともつかない議論が大いに盛り上がって、あっという間に下校時間になってしまった。もちろん二人とも実際にバーチャル・リアリティ劇を演じることになるとは思わなかったのだが。

 

 陽一は、自己意識あるロボットの可能性について質問することを忘れてしまっていた。それから学年末考査があり、長い春休みである。学年末考査の成績次第で、三年のクラス編成にも影響し、当然大学進学にも影響する。府下きっての進学校の大手門高校だけに学友たちはみんな緊張している様に見えた。のんびりファンタジー談義なんかしていられないところである。

 

 春休みは予備校の春季講座に通うのが大手門高校生の普通のパターンである。陽一は予備校の講義を聞くよりも自分で参考書を調べた方が理解できるタイプなので、烏合の衆みたいに受験競争の群れにいる自分を確認しに予備校に通うのは性に合わなかった。かといって自宅では気が散ってしまう。WEB空間を放浪したり、ゲームで暇つぶししたりしてしまうので、できるだけ学校に登校して学校の図書室で勉強するようにしている。


 智子は西長堀にある大阪市立の中央図書館に通っているらしい。本当は自分もそこへ行きたいのだが、それではつきまとっているようでストーカーのようにとられそうだ。第一そんなことをしたら、勉強にもならないだろう。自分はともかく、智子の成績まで下げたら申し訳ない。

 

 陽一は智子に惹かれていた。二人とも榊先生の倫理が好きで、そのことで共通の話題がある。智子は元々中学生のころに『ソフィーの世界』を読んで、哲学にはまったらしい。陽一は榊先生の授業で『ソフィーの世界』の存在を知り、智子が読んでいるというので、三回ほど繰り返し読んで、ほとんど覚えてしまった。それで智子に『ソフィーの世界』の輪読会を作ろうと誘い、一緒にビラ貼りをしたりして週に一回の輪読会を作ったのだ。

 

 陽一は自分の気持を伝えると智子が離れていきそうなので、卒業まではこのまま友達でいようと思った。智子はタレントでいうと上戸彩をもう少し凛としたような感じで、上級生からしきりに交際を申し込まれていたが、陽一がその噂にふれると、「私、今そういう異性とのお付き合いというか、そういう男女関係みたいなものは生理的に受け付けられないのよ」と辛そうに言った。

 

なにか事情がありそうだが、自分が相談相手になれるわけでもなさそうなので、そっとしておくしかない。ましてそういう話を聞いているのに自分が交際を申し込むなんて、そんな無神経なことはできないなと感じたのだ。


 それにしても四月の始業式まで智子に逢えないというのも辛いものがある。いや、自分の将来を考えてみれば、今が人生の分岐点である。彼は、初志貫徹して医学部を目指すべきか、文転してデンカー(思想家)になるべきか迷っていた。


 彼は下町の町工場の多い町大正区の中学に通っていたことは学年で成績は大概一番か二番だった。それも授業を受けていれば、その時に覚え込めたので予習復習は滅多にしなかった。学年のはじめにその年の教科書は一通り眼を通しておくと、大体教科内容は理解できたのである。だから知的好奇心は旺盛で、大河ドラマとか、地球大紀行などの教養になる番組は真剣に見ていたし、新聞も一面から科学欄なども隅々まで読む癖がついていた。

 

 それが府下でトップクラスといわれる大手門高校では勝手が違った。中学での授業はみんながついていけるように丁寧に基礎を中心に教えていた。それが高校では理数系は、超難関大学の入試問題を中心に授業を展開される。きっちり予習してあるのは大前提なのだ。そういう癖がついていない陽一は、理数系で躓いてしまったのだ。

 

 普通高校での欠点は四〇点未満である。しかしいわゆる「一番校」では三〇点未満が欠点なのである。なにしろ出題される問題が難問が多いし、授業についていけてない生徒が多いので、それでも欠点者はごろごろいるのである。それが中学校ではその学校でトップを競っていた生徒なのである。

 

 上村陽一もその一人だ。数学や物理が欠点が多い。英語は四〇点台国語は七〇点台これはかなり上位である。地歴科は八〇点そこそこ、公民科の倫理、政治経済だとほとんど九〇点台で満点のことも多い。だから私学難関校の文科系なら英語さえ頑張れば大丈夫なのだが、彼は国立大学医学部志望だから現状では現役合格の見込みはゼロに近い。


 それで担任教師和田淳子女史からは、強く文転を勧められている。でも自分としては医学部に未練がある。元々理系に強かったし、高校で理系が欠点になるのは、才能がないからでなく、努力が足りないのと、教師の教え方に問題があるせいだと考えていた。

 

きちんと基礎を踏み固めて、応用を積み上げる授業をしてくれれば、欠点を取るはずはないのである。そしてなにも定期試験に超難関校の受験問題を出さなくてもいいはずで、標準問題を出してくれればそこそこの点数はとれるはずだ。後で本格的な受験勉強の際に、各人が自力で難問に挑戦すべきではないかという持論をもっていた。それを言うと、いやそれでは現役合格はとても無理だという。

 

 それが智子は全教科でまんべんなくできていて、大手門高校でもかなり上位にいる。東大は無理でも京大なら射程圏内だということである。彼女はまだ何になりたいという希望があって勉強しているのではないという、勉強に集中できるのは、その間は何も考えずにすむからだというのである。そしてその成果として成績がいいので、負けん気が強い彼女にとってはナルシシズムを満足させる快感があるらしい。

 

 智子も進路のことは考え始めている。精神的な不安を抱えていることもあり、大学では心理学を専攻してカウンセラーになろうかと漠然と考えている。もちろん精神科の医師という選択肢もあるのだが、医師になるとなると医学部の実習で手術をしたりもできなければならない。あまり医学的なことに興味はなく、医師になって精神科医より、心理学でカウンセラーの方が向いているような気がしていたのである。

 

 

七、理系か文系か

 

 

文転は逃避かそれとも天命か、バク転しても腰をうつのみ

 

 陽一が医学部にこだわるのは死に対する恐怖心からである。幼い頃から人間はやがて年取って死ぬのだということはとても怖いことだと感じていた。自分の存在がなくなるということはとても耐え難い。もちろん自分は存在していないのだから、死んでから恐ろしい世界が待っているとは思わないが、いずれ自分がいなくなるということがとてつもなく恐怖なのである。

 

 医師になりたいと真剣に思うようになったのは、中学一年生の時に、その恐怖の的だった死が祖父の死という形で眼前のものになったからである。祖父はまだ七十三歳だったが、近所の銭湯が好きだった。サウナが身体にいいということで、週に二、三回は銭湯にでかけサウナに四、五回入って、二時間半ぐらいねばっている。その晩もサウナに入っていたのだが、気分が悪くなって、一時間ほどで帰ってきて、気分が悪いから寝るといって、そのままあくる朝には冷たくなっているところを朝食事に起こしにいった陽一が発見したのである。

 

 もちろん死体を見たのも、冷たくなった身体に触れたのも初めてだった。ついに想像上の存在でしかなかった死が眼前に現れたのである。言い知れぬ恐怖におののき「おじいちゃんが、おじいちゃんが」と叫んだのだ。ちょうど一年生の一学期の期末テストの一週間前だったので、ショックで勉強が頭に入らず、中間テストで学年トップだったのが四十番ぐらいに落ちたという。

 

 陽一は、自分がこの死の問題をなんとかしなければと思った。そのためには科学の進歩に頼るしかない、自分が医者になって老化を防ぎ、永遠に生き続けられるようにできないかと考えたのである。生命科学は日進月歩だし、ES細胞を使った人工臓器開発などが進めば、老化した臓器や血管を取り替えながら若さを保ち続けることも不可能ではないという期待がある。だから患者を診る医者よりも、そういう基礎医学の研究者になりたいという希望である。主に新書版などで生化学的な啓蒙書を中学生のころから読んでいたのである。

 

 だから陽一は、自分は理系の人間だと思い込んでいた。ところがなんと高校では理系がだめで文系科目が高得点を取っている。担任は典型的な文系人間だから、そっちの方で才能が開花するに違いないという。理系に進んでも向いていないのなら、偉大な業績を上げられないだろうというのである。

 

それにしては自分はなまけものだ。理数系で欠点をとっても、いつかはなんとかなるだろうと思って、必死で頑張ろうとはしない。それに最近は自分は文科系人間だと思い始め、適性でない理数系で無理しなくてもよいのではと考え始めている。哲学でまだ鮮明になっていない二十一世紀の思想を樹立すべきではないかなどと自分の使命を考え始めているのである。

 

確かに理系よりも文系が適性なら、文系で才能を伸ばすのもいいだろう。でも陽一の場合は、怠けた結果理系が悪くなったのだ。精一杯理系の勉強をした上で、理系にあわないと悟ったわけではないのである。こうやって、楽な方、楽な方を選んでいるとろくな人間になれない気がする。


 しかし本当の自分は理系なのか文系なのかということは大問題だ。ただ死に対する根源的な恐怖心だけで自分の進路を決めるのも考えものである。自分には現代の人類的危機を乗り越える二一世紀の人類哲学構築の使命が与えられているかもしれないのである。

 

I don’t want to die!” “I don’t want to die!”韓国人の若者が、テレビで叫んでいる。まさに処刑直前である。数分後にはアラビアのでかい刀で首を切り落とされる。彼は危険なイラクにでかけて米軍の手伝いをしていたのだ。きっとまとまったお金がほしかったのだろう。危険を承知でイラクに乗り込んだ。

 

陽一は、彼はこのメッセージのために生まれてきたのではないかと思った。だって「死にたくない!」、この叫びほど真実の叫びはないじゃないか。彼の人生の不条理、世界の不条理をこの叫びほど告発しているものはない。

 

死にたくなくても死ぬ、これこそ人間だ。彼の人生は結局悲惨な結末で、何一ついいことはなかったかもしれない。ああ、このまま死んだら、俺は何のために生まれてきたのか、そのいたたまれなさは、当人以外にはわからない。でもそうだからこそ、彼の“I don’t want to die!”の叫びは陽一の胸に痛いほど響いた。それだけでも彼の人生には大きな意味があったのだ。

 

 陽一は理系を選ぶにしても、文系を選ぶにしても、彼の活躍によって人類の不死願望がかなえられたり、人類的危機を乗り越える人類哲学が構築されたりすると信じている。いずれにしても人類の未来は陽一の肩にかかっているということには、疑いはかけられていないのである。陽一君、君は一体何様ですか?でも頼もしいですね。

 
 

、科学の三大謎

 

 

いかにして生成したるや摩訶不思議、宇宙・生命そして人間


 

 


 

 陽一が榊周次の倫理にはまったのは、陽一の全能幻想に応えて、スケールの大きな問題を話してくれるからである。科学の三大謎は、榊によると「宇宙の創成」「生命の発生」「人間の発生」の三つであるという。

 

宇宙の創成は最近はビッグバンだということになっているが、どうしてビッグバンが起こったのか、もしそれ以前の宇宙が収縮して、大爆発したのだったら、宇宙の創成とはいえない、だから無からビッグバンが起こったことになるが、ビッグバンを起こした原因は無とはいえないはずである。結局、宇宙の創成を語ることは原理的に無理ではないかという。

 

生命の発生は、高分子化合物から生命が発生したと思われるが、未だに生命に進化するようなたんぱく質の合成には成功していないそうである。地球が冷え始めて海ができたが、海水は熱湯状態だったので、その環境で高分子化合物が作られたというのが、榊の高校生の頃のオパーリンの説だったそうである。それが最近は、生命誕生の元となった高分子は宇宙のかなたの暗黒星雲で作られ、隕石にになって地球にやってきたという説が有力らしいという。

 

誤解されやすいが、榊は、人間の起源と人類の起源は別だという。人類は猿の霊長類の中の類人猿の一種で、猿人、原人、旧人、新人が属するが、それはあくまでも生物学的な人類であって、人間は生物学的な概念ではないのだ。だから別に猿から進化しなくてもいい。手塚治虫は『鳥人大系』で鳥が進化して鳥人になり、人は鳥人の家畜になってしまうという筋書きである。

 

宇宙から飛来する宇宙人が哺乳類や鳥類である可能性は極めて低い。星によって独特の進化をとげるだろうから、全く未知の種類の生物である可能性が高い。そして知性体であれば、生物でなくロボットだとしても、それが自己意識を持っていれば人間として扱わなければならないという。ということは、自己意識を持つロボットができれば、それは人間だと榊は言いたいらしい。

 

つまり自己意識の発生によってはじめて人は人間になったのである。二足歩行や手の延長としての道具の使用というのは、生物学的な人類概念に過ぎず、それを即人間の発生とは呼べないという。自己意識の発生とは他者の発見であり、自己と他者の人格的対他関係の成立である。

 

したがってそれは、生理的な血縁関係や配偶関係を脱皮した、かけひきによる対他関係として成立する。それは交換の成立ではないかというのである。そのことによって私的所有が成立し、人と人、人と物、物と物が対他関係として把握されるので、世界を物から構成されているとみる物的世界観が成立する。

 

対象を物として捉えることで、主体・属性的な対象認識が成立し、それに照応して、主語・述語の文法構造を持つ言語が成立するという理屈である。動物言語は実は動物信号でしかなく、超音波を使った象やイルカのむ交信も言語に含めるべきではないというのである。

 

主語・述語の文法構造によって、主語には様々な述語が、述語には様々な主語が当てはまるので、事物認識は無限に豊富化し、コミュニケーションの急速な豊富化と情報の無限蓄積と整理により、知恵が発達し、創意工夫が共有され伝達されて、急速に文明化することになるという。

 

だから交換の発生に伴う言語の発生と発達によって文明の基礎が出来たという認識である。ということはそれほど昔のことではなく、せいぜい二万年ほどしか遡れないのではないかというのが榊の人間起源論である。

 

『バイブル』では約五千年前に六日間で天地創造から人間の誕生まで行われたことになっている。これに対して、荒唐無稽だ、人類の発生でも数百万年前だという批判がある。榊は人間は二万年前に発生したというのだから、『バイブル』と大同小異ではないか、陽一はこの先生よく言うよとあきれ果てた。しかし大同小異だから間違っているということにはならないので、いかに反駁すべきか考えあぐねていた。

 

ともかく榊周次は哲学とは根源的に物事を捉え返す態度だという哲学観を持っていて、原点に帰ってゼロから考え直そうとする。つまりコスモス(宇宙)を自分なりに再構成しようとする、そこが上村陽一の全能感を強くくすぐるのである。自分も榊に対抗して哲学を構築しようという気になってくる。榊は経済学や歴史学など社会科学からのアプローチだが、自分なら自然科学からのアプローチができるようになるのではないか、元々理数系には強いはずなのだから、高校では受験用の難問には手こずっているもののである。

 

 

ネオ・ヒューマニズム

 

 

人間をその身に限ることなかれ、もののあはれを知りたまふなら

 

榊は人間論が専門だという。そして最近は「ネオ・ヒューマニズム」を名乗っている。これは既成の人間観の大転換を含んでいるというのだ。カントが認識論のコペルニクス的大転換をしたというが、榊は人間観でコペルニクス的転換を目論んでいると自負しているそうだ。だからあまりに大風呂敷だというので、反発されているようだ。

 

榊は人類的立場を打ち出して、人類の存続のためにはというが、セザンヌ女史というハンドルネームの哲学お宅から、「あなたのいう人類に勝手に私まで入れないで、私は人類の存続なんて価値は認めてませんからね、思い込みで普遍の立場を標榜するなんて、あなたにそんな権利も正当性もないのよ」と抗議してきた。そして「ネオ・厨房・ヒューマニズム」という野次を飛ばしたのである。でもそんなことでは本人はめげていないそうである。


 大風呂敷であればあるほど陽一の全能感をくすぐるのだが、しかしそれだけの説得力がなければならない。陽一からみれば、まだまだ説得力はないように思える。

 

榊の倫理の授業では次のように説明されている。

 

ヒューマニズムは人間中心主義ということだが、これは歴史的に変遷してきた。古典古代のヒューマニズムは人間の欲望や能力を肯定して、それを最大限に充足し、発展させて神に挑戦することを賛美していたという。

 

それが中世のキリスト教会の支配で、神中心主義になり、人間の欲望を罪悪視するようになり、ひたすら神のために生きるように求められた。それに対して近世になり、ルネサンスで古典古代の文芸を復興させ、ヒューマニズムを謳歌しようとしたのである。

 

それを基礎にして、近代は、人間理性が自然を対象的に認識し、支配して、人間の道具としての自然に作り変えることが文明の進歩として啓蒙されるようになった。これが近代ヒューマニズムであり、自由な人格と、科学の勝利を謳歌しようとした。

 

しかしそれが極端な形で現れたのが、産業革命による資本主義体制のもとでの機械制大工業である。そこでもたらされたのは極端な貧富の差と、帝国主義による富の争奪戦争、そして自然環境の破壊であった。

 

つまり人間が生み出した物によって人間の首が絞められる人間疎外なのである。そこでは個人は主体性を喪失し、体制や機械のねじ・釘におとしめられている。この人間疎外から解放しようというのが現代ヒューマニズムである。現代ヒューマニズムは人間が生み出した物によって支配され、人間自身が物化され、人間関係が物と物との関係に物象化されていると告発する。物から解放されて人間としての主体性を取り戻せという主張である。

 

この主張は、一九六〇年代末の世界的な学生反乱、フランス五月革命の挫折によって行き詰ってしまったのである。個人の主体性に基づく思想や行動が社会構造によって包摂され、そこから生み出されたものにすぎず、異議申し立てそれ自体も、リフレッシュののためのお祭り騒ぎでしかなかったという構造主義の主張が有力になってしまった。

 

榊は、その際構造主義は、人間の死を宣言してしまったけれど、人間が対象化した、事物化した、構造化したのであって、社会関係や社会や環境を構成する事物をも包摂する人間概念を持つべきではないかというのである。なんと榊は、人間の身体やそこに宿る魂だけでなく、服や家屋や食料や道路や田畑や工場も含めて人間として捉えるべきだ、場合によっては太陽や星も人間環境を構成する人間的事物として、捉え返す必要があるというのだ。

 

生物学とか、医学とか、服飾学とか、経済学とか環境論とかそれぞれの学問の視座によって様々な人間概念が成り立ちうるというのである。それぞれの学問によって人間という概念の指す範囲は異なってくるので、どのように相互補完的なものとして調整するかが、大きな課題になっているということである。

 

陽一は、人間でないものを人間だと言っても、みんな人間だと思っていないのに、勝手に人間にしてしまっているだけではないか、人間が使っている道具は、人間ではなく、人間の道具でいい、人間が使っていても道具は道具、人間にはなりっこないと反発した。そんなことより、人間の道具としての意義付け、位置づけが大切なのではないかと思う。

 

商品経済で、人間でない物が商品として規定されることで、商品が社会関係を取り結ぶことで、社会関係は人間関係だから、人間でない事物が商品として社会関係を取り結ぶのは、物を人間と見なす倒錯だとマルクスは指摘した。つまり、商品を人間としてみなすフェティシズム(物神崇拝)だと暴露したのである。

 

それを榊は商品も含めて人間関係を取り結ぶのが、商品生産関係であり、資本主義は労働力も含めて全ての生産物が商品化する社会であり、そこでは商品が人間のアトム的な単位だという。ところがマルクスは身体的個人だけを人間と見ているので、商品を人間と捉えるフェティシズムだとなる。これはマルクス自身の人間観の限界だ、商品も含めて人間と捉えればいいのだというのである。

 

陽一にすれば、人間社会を構成しているのは身体的諸個人と社会的諸事物だとしても、人間と人間の道具や製品が人間社会を形成していると考えればいいので、人間でない事物も人間との関係で社会的な規定性を持つと認識すれば、何も人間に含める必要はないではないかと思った。

 

それに対して榊は、なかなか鋭い反論だねと感心した素振りを示し、是非、「榊周次の部屋」の「榊周次の人間論集」を読んで欲しい、そこにはそれに対する反論も載っているからということだった。そう言えばまだちゃんと読んでないな、それにしても人間でないものを、時と場合によっては人間に含めて考えようなんて、実に一貫性のない、中途半端な議論だろうと、いつかこてんぱんにやっつけなくっちゃと陽一は考えていたのだ。

 

十、白雪姫コンプレックス

 

 

世の中でたれより麗しその女は鏡よ答えてその女の名を

 

三輪智子は、高校生になってから性の悩みが深刻になった。自分が女として大人になっていくということが怖かったのである。小学校五年のときに初潮がきて、赤飯を炊いて祝ってもらったときは、少々気恥ずかしいような、晴れがましい気分でそれほど厭ではなかったが、中学生になり、胸が膨らみ始め月経の憂鬱がひどくなると、どうして女に生まれてしまったのか、損をしたような気になっていた。でも中学生の頃はそれほど自覚はしていなかった。
 

それが、高校生になってから両親との関係で人に言えないような悩みを抱え込んだのである。
 

母三輪薫は三十歳で智子を生んだので現在四十七歳なのだが、最近しきりに若作りしようと化粧が濃くなっていく。鏡を気にしているのである。そして智子が化粧の真似事をしようとすると神経質に注意する。服装もできるだけ地味にさせようとするのである。娘があまり美しくなって悪い男に誘惑されるのを心配しているように思えたのだが、どうも違うらしい。父親の視線が智子の方に向けられるのを嫉妬しているのである。
 

実は父親は実父ではないのだ。薫が智子を妊娠していたときに、夫橘亮一が元交際のあった草薙輝美と出来ていたことが露見して離婚したのである。その女性は大学時代亮一を取り合ったライバルだが、薫の親友でもあったので、二人の裏切りに精神的に激しいダメージを受けて、流産しかかった。その時に、薫のことを心配して相談に乗っていたのがなんと、輝美と婚約していた三輪和夫だったのである。だから二人に裏切られたという点では和夫も同じ境遇だったわけだ。
 

三輪和夫は大手建築会社の設計技師で、草薙照子は同じ会社のOLで社内恋愛だった、交際が七年ほどになるので照子は永すぎる春ということで、だめになってしまうのではないかと焦っていたのである。それで親友の薫の夫で、元々浅い交際のあった亮一と親しげにして、和夫の気を引こうという作戦だった。
 

ところが男女関係というのはそう目論見通りことが運ぶわけではない。橘亮一は輝美にも大いに気があったのである。輝美は親友の薫が命がけみたいに亮一のことをいうものだから、その勢いに押されて引いていたのだ。亮一は輝美にいくども交際を迫っていたし、何度が二人でお茶を飲んだり、映画にいったりしたが、結局輝美が「でもでもでも」と言うばかりで煮え切れなかった。
 

それで亮一は薫に気がある素振をして輝美の気を引こうとしたが、薫はすっかり舞い上がってしまったのだ。それで亮一は自制が効かなくなって、薫と肉体関係をもってしまい、輝美と離れてしまったのである。だから亮一は輝美を抱いてみたいという渇望を抑えていたのだが、妻の妊娠中に輝美に親しくされてむらむらと来てしまったのである。
 

薫は和夫が輝美を待たせすぎたことをなじった。「あなたのせいよ、あなたが責任とって」と言ったのである。すると和夫は何を勘違いしたのか妊娠中の薫を抱きしめてしまった。「それじゃあ裏切り者たちとは絶縁しよう、ぼくが君と君のベイビーの面倒をみるよ」といったのである。
 

和夫は実の父親以上に智子を愛した。智子も和夫を父と考えて、実父の亮一に会いたいとは思わなかったのである。それで薫はとても癒され幸福を感じていた。ところが智子が成長して美しい少女になっていくにしたがい、夫和夫が智子を抱きしめたり、髪をいとしげになぜたりするのに生理的に受け付けられなくなってきたのである。全く父と娘の感情でしかないものが、どうにも割り切れないのである。世間では娘は父を鬱陶しがり、父に触られたりするのを毛嫌いするはずである。それをどうして、まるで恋人同士のようではないか、そして恨めしげに鏡を覗き込み、皺が増えた自分の顔を見てしまうのである。

 母が機嫌が悪くなり父や自分に突っかかったり、ふさぎ込んだりしているのはどうしてなのか、さっぱり見当もつかなかったが、智子の十七歳のバースディで智子専用のノートパソコンをプレゼントされて。「智子、お父さんのこと大好きよ」というと亮一は智子をしっかり抱きしめしきりに頬ずりをした、智子も少しくどいかなと思ったが、その瞬間、母薫は「ヤメテー」と金切り声を張り上げヒステリー状態になった。それで智子もやっと母が義父をめぐってやきもちを妬いていることがわかったのである。
 

それからどうも智子も和夫が智子に甘い声で話したり、抱きしめたり、髪の毛をなぜたりすることが気になりだした。それまでは癒されるような気持ちよさがあったのに、悪寒がするようになったのである。そうなると和夫も智子に距離を置かざるをえなくなり、味気ない思いがするようだった。二つ年下の弟隆一がいるが、男の子では智子の代わりにならないようだ。

 

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ」鏡を見ていた薫は、恐ろしい鬼婆の形相になり、刺身包丁をもって智子の寝床に迫った。突き刺そうとしたときに智子は目覚めて、「一体どうしてお母さんに殺されるの」とたずねた。「私の若さと美しさを返して、お前にみんな吸い取られた若さと美しさを、お前の肝を食べて私の若さと美しさを取り戻すのよ」薫は目を血走らして叫んだ。

 

「助けて、お父さん」と叫びながら智子はびっしょり汗をかいて目覚めた。この家には私の居場所がないわ。智子は涙が溢れてとまらなかった。そこへ悲鳴を聞きつけたのか義父和夫が入ってきた。「智子、大丈夫か」と心配そうに抱きすくめた。智子はしばらく和夫の胸で泣き続けたが、和夫に抱かれていることが最近は癒しから悪寒に変わっていることもあって、解こうとしたが、和夫は緩めようとはしなかった。

 

そして「智子、智子、大切な智子、お前を絶対守ってあげるよ」という言葉を繰り返した。そうしているうちに興奮しているような匂いが漂った。和夫は頬やおでこに口づけをし、服の上からだが体中に口づけるような動作をし始めた。「やめて、やめて、やめて」と智子は泣きながら拒み続けた。

 

そのとき扉が急に開いて和夫と薫が入ってきて、電気を点けた。「智子、大丈夫?うなされてたわよ」と薫がたずねた。智子は「怖い夢を見ていたの」といいながら、しばらく泣き続け、それから顔を洗って眠った。とても夢の内容は話せなかったのだ。

それからは不幸なことに薫に殺される夢や、和夫に犯されそうになる夢をしょっちゅう見るようになったのである。


 

十一、西長堀の図書館にて

 

 

忌まわしき性の憂いを払わんと智子は向かふやバーチャルの旅


 智子は、家に戻りたくないという思いもあって、放課後学校に残って陽一と話し込むようになった。倫理という科目が好きということで、倫理や哲学ぽい話をする。『ソフィーの世界』読書会などを一緒につくってみたり、それも結局二人になって英文で英語学習をかねて読んだりした。

 

陽一が智子に惹かれていて、陽一主導で事はいつも運ぶのだが、智子は別に陽一を避けようとは思わなかった。陽一は素直で快活で、正義漢で、政治的な自覚も高く、理数科は苦手なようだが、榊先生の難しい倫理や哲学、政治経済のことを一番深く理解しているということでは、大手門高校でも一番のインテリと言えるかもしれない。その意味で智子の知的好奇心を充たしてくれるし、話していても飽きなかった。

 

ただ陽一が智子に思いを寄せていることは感じていたが、智子の方から陽一に男性として惹かれるというような感覚は起こらなかった。それは、家庭での性的ストレスがあって、それに胸がかき乱されていたので、陽一を男性として見るゆとりがなかったせいかもしれない。もし陽一に言い寄られたり、抱擁されたりしたら、義父との忌まわしい夢を連想して逃げ出したかもしれない。
 

偶然だった。そこで榊周次と出会ったのは。三月の試験が終わると四月まで実質的には春休みである。智子は家庭に居るのが辛いので、西長堀の図書館に通って、そこで読書や入試勉強をしようと思っていた。予備校に通う生徒も多いけれど、そんな主体性のないことでは駄目だ思っていたのである。

 自分には勉強があるという想いが強かった。だから性的ストレスで悩めば悩むほどそれで勉強を放棄してしまうのではなく、逆に勉強でがんばって、そんな悩みを吹き飛ばしてやろうと思っていた。だから理科系や英語の成績は大手門でも上位クラスで京大や阪大でも現役合格できるのではないかといわれていたのである。
 

智子は息抜きに『天上の虹』という里中満智子の漫画を読み耽っていた。そして横の席に『鉄腕アトム』に没頭している初老の紳士がいた。智子は次の巻に取替えに行って帰りに榊に気づいたのである。「先生!榊先生!こんなところで『鉄腕アトム』ですか」とつい大声を出してしまった。
 

「おいおい、図書館では静粛に願いますよ。ほお里中満智子の『天上の虹』ね、持統天皇の伝記だろう。ちゃんとそろってないようだな。それはなかなかの評判だよ。もっともぼくはまだ読んでないんだ。どうも持統天皇を怖い女みたいに描いているようだね、そういう誤解が多いので困る。そのうち『持統天皇は怖い女か』という題の歴史評論を書こうと思っているんだ。」
 

「先生は『鉄腕アトム』は子供の頃から愛読されていたのでしょう。」と智子は『天上の虹』には触れずに、質問した。「もちろんさ、一番影響を受けた本かもしれないね。今ね、『鉄腕アトムは人間か』というファンタジーを制作中なんだ。」
 

智子は嬉しそうに言った。「いよいよバーチャル・リアリティ劇という設定のファンタジーの登場ですか?

 

榊はにっこりした。「喫茶店でゆっくり話そうか」と智子を誘って、喫茶店に入った。

 

「三輪さんの成績だと京大現役も夢じゃないと先生方はおっしゃってましたよ。専攻は何にするの?」

智子は首を振って「まだどの大学ともどの専攻とも決めていませんよ。今のところ臨床心理学を専攻して、カウンセラーになろうかと思っているのです。でも今はほんとに目標よりも点数ですね、京大を受けられるぐらいの点数に近づけておかなくてはというところです。でもいろいろと悩みも多いので集中できないかも。」
 

「よかったらその悩み聴いてあげてもいいよ、話したらすっきりするかも」

「とんでもない、恥ずかしくて人には打ち明けられません。」

「ほお、恋の悩みか、青春時代のど真ん中だもんね」

「そんな、甘い話じゃないです。もっとドロドロした、反吐が出そうな話ですよ」

 

「無理に打ち明けなくてもいいよ、ただぼくは大手門高校をやめちゃったから、まあもう君とも逢うこともないだろうし、八卦見に占ってもらうような気持ちで話したらすっとするかもしれないね」と榊は心配げに言った。
 

智子は信じられないというような眼をした。「先生、今なんて言われました。ヤメタと言いましたね。そんな馬鹿な、そんなの困りますよ、すぐ取り消してください。先生の授業を聴けるから大手門にも通ってるのに、私もやめちゃいますよ、ほんとに」とまくし立てた。
 

榊は反応が激しいので驚いた。「そういってくれるのはとても嬉しいよ。でもね、先生は非常勤講師だから一年契約なんだよ。だから大学の講師もできるのさ。非常勤講師というのは公立高校では、普通一年で終わりで、二年続けるのはまれなんだ。専任の先生が足らないから取るわけだから、社会科の先生は余っているので、大概補充されてしまう。二年続けて大手門で仕事があったのはラッキーだったんだよ。」

 智子はしかたなしに納得したようだ。
 

榊の優しげな表情に父性を感じたのか、智子の両目に涙が溢れてきた。父や母にいろんな悩みを打ち明けて、はげましてもらいたいのに、この悩みはその父から夢の中でセクハラを受け、母から嫉妬されて、夢の中で殺されそうになるという悩みである。なんと情けない。それで榊先生に甘えてみたいという気持ちになったのである。もう初老だからこの先生ならセクハラの心配もなさそうだし。


 一時間ほどで洗いざらい打ち明けてしまった。「そうかそうかそりゃあ大変だ、大変だね、全く大変だ、へえーそうかい、ふんふん、そうだろう、そうだろう」通り一遍の受け答えだが、それでも優しそうに親身に相槌を打ってくれるので、話してなんとなくすっきりしたのだ。
 

「まあ、今のところお父さんが君に何かしたわけではないし、お母さんのやきもちは困るけれど、それも血がつながっていないからもしものことがあったらという取り越し苦労だね。
 

だからといって、君が取り立てて問題にしたりすると、夫婦の間に溝が出来たり、母と娘の断絶がひどくなる、そう思って君は耐えているので、お父さんのことが性的に気になるし、そのストレスでいかがわしい、おぞましい夢を見てしまうということだね。
 

それで君は勉強や陽一君との哲学話で気をそらして、克服していこうとしているわけだ。それでいい、それでいいんだよ。うんうん、それでいいじゃないか、一番賢明だ。

 

ただ精神的に張り詰めすぎると、君の神経が持たなくなるのが心配だな。辛くなったら、話し相手になるから電話なり、話に来るなりしてください。私ならセクハラの心配もないだろう、ハ、ハ、ハ、ハ、なんなら内のワイフに相談相手になってもらってもいい。」
 

一呼吸おいて榊は付け加えた。「もしなんなら気分転換にバーチャルリアリティ劇に出てみるかい。」

 

智子はあっけにとられた。「まさか、そんな人間の意識を自由に管理して、劇中の人物に成りきらすことなんて、現在の科学技術の水準では不可能でしょう。千年先のことだわ。しかも榊先生はITスキルでは幼稚園並みとこの前おっしゃっていたでしょう。それが急にそんなことできるはずがないでしょう。」

 

「嘘か本当か、一作だけでも経験してみるかい、そうだな長くて一週間ぐらい家を空けることになるかもしれないけれど、まあ一週間ぐらいなら君なら勉強はすぐに取り戻せるし、この劇を体験すれば、ずいぶん人間的にも知的にも成長することになると思うよ。性の悩みも克服できるかも。準備ができたら君にメールするから。その気になったらそのときに参加するかどうか決断してください。」

 

十二、榊周次がいない

 

 

春四月吾が学び舎に戻れども何処に消ゆるデンカーの匂ひ

 

四月になった、倫理は三年からは選択科目で、センター試験で倫理を受験する生徒が中心にとることになっている。実存主義の途中ニーチェあたりで二年の授業は終わったので、実存主義ののこり、プラグマティズム、現象学、精神分析、フランクフルト学派、構造主義、現代ヒューマニズムそして日本思想史などは三年回しである。

 

その担当が榊でないのだ。上村陽一はてっきり榊が担当すると思い込んでいたので、うろたえてしまった。ひょっとして、あの騒動のせいで馘になったのではないかと思った。

 

榊は一年生の現代社会も担当していて、そこで生徒の質問で榊がネットで作っていた『グローバル憲法草案をみんなで作る会掲示板』に気付き、『グローバル憲法』について説明をしたところ、その是非をめぐってクラスでディベートにになった。

 

最初六割だった賛成派が八割になり、クラスの過半数の連名で『グローバル憲法』を制定しようという呼びかけをし、政府に『日本国憲法』改正を棚上げするように決議を挙げたという事件だ。

 

榊はディベートは許可したが決議などは放課後勝手に有志でしたので知らなかったらしい。父兄から高校生に政治活動を煽動したとして即刻解雇するように校長に抗議電話があったそうだ。

 

なんでも榊によると『グローバル憲法』を制定して、そこに国際的な混成の国連警察軍が紛争地域を管轄して、各国単位の武装はできるだけなくす規定を書き込むべきだという。憲法第九条のような非武装国になれば、周辺諸国と国連が安全保障する条約体制を『グローバル憲法』に明記するという。

 

そして一番の紛争の根源である、パレスチナは完全に武装解除して国連警察軍が治安維持にあたり、ユダヤ人のイスラエルと、アラブ人のパレスチナの連合国家にする。そして国連本部をエルサレムに移して、中東地域全体に世界の資本を集中して、世界でも最も豊かで緑化された地域にすることも明記しようという構想である。

 

それは理想論過ぎて無理と思われるかもしれないが、グローバル市民の意思としてそれを明示して、圧倒的なグローバル市民の世論で圧力をかけていこうというのである。

 

榊が陽一に話していたのだが、賛成派にも反対派にもすごく切れるのが居てディベートはもりあがったそうだ。なぜ決議までいったのか分からないが、すごい活動家の素質のある生徒がいるものだとしきりに感心していた。とてもいまどき信じられない、まるで一九六〇年の日米安全保障条約改定反対闘争の時期にタイムスリップしたみたいだと狐につままれていたのである。

 

学級担任に尋ねると、榊先生は岸野田高校に転勤されたというはなしである。どうも三月末のぎりぎりになって非常勤講師の人事は決まるらしい。社会科は非常勤講師も余剰気味なので、見つからない場合が多いけれど、榊先生には長年高校の校長を経験し、組合関係者にも顔の効く加山元校長という強力なコネクションがあって、毎年なんとか仕事にありつけるということらしい。


 陽一はこの春休み自分の人生の曲がり角だと思って、かなり気合を入れて受験勉強をした。苦手な数学もシグマベストという参考書を集中して解いていくと、今まで分からなかったところも分かるようになってきたし、なんとかなりそうな気がしてきた。英語も速読英単語の名文を繰り返し読み、難解なものは書き写していると上達してきた。当面は文転のことは考えないで、勉強して実力を付けることに集中しよう、適性についてはそれから考えればいいと思った。

 

それで智子とも一切連絡を取っていない。幸い同じクラスになったのに、始業式の日に智子は欠席していたのだ。榊と智子がいないということで何か偶然ではない気がして、智子の携帯に電話しても留守電になっていた。そこで自宅に学校から電話すると、智子の様子がおかしいのですぐに着て欲しいというではないか。

 

ホームルームの後、智子のJR野田駅の近くの自宅に駆けつけた。そこで母親が言うには、昨夜遅くまでパソコンをしていて、朝起きたら居なくなっていたらしい。書置きに「一週間だけ旅にでます、楽しい旅なので心配しないで」とある。着替えが少しなくなっているだけで、他のものはそのままだという。部屋から忽然と消えていて、外出した様子は全くないのだ。

 

まさかバーチャル・リアリティの旅にでかけたのでは、どうして榊先生は智子にだけ誘いをかけたのだろう。でも部屋からどうやっていなくなったのか、それが最大の謎だ。これはどう考えても失踪事件だということで、智子の両親は警察に届けた。陽一は警察から事情を聞かれたくなかったので、早々に自宅に引き上げた。

 

ともかくWEB空間でのバーチャル・リアリティ劇というので、「榊周次の部屋」にアクセスしたが、消去されている。そこで「榊周次」で検索すると三千ほどサイトが紹介されている。その中で「榊周次の人間論の穴」という奇妙なサイトがあった。なんと真っ黒である。真ん中に小さな白い点がある。「これだ!」とクリックすると、その点が渦を巻いて回転しながら少しずつ大きくなっていくではないか、「アンビリーバブル!」何故か英語で叫んでいると、その渦はどんどん大きくなって画面をはみ出し、陽一を呑み込んでしまったのである。
           

            
 

 

 

十三、電脳巌流島

 

 

  めくるめく奈落の先に広がれる電脳空間地獄ならずや  

 

 陽一は奈落に落ちながら、様々な映像が現れては消えていくのを眺めていた。十代の桜田淳子がピンクのひらひらのついたワンピースを着て「ようこそここへ、クックックック、私の青い鳥、恋をした私に止まります。そよ風吹いて、クックックック、便りが届けられ、だれよりも幸せ感じます」と歌っている。なんじゃこれ、こんなの榊先生の趣味なのかよ、あのオッサン、ロリコンかとあきれた。

 

 するとかなたから金色の光る点が近づいて来る、次第に大きくなると手塚治虫の「火の鳥」である。みるみる陽一に近づいて来た。陽一は火の鳥の血を飲むと永遠の命を得られるということを思い出して、火の鳥の両脚にしがみついた。火の鳥は陽一にしがみつかれたままぐるぐる旋回して振り落とそうとする。「永遠の命を得ようなんて、何の修行も冒険もしていないのにあつかましいわ」火の鳥は両脚を大きく開いて、陽一を振り落とした。

 

 振り落とされて落下したが幸い砂地にズボッと突っ込んだ。砂漠だ、太陽がまぶしい、咽喉が渇く。水を求めて彷徨った。これがバーチャル・リアリティなのか、咽喉の渇きまでバーチャルで体験できるのか、榊先生がこんなゲームを発明していたとしたら、これはどえれぇことではないのか、一体榊周次とは何者なのだ。ただの哲学者や倫理の講師ではない、ひょっとするとゲーテの『ファウスト』のメフィストフェレスではないのか、それじゃあ、さしづめ上村陽一はファウスト博士といったところだ、高校生のファウスト博士なんか似合わねぇよ、浪速っ子なのに何故か東京なまりになったりして。そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、あれ、これは誰か裸芸人のギャグだったな。

 

 お!前方地平線にオアシスだ!みっけー、それ行けとばかり突然元気が出て走り出した。ドボン、水に浸かって泳いでいるつもりが、砂を漕いでいる。なんと蜃気楼だったのか、更に行くとまた池が見えた。そこに飛び込んだから、それはだんだん熱くなり、煮えたぎってきた、その上あぶらぎってきたのだ。そしてあっという間に火の池ではないか。

 

あまりの熱さに失神すると、暫くして目が覚めた、なんと森の中にいるではないか、木の上で「陽一君、早く来て」と智子が呼んでいる、何だこんなところにいたのか、心配させやがって、陽一は不器用だったが必死で十メートル以上登っていった、その木には葉がたくさんついているが、葉は周りが尖っていて、体に当たると斬れて、血が噴き出してくるのだ、痛てえよ、痛い、それでも必死でよじ登る、もう少しというところで智子の姿は葉の陰に隠れたと思うと、下から「陽一君、早く来て」と呼んでいる。おいおい、この繰り返しかい、それなら源信の『往生要集』に出てくる刀葉樹林だよ、そんなネタやめてくれよ。

 

そう陽一が叫んだとたん、陽一の要望を聞き容れたかのように、一瞬真っ白になった。その次の瞬間、陽一は侍の格好をして小舟に乗っていたのだ。

 

左手には大きな櫂で作った木刀を持っていた。「武蔵、待たせるとは卑怯だな」と小次郎が言った。そして鞘を捨てたので、「小次郎敗れたり、鞘を捨てればもはや刀は鞘にもどらぬということだ」「ぬかすな」小次郎が武蔵の胴を真っ二つにしようと斬りかかってきた、武蔵は跳び上がってこれをかわすや、頭上から櫂で作った木刀を振り落とした。小次郎、得意の燕返しが出た。しかし櫂製の長い木刀で間をとっていたので、届かない。ちゃんと計算しているんだ。見事、武蔵の木刀は小次郎の脳天にめり込んだ。このとき、陽一は自分が陽一であることを忘れていたのである。

 

小次郎が苦しそうに「止めを!」と頼むものだから、筋書き通りに止めを刺した。すると小次郎の弟子たちが数十人で迫ってくる、早速小舟に乗り込んで引き揚げた。そこに大きな波が押し寄せてきて、武蔵は海に投げ出され、意識をまた失った。どうやらこれで電脳空間に慣れさせるテストは終わったようだ。

 

 

 

第二部           ロボット解放軍司令部にて」に続く