また、帝国の全艦隊をハリーチ湾に集結させ、城壁の守りの補いとしていた。

オスマン帝国側は、スルタン直属の最精鋭部隊であったイェニチェリ軍団2万人を中心とした10万人の大軍勢に加え、海からも包囲するために艦船を建造させた。
またハンガリー人のウルバンという技術者を雇い、当時としては新兵器であった大砲を作らせた。それは長さ8m以上、直径約75cmという巨大なもので、544kgの石弾を1.6km先まで飛ばすことができた。ただ、かなり大きな標的でさえも外すほど命中精度が低く、さらに一回発射してから次の発射までに、3時間かかった。砲弾として使える石が非常に少なく、射撃の反動が元で6週間使うと大砲が壊れるという始末であった。

途中、救援物資を積載したジェノヴァ船3隻と東ローマ船1隻が金角湾に来航し、オスマン艦隊と海戦になったもののオスマン艦隊は彼らを拿捕する事に失敗した。

イスタンブールにある軍事博物館には当時の鎖が展示されている。

参考
海の歴史
古代の帆船
大航海時代
大航海時代の船
オスマン艦隊の山越え

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